麻雀の議論について

配牌で国士イーシャンテン
9種9牌で流すかどうか?

これはさすがに全員にとって自明なので議論の必要なく、同じ結論に至るだろう。

配牌で国士3シャンテン
そろそろ全員にとって自明とは言えなくなってきたよね。まあ、センスあるやつにとっては自明なのかもな。

配牌で国士4シャンテン9種10牌
これ感覚のみで国士行ったほうが局収支高いっす!自明っす!万一、間違ってたら裸で街歩いたるっす!ってくらい自明感あるやつおる?
おらんよな。

一応統計的には9種10牌は国士行くほうが局収支高いらしい。

でも統計ってドラが何か、自分は親か子か、必要とする牌が字牌残りなのか、19牌残りなのか、それらが別々なのにぜーんぶをサンプルとしているわけで、まさに今目の前の状況を正確に記述しているわけではないよね。

そういう意味で統計って近似なのだな。


だからAさんが「統計ではこの配牌を流さない方がx点得なのかもしれんけど、今回はドラが9sでその9sを今回は持ってないから統計よりも期待値は下がるだろうし、おれの感覚ではその要素が響いて今回のケースは10種10牌でも流すべきだと思うよ。」と言ったとして

それくらいではまだ国士を捨てるには弱くないか?と思っても、厳密な数学のような反証は原理的に不可能で

つまり、麻雀って最後の最後は「期待値感覚」の正しさなので、根っこの根っこは数学じゃないのですよ。根っこの一歩手前までは論理で近づけるけどね。

麻雀が強くなると自明な範囲が広がり、期待値感覚が正しくなっていく。

麻雀がめちゃくちゃ強いやつはボーダーラインの左右5センチくらいだけが自明じゃなくて、麻雀が弱い人はボーダーラインから1メートルくらい離れた大損なことがボーダーな感覚を持ってたりする。

5センチを4センチにするっていうのはね、もう論理じゃ基本無理で、要素の見落としはないかだけ気にしてあとは今までの経験に頼って大量のフィードバックに頼って損得判断するしかない。

1メートルの人にそれは大損と気づかせるには、まだ論理が活躍する余地が大きい。

例えば「要素a.b.cをあなたは打牌選択の理由にしましたがaは放銃率25パーみつもり、bはなんちゃらがyパーで、cはなんちゃらがzパーってあなたは見積もったんですよね?だとしたら矛盾してますよね?その数値で計算してみ?せやろ?まさにあなたが感覚で見積もった数字とそれから導かれる結論としての打牌が矛盾ですね」というふうな背理法が機能する。

または、あまりにもyやzの見積もり感覚自体がおかしい場合にはなぜそう思うのかを聞いて、それはなぜ違うのかをそれこそ統計なりで正していけばいい。大きくはずしてることを修正するのには統計は役にたつ。

そしてyやzというのは本質的に「感覚」のフィールドなんだよね。だって体感での見積もりなんだから。だからこれも根っこの根っこは強い側が弱い側を正しく「論理」で説得するっていうことは原理的にできないんだな。


ここまで議論っていうものがいかに頼りにならないかを書いてきたけど、強くなる上で有用な議論というのも2つある。

ひとつは、要素の見落としに気づかせてくれるもの
例えば、牌理上これはこういう理由で普通の手順では当たらない?あー、確かにー!
とか
役ありは点況的に親絶対だまってくるからぱっと見の河よりかはテンパイしてるよね。あー、その観点はなかったけど、言われたらそうだわー
みたいな

まあ、結局その要素を得たあとはそいつの「感覚計算機」にいれるんだけどね。


もうひとつは
5センチの距離まで強くなった人がこれ全然自明じゃないし2センチクラスの難しさでたぶん論理とかでもう詰めれる領域じゃないし、まーじわからんって局面を自分と同格かそれ以上に強いやつ複数の意見を参考にする。
強いやつの「感覚」の真ん中をとると、かなりボーダーラインに近いと思うから。

このふたつだけが強くなるための議論


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