ヒトはいつから言葉を使うようになったの?

これについてもよくわかっていませんが,状況証拠などから推定することになります.まずは,ホモ・サピエンスにとても近いホモ属であるホモ・ネアンデルターレンシスから話を進めていくことにしましょう.

ネアンデルタール人の言語

ネアンデルタール人が言語を使用していたかどうかについての有力な根拠としては,解剖学的な証拠があります.音声言語を使用すると,舌の筋肉が発達するので舌下神経が発達した形跡が見られるようになります.舌下神経自体はとても敏感なものなので,遺体の一部や化石としては残りにくいという特徴があり,直接は観察できていません.しかし,脳から舌へ通っている神経の大きさの計測はできました.その結果,ネアンデルタール人の舌下神経の太さは,現生人類と変わらないということがわかってきました.また,呼吸を制御する時には横隔膜を活用する必要があります.それで,横隔膜を制御する神経が通る場所である脊柱管の太さを計測してみたところ,ネアンデルタール人の脊柱管の太さも現生人類とそれほど変わらないということがわかってきました.

さらに重要な研究としては,FOXP2遺伝子の解析があります.FOXP2遺伝子とは,特異的言語発達障害という遺伝性の言語疾患を持つ人たちの調査で注目を集めるようになった遺伝子です.イギリスのKE家族において,特異的言語発達障害の人たちには,第7染色体上のFOXP2遺伝子に突然変異があるということが観察されました.

特異的言語発達障害とは,学習障害などの認知上の問題,盲目/聾唖といった感覚上の問題,自閉症といった社交場の問題がないのにも関わらず,言語発達にのみ遅れがある状態のことをいいます.彼らは,言語上の規則を使いこなすことが苦手なので,たとえば「Every day he walks eight miles. Yesterday heの後に続く単語を答えてください」と聞かれると,「walk」などと答えてしまいます.つまり,過去時制の・edが抜けた回答をしてしまうわけです.

特異的言語発達障害の人たちの言語処理中の脳活動をfMRIで計測したところ,ブローカ野の被殻の活動の低下が観察されました.ブローカ野は言語の使用に深く関わっていると考えられている脳の部位で,この部位に何らかの傷害や疾病があるとブローカ失語という疾患の原因になるということがわかっています.このことから,FOXP2は「言語遺伝子」であると噂されたこともあります.しかしながら,この遺伝子は他の遺伝子の行動も制御し,言語産出と言語理解以外にも関わる器官に影響を及ぼすということがわかっています.また,キンカチョウでは,歌の能力の発現に関わっていたり,ネズミでは運動技能や鳴き声の発現と関わっているということがわかっています.たとえば,人間のFOXP2を組み込まれたネズミは,他のネズミと鳴き声が変わるという報告が行われています.

しかしながら,FOXP2遺伝子は脳だけではなく,肺,心臓,骨の形成にも関わる遺伝子で,複数の役割を果たしています.また,言語疾患はさまざまな遺伝子と環境要因に引き起こされる可能性が高いということもわかっています.言語能力は,音声や意味,構造といったさまざまな要因が組み合わさってできた複合的な能力であり,FOXP2のみを,言語能力と結びつけるということは不可能です.しかしそれでも,FOXP2は言語能力を構成する1つのピースであり,これが言語能力の発現と深く関わっているということは間違いありません.

ネアンデルタール人が現生人類と交配していたという研究において中心的な役割を果たしたスヴァンテ・ペーボは,ネアンデルタール人のゲノム解読においても大きな成果を残しました.ペーボは,FOXP2遺伝子によって作られるタンパク質が,チンパンジーとネズミが分岐した後の1億年以上の間,ほぼ同じだったということをつきとめました.そして,ヒトとチンパンジーの共通祖先が分岐した後のヒトの系統において,タンパク質に2つの変化が起こっていたということも発見しました.つまり,この2つの変化はホモ・サピエンスもホモ・ネアンデルターレンシスも共有していたということがわかります.さらに,ペーボは3つめの突然変異もつきとめました.これは,現生人類のほぼ全員に見られ,いつどこの細胞においてFOXP2がタンパク質に変わるのかを決める役割を果たしています.この3つめの変化はネアンデルタール人にはないと考えられるため,現生人類がネアンデルタール人と分化した後に起こったものと考えられています.つまり,FOXP2という遺伝子の観点からいえば,現生人類は3つの変化のうち2つの変化をネアンデルタール人と共有しているということがわかります.

