吉澤薫子さん 亡くなって1年 妹を悼む。

思いやりと頑固が同居していたボランティア人生

昨年6月のことでした。彼女が亡くなったのは。
まもなく1年。亡くなったのも1年たったのもあっという間だったな。
流石に喪失感は大きかったけど、父母やダンナ、長女長男の方がもちろんしんどかったろう。

でも泣いても居られないのでそれなりにみんな頑張っている。私も時にスローダウンしながらも酒浸りのサンドバッグのように?ストレス感じないアホのように?ゾンビーがまた起き上がったぞーみたいな感じで盛り返してきた。けど、ちょうど1年、てあかんわ。しんどい。

どうしてもおもいだす。だいぶ忘れかけていたのに。
いろいろ思い出しているうちはいいのだが、ふと、アイツ、死んだんや!居ないのか!と、そのことを思い起こして愕然とするのである。

順番違うかもしれないけど、私は変なヤツやから仕方ない。
もっと優しくすればよかった、あの時無理やり病院に連れて行っていたら?などと思うひとが多いようだが、私は思わない。
「しゃーない」から。済んだこと考えてもしょうがない。それはわかってるんだけど、「アイツ、死んだんや、居てないねんや。」

この不存在の事実の重さはどうしたものか?
しゃーない、ねんけど。

せめて、良いところを思い出して真似しようと思う。果たせなかったことは私がすれば少しははなむけにもなるような気もする。で、生前の善行を思い出そうとするのだが、
酒飲みやったし、なんか意見しても、「私、それあかんねん、できひん」で変えない頑固者である。
いいとこもあって、学童保育に長年通い詰めて、世話役をしていた。あんな頑固ややつにしては、優しいところがあって、自分のことを勘定に入れずに行動してしまう。周りは、心配していいのか?タタキつぶしてしまった方が良いのか?よくわからなかったかも知れない。
(オレもそう言うところあるよなあ。兄弟は他人の始まりというが、それなら最後の親族とも言える。)

兄弟なればこそ、共有できていた感情や思い出もあって、2人で両親に怒って悲しい想いをしていたこともあったし、古びた藤井寺球場の、平日なら誰も咎めない入出場、スタンドで撮った写真は色褪せたカラーである。

想い出はモノクローム、と言うがそうでもなく、冷めた天然色なんだ。ボクの場合は。

アシが痛かったり寂しかったり、いろいろしただろうが最期はヒトのことばかり言っていた?ワンコ元気?と心配してたのが印象に残っている。
ボランティア的な活動やってる人はワガママなところもあるが、最終的には自分が勘定にはいっていない。みんな、ご飯あるか?よかったよかった(自分の分がなかったりする)
何食必要か?は計算すらできないくせに、みんなに行き渡るとヨカツタとか言うてる。祭りの太鼓が壊れたら、修理代全部もって、治ったからええやん、と言うてる。

そんな計算できないけど愛すべきひとびと、妹が同じ仲間で私は本当にしあわせだな、と今想いを抱きしめている。

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