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ナギという男

ナギという男の話をする。

ナギは常にどこかぼんやりしていて、うまくこの世にアクセスできていない感じの男だった。

そのわりに子供っぽい感覚を多分に残していて俗っぽく、ボンドカーだからと大きな身体をBMW Z3に押し込めて乗り回したり、独り暮らしのくせに大きな一軒家を借りて暮らしていたり、なんともバランス感覚が奇妙な男だった。


ナギは私の5歳年上で私が大学三年生か四年生の時に出会った。

垂れ目がとても印象的で目元がとても欲情を誘うタイプの男だったが、その実私とナギがセックスした回数は三回ぐらいしかなかった。

そのわりにナギは私に相当惚れこんでいたし、私もナギが大好きで時間があるときはナギの家でいつも一緒にいたし間違いなく二人の間に愛は存在していた。

ナギは私の太ももに頭を置いて昼寝をするのが好きだったし、私が作った料理を食べるのも好きだった。

ナギは料理が好きな私に色んな国の料理を食べさせてみたいといい、県内に点在する他国の料理を出す色んな店に食べに行ったのでナギとの想い出は大体どこかでなにか食べてる想い出ばかりだ。

ブータン料理を二人で食べに行ったときにはあまりの辛さに大量の汗をかきつつも

「辛い!口の中が痛くてつらい。でも美味しい。意味がわかんない…」

と半分泣きながら食べる私を見てナギは困惑していたけど、その顔がとても可愛かったのを覚えている。

ペルシャ料理を食べに行った時は、イラン人の料理人がよく食べよく飲む私達を見て

「あなたたちよく食べる!とても素敵!日本人、イランで出す量を出すとみんな残す。日本人のご飯はスズメのお弁当」

といって私達を笑わせた。

その時のナギの笑顔は今でもよく思い出せる。

スズメのお弁当という、可愛くユーモアに富んだワードは私とナギの間でしばらく流行したのも覚えている。


ナギとの想い出は『食』なのだ。




だから骨になったナギを見たとき、ナギの骨を食べたいと思った。

しかし『ナギの彼女』というだけのとるにたらない軽い存在だった私にはそんなことを彼のお母さんにお願いすることはできなかったし、そもそもナギの母はナギと不仲だったからそんなこと到底許してくれるとは思えなかった。

だからその言葉をそっと飲み込んで静かに法要に参列し、無難に全てをこなしてナギと最後のお別れをした。

でも今でもナギの骨を食べたかったなと思う。 

ナギを私の血と肉にして一緒に生きていきたかった。

今でも私はナギを失い続けているのだ。

ただ、ナギは永遠に消えることのない喪失感となって私の側にいてくれているという事でもある。

ナギの事を忘れてしまうことが一番嫌だったから、喪失感だとしてもナギの事を忘れさせないでいてくれるのはとても嬉しい事だった。

そして私は肉体を失ったナギの側で静かに発狂していった。

彼のくすんだクリーム色の骨の味を想像しながら。

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