このことから,いったいどのようなことが言えるでしょうか.決定的ではありませんが,最初の2つの変化により,ネアンデルタール人には言語能力に近いものがあった可能性が高いということは言えるでしょう.しかしながら,3つめの変化が決定的に重要であったとすれば,言語を使うのに十分ではなかったという推測ができます.

実際のところ,ネアンデルタール人には何ができたのでしょうか.少なくとも,解剖学的な観点からいえば,複雑な音声が出せる土台は持っていたものと考えられます.つまり,言葉にはなっていなくとも,歌は歌えていたのではないかという推測ができます.スティーブン・ミズンは,ネアンデルタール人には歌が歌えていたという可能性について,色々と考察していることで知られています.

ネアンデルタール人に歌が歌えていたということに関して,興味深い議論があります.彼らが音符のようなものを残していれば,歌が歌えていたという決定的な証拠になりますが,そのようなものはありません.しかしながら,楽器は後世に残る可能性があります.スロヴェニアのディウイェ・バーベ洞窟で,4万3千年前のホラアナグマの骨が見つかりました.これには,フルートのような穴が開いていたのです.復元作業を行ったところ,フルートのような美しい音色を奏でることができるということが分かりました.仮にネアンデルタール人がフルートを使いこなしていたというのであれば,彼らが音楽を使用していたという重要な証拠になりますが,残念ながらこの骨の穴はハイエナが囓ってできた偶然が高いということが判明しました.もちろん,これだけでネアンデルタール人がフルートを使っていた可能性を否定することはできません.たまたま穴の開いた骨を加工し,それをフルートとして使用していたという可能性も十分にありえるからです.この問題については,また新たな資料が出てきた時に話題になるのではないでしょうか.

ミズンは,音楽には癒やしの効果があり,感情の制御に役立つことから,ネアンデルタール人がメロディを奏でていたという論を展開しています.一方で,ネアンデルタール人に複雑な音声が出せたのに言語が使えなかったと考える状況証拠はあるのでしょうか.ミズンは,ネアンデルタール人が言語を使用していたという見解には否定的です.ミズンはその根拠として,ネアンデルタール人の共同体が小さく,他の共同体と交流した形跡がないことと,文化の固定性について指摘しています.音声言語が発達していたとすれば,これを利用して大きな集団を作ったり,大規模が交流がありえたはずですが,そういう形跡は残っていません.また,ネアンデルタール人の25万年前の頃の石器や生活様式が,3万9千年前の絶滅寸前の頃と全く変わっていなかったということは,言語を介して自分たちの文化を伝えて発展させることができなかったという間接的な証拠になると考えているのです.他にも象徴的な人工物がないことが,言語を使っていなかった証拠だと主張していました.しかし,既に述べましたが装身具やストーンサークルなど,象徴的な芸術作品や遺跡を残していたことが最近になってわかったため,これは証拠として採用することができなくなってしまいました.

