親の自分 子どもの自分

最近ウメハラジオを聞いていて、これがまたウメハラがいいことを言うんだわ。カリスマ。

格ゲー界隈のおじたちは食える環境自体がない所でも好きだけで頑張ってきた人たちだからウメハラに限らず哲学があってかっこいい人が多い。

そんなウメハラですらこんな失敗をするんだって思った話。

ウメハラはゲームが上手いだけでは食えなかった時代にずっとゲームをがんばっていて、時代が変わってスポンサードされてゲームで勝つことでゲームで人を感動させることで食えるプロになった。

やっとだ、やっと社会的に認められた、これはがんばらなければ!ということで1日に16時間練習する生活を1年続けた。

すると体調がおかしくなってきてある時ふと気づく。

「おれは何のために練習しているんだ?これは自己満足にすぎないのでは。」

スポンサーはウメに16時間練習することを求めているんじゃなくて、ウメハラのキャラと実力で観衆を沸かせ結果企業にとってトクになればいいと思ってスポンサーしている。それにどうやら1日16時間練習するのは効率的ではなく、自分への言い訳にすぎないと気づく。


いや、そらそうやろw

だけど自分も同じような経験がある。

少しやる気がでてきた時期に友人を誘って月にこれくらいはポーカーの稼働しようと持ち掛けて3か月みっちりポーカー漬けの生活をした。

MTTなので生活は深夜型になり、体調と心はすさんだ。バンクだけは増えたけれど、反動でそれから1年近くポーカーを触らなくなってしまった。

自分のペースでやれば年間通してもっと上手になって、もっと心と体の平穏を維持しながら、もっと稼げただろうに。


それでウメハラと同じことを思った。

こんな偏った人間には保護者がいると。

自分だけで決断すると練習をさぼったり、心と体をいい状態にキープするのをさぼったり、いろいろダメ人間が全開になる。

そこで自分の中に親としての人格を自分の中につくってそいつに判断してもらうのだ。

この親は当然自分の長所短所を理解しているので、一般的に言ってさぼりすぎか、がんばりすぎかとかではなく、自分にとって長期的によい結果を、よい人間になれるかを、後で自分に胸を張れるかを監督してくれる。


「少なくともこれくらいはやろうか(自分の限度を知っているので適切)」

「たぶん朝歩いたほうがいいぞ」

「もっと外に出て遊んだほうがいいぞ」

「まあ親のいうことの3割もできたら上出来じゃん(子どもの自分はポンコツなので)」


そうすると過度にさぼりつづけることもなく、かといって変に頑張ろうともせず、長期的にみてとてもいい効果がある。






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