自分らしく自由に生きるための強さを手に入れるために・・

現代は匿名でのネットの誹謗中傷やリアルな会社でのパワハラ等が止まない世の中。じゃあなぜそんな世の中かというと、自分らしく生きれないストレスの捌け口が、より自分より弱者に向く構図なのかな、と考察している。

僕は今、100%自分のやりたいことを、そして自分らしい生き方が出来ているお陰で、他者を不当に貶めたり、自分より弱者に高圧的にならずに生きれている。

でも、もし僕がギターでご飯を食べれていなかったらどうなっていただろう。(僕の前職はギター講師)
もしかしたら、会社に就職してもあまりやりがいを感じられず、その結果自己肯定感が下がり、柔術を始めたとしても仕事で疲れ果ててそこまで練習も出来ず、自分で道場を開こうとは思わなかったかもしれない。それで、溜まった仕事のストレスを自分より弱い者にぶつけていたかもしれない。

【弱いものが夕暮れ、更に弱い者を叩く】
THE BLUE HEARTSのTrain-Trainの有名な一節だ。ヒロトの言葉はいつも、人間の本質をこれ以上ないくらいエグく突き刺してくる。

僕らはいつも、見えない自由が欲しくて見えない銃を打ちまくるけど、何が自由かを分からぬまま、めくらめっぽうに突き進んでも本当の自由は見えてこない。自己ととことん向き合って、自分の特性、適正を冷静に見極めることで、初めて自分らしく生きれる自由を手に入れることが出来る。

自由な人間は他人の自由を奪ったり他人を貶めたりしない。でも、本当に自由になるためには、人と違うことを自分の個性、長所だと信じて我が道を行く強さが必要になってくる。

我が道を行く孤独に負けて、病んでしまったことがある。20才くらいだったか。その当時の僕はまだ何者でもなく、ただロックスターを夢見ながらカラオケ屋でバイトをする一店員だった。他のバイトの子とどう接していいか分からず、どんどん孤独になっていった。

26歳の時にギターの講師を辞めて就職をしようと思ったこともある。一晩中ギターと女の話で盛り上がってた友達もそつなく大手に就職決まり、躊躇いがちの出世街道を歩み始めて(これもB,zのPleasure98 という有名曲の一節だよ。興味ある方は是非ご一聴を)自分だけが取り残された感覚になった。
その度に、自分は間違ってない、この先の浮き沈みも歌えば楽し、の精神でなんとかやってこれた。そしてロックスターの夢にはかすりもしなかったが、なんとか20年間ギターの講師としてご飯を食べることは出来た。

この時代に「本当に自分のやりたいことで生きていくためには孤独に強くなる必要がある」ということを学んだ。

そこに気づいてからは基本的に人生はイージーモードになった。他人と同じことをして生きていく必要がない、むしろ他人と違う生き方はチャンスだらけ、だからやりたいことを見つけたらそこに全フリすればいい、失敗してもまた立ち上がればいいだけだ、別に死ぬわけではない。そんな感じでやってきて今に至る。

他者に依存せずに生きる道は、困難も色々あるけど、それに見合うだけの自由が手に入る。若い頃に常に感じていたモヤモヤの正体を、当時は自分で理解出来ていなかったが、なんのことはない。僕はただ自由に生きたかっただけなのだ。

なので、これからもこの自由な生き方を継続していく。この生き方をした結果10年後どうなるかはわからない。でも多分僕はこの先のどんな浮き沈みも楽しめる自信がある。

この道を行けばどうなるものか。 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。 踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。 迷わず行けよ、行けばわかるさ。


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