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盗んだバイクで走り出せない。

令和っ子の皆さんが尾崎豊の歌詞を目にすると「犯罪じゃん!」とツッコむらしい。そりゃそうだ。盗んだバイクで走り出すのは窃盗であり夜の校舎窓ガラス壊してまわるのは器物損壊である。当時も今も立派な犯罪だ。


しかしそこまでのことはしなくても、真面目クンよりちょっと悪いヤツがモテるみたいなことは今でもあるのではないか。なんてことを書きはじめたのは、自分がどちらかといえば真面目クンタイプで、そういう人間の書くきちきちした文章って飛び抜けて面白くはならなくない?  ってなことに気づいてしまったからである。だいたい面白い文豪ってヤンチャエピソードのみっつやよっつ持っているものではないですか。わし酒も飲めないし煙草も吸えないし、不摂生系の悪癖はせいぜい真夜中にポテトチップスを一袋あけるくらいだよ。自分が太るだけだよ。パチンコも麻雀も競馬も競艇もしなくてスクラッチ宝くじ十枚買うだけでお金つっこみすぎてないかとビクビクする。道にゴミもポイ捨てできねぇし電柱に立ち小便も座り小便もできねぇし、ぶっ飛びようがねぇよな。


ぶっ飛びようがないけれど、そこそこ真面目っぽい人間がいつも清く正しく美しい感じでいられるかといえばもちろんそんなことはない。私のやらかしやすい悪事といえば混んでいる電車に乗ろうとしているのにドアの前に立ちふさがっている人々が微動だにしてくれなかったらグイグイ押して乗って舌打ちのひとつもしてしまうし、町で歩いていてぶつかられて悪態をつかれたら悪態を返すし、要するに「あっちが悪いんだからやり返していいんだ」と自分が思い込めるシーンでは平気で反撃する。

人間はこういう微妙な善悪のボーダーラインをふらふらしているのだろうなぁ。そのラインが法に触れるくらい極端にブレていると犯罪者ということになるのだろう。

単純に真面目イコール善で不良イコール悪みたいに思っていたけれど、よくよく考えれば簡単にどちらが善でどちらが悪かなんて決められない。善悪の境目なんて曖昧なものだ。真面目なヤツが真面目すぎるが故に仕事一筋パワハラ上司と成り果てたり、不良が車にひかれそうな子猫を庇うなんてこともあるだろう。


私がもう少し面白いものを書くためには、このような人間の複雑さを、矛盾に満ち気分に左右され考えがコロコロ変わる人間の心の世界の広さを、えがけるようにならねばならぬのだろう。そのためにはまだまだ技術が足りない。冷静に事象を分析する目も足りない。この壁をぶち破れたら、もっと上手くなれる気がするんだ。