7 遊んでるだけ ~対話を終わらせないために~
ややこしくてすいませんでした
先日、Facebookでテキトーに投げたこの投稿。
肌感覚の話だけど、いつもよりちょっとだけ反響があるんです。いいねの数はそんなにだけど、リアルであった時にこれに対する反応をさらっと言われたり、他の投稿へのコメントで「これ絶対読まれてるやん…」って言うこと言われたり。
それと同時に、言葉足らずで変に困らせちゃってるなぁとも思い、一回ちゃんとまとめます。
全てのはじまりは2年前にFacebookのこの投稿。
内容を要約すると、こんな感じ。
(いこーえんを知らない生駒市外のお友達は、「公園にいこーえん」でぜひ検索!)
「楽しいだけやから」の原体験
高校は地域創生コースというところに所属していて、奈良の地域創生なので観光がメインでした。なので、いろんな観光イベントのボランティアに参加したり、そこから派生して子ども食堂を手伝い始めたり。
そして、集団の中でガヤガヤ体と頭を動かすのが面白かったので、大学ではイベントを学びたい!となり芸大に入ったという流れもあります。
その頃から一貫している原動力は、「自分が楽しいから参加している」であって、「人を楽しませたいから」「奈良を盛り上げたいから」「困っている人を助けたいから」という動機で動きだしたことはありません。(後からその実感を得てやりがいになることはありますが)
それをただなんとなく続けていたので、いこーえんやMITERIみたいな誰が施して誰が施されているのかが無意識に混在している場所は自然と理解できました。
そんなある日、いこーえんで「ボランティアなんですか?」という質問をされた時に猛烈な拒否反応を感じました。
それは、「子どもたちのために遊んであげてるんですか?」と言われたように解釈したから。
純粋に楽しくて遊んでただけなのに。
それから、「ボランティア」という言葉を意図的に避け続けています。
これは、「ボランティア」自体を否定しているわけではありません。これが素晴らしい取り組みであることは間違いないです。
ボランティアを直訳すると、こんな感じ。
この言葉自体はなんら問題ない。では何を避けているのか。それは、「ボランティアしています」と言ったときにイメージされる姿を避けています。
おそらく大半の人は、「社会貢献」「やってあげる」「自己犠牲」そして、「意識高い」「偉い」という手垢まみれのイメージを抱くでしょう。
しかし、自分が楽しいからやっているだけです。
なので、偉くもないし意識も低い。
もっと褒められるべき人は他にいます。
というのを踏まえて改めて言わせていただきます。
「偉いね」と「意識高いね」って言われるのが本当に嫌で。
よく見てほしい、自分のことしか考えてないから。
チロル堂から会議Vol.1 にて
先週参加した、チロル堂をオープンソース化するための取り組み第一弾。
ホスト3人&伊藤亜紗さん、はっぴーの家の首藤さん、青木純さんの6人でクッソ長いトークショー。
(オープンソースと言いながら「仕組みだけ真似しても上手くいかない」が、ずっと話の焦点だったの最高)
その中でみんながこぞって反応していた言葉。
・利他は漏れるもの by伊藤さん
・エゴの社会化 by首藤さん
これやん!!まさしく!!良い言葉もーらった!!やったね!!
肌感覚に尊敬してる人の言葉がついてきた嬉しい瞬間でした。
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