他にも,Fujita (2018)がネアンデルタール人が言語を使用していなかった証拠として,弓矢の不在を挙げています.弓と矢を作る技術には,エピソード記憶の中の自伝的記憶が必要です.しかし,ネアンデルタール人に弓と矢を作った形跡はありません.ネアンデルタール人が作成した石器の槍先は見つかっていますが,鏃ほど小さくなく,衝撃剥離が小さいということがわかっています.弓矢を使うと,鏃は獲物に勢いよく刺さるため,その衝撃が大きくなります.一方,槍か洗練されていない投槍器を獲物に投げつけても,鏃ほどの衝撃がかかるわけではありません.そのため,衝撃剥離の規模が小さく,箇所も少ないのです.ネアンデルタール人の遺跡から,衝撃剥離の大きい鏃のような石器は見つかっておらず,そのため彼らが弓矢を作ったり,使用した形跡がないと言えるのです.こういった状況を考えると,ネアンデルタール人が言語を使用していた可能性が低いと推測できるのです.

このように,ネアンデルタール人が言語を使用していたかどうかについては,現在の手に入る証拠から考えれば,「その可能性は少ない」と言わざるを得ません.ということは,FOXP2の3つめの突然変異は言語の発現に大きな役割を果たしたということになります.しかし,ネアンデルタール人がどのような人たちであったのかということについては,ここ最近で随分と見方が変わってきました.今後もさまざまな発見が出てくることによって,この見解も変わっていくのかもしれません.ただし,現段階で証拠がないことについては,沈黙しておかないといけません.しかしながら,証拠の不在は,不在の証拠でもありません.この問題については,これからいろいろとわかることも増えてくることでしょう.

ホモ・サピエンスはいつから言語を話せるようになったの?

というわけで,言語はホモ・サピエンスから話せるようになったと考えるのが適切です.それでは,いつから言葉を話せるようになったのでしょうか.

確実に言えるのは,5万年前前後には確実に使えていたということです.この頃になって,ホモ・サピエンスの生息圏が大きく広がり,石器の技術が一変し,さまざまな芸術作品が見つかるようになり,生活様式が一新されたということがわかっています.洞窟に壁画が描かれ,ドイツのシュターデル洞窟では,頭がライオンで直立に立っているライオン人間という4万年前の彫刻が発見されました.インドネシアのスラウェシ島の洞窟では,身体の一部が人間,一部が動物の生き物たちが,槍と縄のようなもので狩りを行っている4万4千年前の絵も見つかりました.また,イタリアのカヴァロ洞窟で見つかった4万5千~4万年前の石器の一部は,鏃か洗練された投槍器の一部に使用されたということも分かりました.つまり,ヨーロッパにやってきたホモ・サピエンスは,この頃までには既に弓矢か投槍器を使いこなせていたわけです.弓矢は6万4千年前頃に南アフリカで,投槍器は7万~6万年前に東アフリカで使用され,これらを使用していたホモ・サピエンスが中東を経由してヨーロッパに到達し,その後,アジアに到達したと考えられています.実際,3万8千年前に日本に到達したホモ・サピエンスは弓矢か投槍器を使っていたようです.また,南アフリカ南岸のブロンボス洞窟では,赤褐色のハッシュタグのような7万3千年前頃の絵が話題になりましたが,単純な編み目やハッシュタグ模様は10万年前頃から,そして5万年前,3万年前くらいにかけてのものが土器の破片のようなものや,ダチョウの卵に描かれているのが見つかっています.

古代人の芸術作品

他にも興味深い研究があります.音素とは,ある言語共同体において異なる音と認識される最小の単位で,その数は言語毎に違いがあります.たとえば,日本語は母音が5こ,子音が16こ,特殊な音素が3つの合計24音素だと考えられていますし,英語では子音が24こ,母音が20こで合計44音素だと考えられています.音素という観点からは,日本語も英語も特殊な言語ということはなく,特別多いわけでも少ないわけでもありません.

それでは,音素が特別多い言語や少ない言語では音素がどれくらいあるのでしょうか.WALSという世界中の言語を記録しているデータベースがあるのですぐに調べられるのですが,音素が一番少ない言語はパプアニューギニアで使用されているRotokasという言語と南アフリカのアマゾンの奥地で話されているピダハンで11音素だと考えられています.一方,一番多い言語はアフリカのボツワナで話されている!X'ooという言語で112音素だと考えられています.

