距離

冷蔵庫から取りだしたペットボトルの烏龍茶は、きんと冷えていた。

こんなに寒い季節だというのに、更に氷まで入れて飲む。

それがともえの飲み方だった。

「……お茶」

冷たいガラスのコップをこたつの上に置き、ため息をついた俺を見て、ともえはかすかに笑った。

ため息の理由、わかってるの? と聞きかけて、やっぱりやめた。

それはどうしようもないことだから。

俺が考えていたことは、ともえとの距離のことだ。

ほんの一年前まで、俺とともえは恋人同士だった。何年くらい一緒にいただろう? 指を折って数えたら気づかれてしまうから、俺は心の中でカウントした。

一…二…三……四……と、半年。

四年と半年の時間、俺とともえは恋人だった。

そしてあたりまえのように恋愛は終わった。

うん、それは仕方ないことだったと思う。

俺が考えているのはそんなことじゃない。

距離。

俺とともえ、別れてから一年後に生まれた距離。

それは寂しがっていた俺と、忘れられなかったというともえの「恋人同士には戻れないけれど」って距離だった。

こたつの向こう側にいるともえは、コップをじっと見つめていた。

大きな氷が少しずつ溶けていく音を聞いているのだろうか。

「なあ、なんでだろうな」

俺がそう言うと、ともえがふと視線をあげた。

「俺たちなんで別れたんだろうな…なんて」

ともえも同じことを考えていたんだろうか。

俺の問いかけに答えるためか、何かを思い巡らせるような顔をしている。

「あのさ…なんだっけ? ちょっと前にコマーシャルで流れてた曲聴いてさ」

頭の中でメロディが流れる。

ずいぶん昔の歌を、アイドルが口ずさむってコマーシャルだ。

離れた時間とか距離とかがあるほうが、愛が育つとか大きくなるとか、そんな感じだったと思う。

「離れちゃった方が、好きになるなんておかしいよな」

ともえは俺の言いたいことをわかってくれたんだろうか。

小さく動いた唇の動きを見つめると……「バカ」って形を描いていた。

「あーあ、そうだよな」

もう一度大きくため息をついて、俺はこたつの上にあごを乗せた。

同じような格好でコップを見つめていたともえと俺の視線が同じ高さになる。

ともえの顔をじっと見て、ああやっぱり好きかもしれないと思った俺は本当にバカだ。

もう明け方も近いっていう時間に、男と女が一緒に部屋にいる。

だけど俺とともえに許されることといえば、お茶を出してこたつを囲んでぼんやりするぐらいだ。

「本当にごめん」

俺はコップの向こうのともえに言った。

「あのさ、俺、今ともえにキスしたいと思ってしまいました」

ともえの唇が、また『バカ』って形を作る。

「だよな、できないよな」

カーテンの向こうで、日が昇り始めたようだ。

「朝……きちゃったな」

ともえも窓の方を見て、ゆっくりと頷いた。

ともえはもう帰らなきゃいけない。

「気をつけて帰れよ」

俺はともえの顔をまっすぐ見つめた。

「バカ」

もう一回、ともえはそう言った。

一晩で俺は何回バカって言われたらいいんだよ。

そう問いかけようとしいた時、さっと部屋の中が明るくなった。

朝が来たんだ。

「じゃあ、またね」

一度も口をつけていないコップの中で、残っていた氷がからんと鳴った。

目の前に座っていたともえがふっと消える。

太陽の差し込む部屋の中で、その姿はもうない。

キスもできない。

触れることもできない。

例え恋人じゃなくてもいいんだって思っても、もう触れることはできない。

それが俺と、ともえの距離――。

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ずいぶん昔に書いた掌編です。サイトでも公開していたもの。『100のお題』っていうのが流行ってましたね。その中のひとつでした。

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