本土の普通のひとと沖縄

6月23日は沖縄慰霊の日だった。
テレビをつけたら特集が組まれていた。ほんの数年くらい前までは、東京のキー局で慰霊の日を取り上げることはめったになかったと思う。ここ数年のこのような動きは必要なことだ。遅いという指摘もあるかもしれないが、それでも絶対にやったほうがいいことだ。これからも続けてほしい。

昔、沖縄本島を巡るパッケージツアーに参加した時、沖縄戦の激戦地だった地域をバスで通過したことが忘れられない。
そこに住んでいた家族全員が亡くなって、沖縄独特のお家のような墓だけが残る、他は草だけが繁る広い土地を。

ツアーのガイドさんが解説してくれなければ、その意味は分からなかっただろう。だけどあの光景の意味を知ったら、とてもじゃないが何も感じないことも、忘れてしまうこともできない、はずだ。

ツアーで沖縄観光するひとはたくさんいる。皆ではないかもしれないが、あの光景を見たひともたくさんいるはずだ。

なのに、沖縄に対する私達本土の人間の意識は全然変わっていないようにみえる。

別の日にテレビで「石垣島に自衛隊基地があることについて」を観光客の女性に問う場面を見かけた。女性は思想的立場を明らかにしないように慎重に明言を避けながら、女性旅行客に求められる頭の悪い当たり障りのない回答を吐いていた。どちらの立場でもいいからはっきり言えばいいのにと思ったが、炎上する可能性を考えるとそうできない気持ちも理解できる。

まずはタブーにするのではなく、ちゃんと意見を述べられるようになればいい。沖縄問題を話そうとすると、どこからか極右と極左がやってきてうんこの投げ合いを始める。だから一般の人は口を閉ざしてしまう。

そして本土の大都市で生きる人間は、自分達の便利な生活が他の地域を踏み台にして成り立っていることに、もっと自覚的であるべきだ。沖縄だけではない。福島のことや、成田空港を作るにあたって立ち退きにあった農家、ダムに沈んだたくさんの村など、便利な生活のために犠牲にされてきた人生がたくさんある。今だって、大都市との格差により犠牲になっている地域や人々の様々なケースがあるはずだ。それはまだ現実にそこにある。いつもそのことを考えているわけにはいかないけれど、悲劇に蓋をするのではなく知ろうとすることや忘れないことを意識していたい。


どんな形であっても、ひとの尊厳を、人生を、踏みにじるようなことを、ひとつひとつなくしていけるような世の中にしていきたい。それは、目を背けて無かったことにしたらだめで、少しでも意識を向けておかなければならない。

だからとにかく、テレビで報道がちゃんとあるのは第一歩なのだ。これからもそういう流れになるように、いい動きに気づいたら「これはいいことだ」ということを言っていきたい。