骨折日記②

右橈骨遠位端骨折の体験談の続きです。ギプス固定は肘上までありました。

骨折後1ヶ月間、①何をしていたのか②何に困ったのかを書いていきます。

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①何をしていたのか

これといって何もしていませんでした😦

ギプス固定中のホームプログラムというのを病院からもらっていたので、それをこなしていたくらいでしょうか。

台所に立っても包丁が使えないので、料理は家族に任せっきりでした。子どもたちのお弁当も本人達が作ったり。

お昼ご飯は自分の分だけなので朝の残りか麺類でやり過ごしていました。

季節が12月でしたので雪が多かった事もあり、買い物にも行かせてもらえず(転ぶと大惨事のため)、引きこもっておりました。

受傷から2週間後も過ぎた頃にはswitchのコントローラーを操作出来るようになったので無人島の開発に勤しむ日々。指のリハビリやーと家族には言ってました😁


②何に困ったのか

ズバリ着替えです!

被りものの長Tシャツ、カットソー、ニットは袖がのびのびになります。ギプスを通過するのも一苦労。

12月だったのであったかインナーを着ていましたがギプスに引っかかって傷だらけになりました…ギプスにかかると動かしづらいので二の腕に溜めてきていました。

24時間身につける服にストレスを感じるのは相当な負担でしたので前がボタンになっていて、かつワンサイズ大きめのパジャマと部屋着を買ってきてもらいました。

それに加えウエストがゴムのボトムスが大事!ジャージって素晴らしい!!

お風呂、食事は①に書いた通りの不自由さがあり、この頃は字を書くことも左手で行っていました。いわゆるミミズのはったような字を書いていました。

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クリスマス前に診察がありまして、レントゲンを撮ってもらい、骨折箇所の白い線を見ながら順調ですと教えてもらいました。

ギプスを切ってもらい、シーネ固定になりました。

手の平を下に向けた状態で下から支えるような形のもので我が家では「半分ギプス」と呼んでいました。長さも肘手前までになり、軽くなりました。

包帯で腕に固定する必要はありますが、お風呂に入るときに全部外せるのが助かりました。

次回はお正月開けに、ということで診察終了。


さて、その日の夜。

ギプスを切ってくれた技士の方に「お風呂でいっぱい垢が剥がれるので全部剥がしたくなると思いますが、擦り過ぎて腕がボロボロになる方が多いので無理に擦らないでくださいね、何日かできれいになりますから」と教えてもらったので(優しい技士さん、ありがとうございました)力技で擦らず、泡でフワフワ洗いました。

それでもベロベロ剥がれました…剥がれなくなるまで何日かどころか2週間くらいかかりました(あれ?)。

シーネ固定になったとはいえ、患部は変色していますし痛みもあるのでお風呂以外は常に包帯で固定していました。もちろん寝る時も固定していました。

自分の手の平ってこんなに重いのか!と感じると同時に、手の平すら支えられない手首…ギプスがないと本当に心許なくて不安でした。


この頃から家族の付き添い有りで外出もするようになりました。

会計時はお財布出すのに手間取り、お金をトレイに置くのにもたつき、レシートを受け取るのにグシャっとし、カバンに財布をしまうのもひと苦労。

以上、全て左手で行いました。いや、大変。


次回はついにリハビリ始まりました!を書いていきます😃




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