音素の数は何が原因なのでしょうか.まずは,地理的な要因から大まかな傾向で考えると,アフリカ諸語の音素は多い傾向にあり,オセアニアや南アメリカは少ない傾向にあります.ホモ・サピエンスがアフリカを出て世界に拡散していった話をしましたが,オセアニアや南アメリカは人類がアフリカを出て到達した一番遠い地域に当たります.というわけで,言語の発生当初は音素が多く,拡散するに従って少なくなっていくという研究があります.ただ,人類が拡散した後には,ボトルネック効果を生じさせるイベントがあったり,その後も大航海時代や大英帝国の時代,大規模な人の移動が伴う時代や多くの言語の消失といったイベントがありました.また,異なる民族同士の接触によって,言語も変化していきました.このため,簡単に計算できるものではなかったりします.また,人口サイズと音素の数には正の相関があったり,言語的には大規模な接触がなくとも地理的に近い言語は音素の数が似通ったりする傾向があったり,孤立化したコミュニティでも独特な音素の変化があったりと,一概に言語変化の傾向を捉えるということは必ずしもできません.こういった状況がありつつも,音素変化の傾向を大規模に計算してみたところ,人間言語はおおよそアフリカの中石器時代,つまり35万~15万年前頃には出現してた可能性が高いという事実も指摘されています.これは,ちょうど現代ホモ・サピエンスが出現してきた頃と一致するものであり,言語はこの頃に出現してきたと考えて間違いないのかもしれません (Perreault 2012).

他に興味深い話として,弓矢や投槍器と言語の関連について研究している佐野勝宏教授たちの研究があります.佐野氏は主に衝撃剥離に基づいて弓矢や投槍器との関連について研究してきた考古学者で,ホモ・サピエンスと弓矢・投槍器の関連と世界への拡散について研究してきました.腕力でネアンデルタール人に劣るホモ・サピエンスも,弓矢や投槍器があればネアンデルタール人との生存競争に勝てたという仮説を立ています.

弓矢を形成するには,弓の部分で弦と棒,そして矢の部分で鏃,シャフト,羽根といった階層構造が必要となります.つまり,言語の構造と同様の構造がみられ,言語を使いこなすのに必要な構造理解と弓矢形成の理解に相関があると考えているわけです.この仮説が正しければ,弓矢を使えるようになっていた頃には言語があったと考えられるわけですから,弓矢の存在から言語の存在を間接的に推測することが可能になります.衝撃剥離に基づいた弓矢の存在は南アフリカで6万4千年前頃,投槍器は東アフリカで7万~6万年前頃,その後,レヴァントで6万~5万年前頃,ヨーロッパやアルタイで4万8千年~4万5千年前頃,日本で3万8千年前頃,オセアニアで6万5千~4万7千年前頃に確認されています.ということは,この頃までにはホモ・サピエンスは言語を獲得していたことは間違いなさそうです.

また,オルドワン型の石器では,階層構造のない行為連鎖でも作成が可能,前期アシューリアン石器の頃に階層構造が観察されるようになり,さらに後期アシューリアン石器の頃には複雑な階層構造が見られ,作業記憶がかなり増大したことの反映であると佐野氏たちは考えています.アシューリアン石器がかなり洗練された,ホモ・サピエンスによるアフリカの中期旧石器時代,ネアンデルタール人によるヨーロッパの中期石器時代にはかなり複雑な階層構造のある石器が誕生してきています.つまり,ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の共通祖先の段階で既に階層構造を理解する認知基盤が出現してきていた可能性も示唆されています.もしくは,この頃に既に言語が誕生してきていたと考えることも可能なのかもしれません.

といった話を総合すると,10万年前前後には確実に言葉を話せるようになったホモ・サピエンスが存在し,5万年前までには言葉を話せるホモ・サピエンスが一般的であったということが言えるでしょう.起源としては,さらにこれ以上遡る可能性はありますが,まだ確実なことは言えなさそうです.

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