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末娘の障害が分かるまで

コロナウイルスが流行し始める直前の七夕の日に娘が産まれた。

娘はすごく大人しくて、授乳や排便以外ではほとんど泣かなかった。上の子が難しかったから下の子が大人しいんだよ〜!なんて言う迷信を鵜呑みにして、のんびりのんびり「楽だな」なんて思いながら育てていた。

生後2ヶ月の時に、ミルクの吐き戻しを詰まらせてしまった。みるみる顔が青くなり、唇まで真っ青に。救急車を要請して一時的に呼吸が止まっていたこと、微熱があったことなど説明して受診に至るが到着した頃には酸素濃度も安定していた。もしかすると色んな前兆がこうしてあったのかも、なんて、今考えると障害に当てはめようとしている自分もいる。決してそんな事はないはずなのに。

生後6ヶ月頃から酷い癇癪を起こすようになった。理由は特にないみたいで、ちょっと癇の強い子なのかと思い、1時間も2時間も声をかけ続けておさまるのを待った。これも、今思えばこの時から自傷行為と言える行動は見えていた。

乳児期に思った不安は、激しい遊びをしないと笑わないこと・目が合わないこと・喃語などがなかったこと・他のことに興味がないことなど数えるとキリがない。

7ヶ月検診までは他の子と大差なく、かと言え全く差がないかと言えばあった。検診会場では他の子のように保健師さんには目もくれず、私が離れても泣かない。保健師さんに不安を吐露はしたが、様子を見ましょうねと言われて終わった。

一歳半検診はコロナウイルスの蔓延により延期になったりで受けられず、でもその時には私も明らかな娘の成長の遅滞を感じていたので保健師さんへ連絡を入れた。

発語が全くないんです、と。

その一週間後には検診と言う名の発達検査をして貰えた。小児科の医師もいたので当時の癇癪時の自傷行為の動画や普段の呼びかけに対する様子など、とても時間をかけて見てくれた。その後、積み木を重ねたりイラストを見て猫ちゃんはどこ?などのやりとりをするが娘は何て言うこともない、そちらには見向きもせずに外を見ていた。

そして「自閉症スペクトラムや知的な遅れがある可能性」を示唆される。

冷静を装いつつ「そうですか。診て頂きありがとうございます。」とこれからどうするべきかを聞きながら

心の中で、やっぱりそうか。と私が言う。それに対し、どうしてこの子が…と違う私が言う。私に落ち度はなかったか?と、違う私が色んな私を責める。医師や保健師さんの話なんかちっとも耳に入っては来なかった。

それから一年と少し経って療育手帳が発行され重度知的障害となるまで、そうともそうじゃないとも言われない病院にせかせかと通い、投薬しながら明らかに誰が見ても他と違うこの子をどうするべきか考えながらこの子のベストを探し、いや、これからも探し続けるとは思う。そうしながら悩み、喜び、疲れながら愛して行ける自信だけを持って生きていこうと決めた。

発達障害に関する病院で確定的な診断を受けるまで予約を取ることすら困難だったり、予約にて受診しても検査まで何度も受診を繰り返したり、受診を続けていても検査までが長かったり、かなりの長い月日を要した。


あの頃の私のような親御さんがもしこれを読んでくれていたら、今の私があの頃の私へ率直にかけたい言葉をそのまま受け取って貰えたら嬉しい

その子はすごくあなたを愛してくれてる。目が合わなくても、言葉がラリーしなくても、あなたにだけ怒る事があっても、あなたを空気で感じて心で語りかけてくれてるよ。

あなたがこの子をすごく愛してる分だけ、すごく不安があると思う。その子を抱いて泣かなくてもいい。その子はそのままで充分に幸せ感じてくれてるよ。

今まで大変だったね。これからももちろん大変だよ。でも少しずつ、少しずつ変化は来るよ。

あなたに責任はないんだよ。気付かなかった事があっても罪悪感を持たなくていいんだよ。その子を少し否定したくなったら離れていいんだよ。色んなものを背負おうとしなくていいんだよ。助けてくれる人はいっぱいいるけど向かって来てはくれない。その辺も大変な思いをするけど「たすけて」「どうしたらいいの」って聞いていい。頼っていい。

家も散らかっててもいいし片付け頑張ってもいい。自分が好きなように自分や子供との向き合い方を変えていいんだよ。

すごくすごく逸る気持ちを抑えられなくて色んな情報を調べては落ち込まなくていい。その子はその子だから、その子にだけのものがある。万人の基礎的な事がその子を助けてくれるとは限らないよ。

深呼吸してね。どうか、生きて。先を諦めないで

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