心の健康

医務室の一角に「心の健康相談室」を設けて久しくなりますが、この度、「りゅうぎん」の一頁をお借りして、心の健康に関連したことを、アラカルト(一品料理)風に書いていきたいと思っております。

まず、今回はそのメインテーマである心の健康と言うことを取り上げたのですが、この心の健康、あるいは健康な心と言いましてもなかなか一口では説明しにくい漠としたものがあります。

端的に心が病気でない状態と言われても、それだけではありますまい。それ以上の何かでなくては物足りない気が致します。日本生産性本部メンタルヘルス委員会編さんの『心の健康の基準』なるものによりますと、まず、①心身が十分に機能していること。②環境に積極的に適応していること。③自己の可能性を十分に発揮していること。④情緒的に安定していること(不満、苛立ち、不安などで心の動揺がなく、いろいろな事態に適切に対処できる心の落ち着いた状態)。以上となっており、ひとつひとつ至極もっともなことだと思います。しかしよく吟味いたしますと、どうも労働衛生的な色が濃く、働く人間 (Working soul) を中心に据えて考えており、生きている人間 (Living soul) の側からすると、もう少し考慮を要するような気がします。

つまりこの四つの基準だけを見ると合理主義一点張りの硬質な感じがあり、イメージとして柔らかくぬくもりのある人間味の感触が伝わって来ません。

われわれは働く人間でもありますが、まず各々の人生を生きる人間です。人間をある一面だけからでなく人間全体として考えた場合、心の健康の条件として、生きる喜びを感じていること、生きることでポジティブな意味を見いだすことを加えたいと思います。流行歌の文句ではありませんが「この世は闇さ」とおっしゃる方もおられるかもしれません。難しい人生論は私にはよくわかりませんが、生きていてよかったと思えるようなほんのわずかでもその日その日に喜びや楽しみが持てる生き方が健全ではないかと思います。

また、精神医学も含めて医学は、人生は生きるに価するもの、人生はいいものだと言う認識を基本にしています。これがないと医学という学問も技術も成り立ちません。人生はつまらないものと言われると医学はシラけてしまい、そして世の中で余計なものになってしまいます。あくまで医学は(精神医学も含めて)、人々に生きていることに喜びを持つことを要求します。心の健康に、生きる喜びを加えたいと思います。

更に、もう一つだけ加えたいものがあります。それは他者への愛です。この場合、他者とは自分以外のものを指します。人間はもちろん生きものや生命のない物でも他者になりえます。

いい古された言葉ですが「人間は社会的動物である」といいます、われわれは社会的にも、いや地球的にも宇宙的にも相互依存の原理でもって存在しています。東洋では古代から万物相関、縁起ということを言っています。他者がなければ自分はありえないわけです。自分が幸せなのは自分一人で手に入れたのではない筈です。他者からの影響、相互依存の原理が基本にあります。そして心が健全であればおのずから他者への関心、思いを寄せること、つまり他者への愛が湧いて来る筈です。

他者への愛は自分の存在のための必要条件でもあります。つまり心の健康に他者への愛を加えたゆえんです。

心の健康を突き詰めていくと、その突き当たりには、価値ある人生があるようです。これを数式になぞらえますと人生=f (心の健康+x)となり、人生と言う函数は心の健康やxと言う変数によって決まるようです。xにはいろいろなことがあるでしょう。機会(チャンス)、努力とか、よき伴侶、お金、体の健康あるいは他人よりの愛を加える人もいるでしょう。しかし、生きる喜びと他者を愛する能力があれば、われわれはこの世に生まれて十分にに富んでいるのではないでしょうか。そこで、キザな言い方をお許しいただければ、私の相談室での仕事も、人生の喜びと愛の回復にあるということになります。

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