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三浦篤(2001)「まなざしのレッスン」 から学ぶ「西洋伝統絵画」の見方

本稿は、筆者の個人的な「西洋絵画」鑑賞力向上のための読書noteである。

三浦篤『まなざしのレッスン1 西洋伝統絵画』東京大学出版会、2001年(以下、「三浦(2001)」と記す)は、東京大学教養学部で行われた講義をもとに書き下ろされ、教科書の体裁をとった「実践的美術書」。14、15世紀から19世紀初めの西洋絵画を対象に、神話画、宗教画、風景画、静物画など主題別に12章からなり、各章は代表的作品の分析、ジャンル全体に対するポイント、「絵画の表現形式や受容のされ方に関する重要な視点」で構成されている。


1. イメージの時代

問題意識

  • 現代は視覚文化全盛の時代。我々はイメージ時代のただなかを浮遊している。朝起きてから夜寝るまで、多種多様なイメージ群(テレビ、写真、看板、車内広告、漫画、映画、ビデオ、CGなど)に窒息させられる。

  • イメージの氾濫は我々の網膜を疲労させ、感覚を麻痺させる。こうしためくるめく映像文化の時代に、生き生きとした感性を保ちながらたくましく乗り切って生きるためには、もう一度「見ること」を意識化し、自らの「視覚戦略」を立て直す必要がある。

  • 大切にすべきことは、良質のイメージをじっくりと見て、目に栄養を与え、感性を更新すること。「見ること」を媒介にして他者(の新たな価値)を発見し、自らを再発見すること。そのために、「西洋絵画」と接する視覚体験を通じた「見ること」の力を再構築することが本稿の目的。

「絵の見方」を学ぶこと

  • 目的は、具体的な絵の見方、イメージの解き方を学ぶこと。絵というものは、自分流に見ても十分面白いが、筋の通った見方を知って接すると、もっと深く、さらに面白く見えてくるもの。

  • また、我々は必ずしも「自分の眼」で「自由に」眺めているわけではない。どこかで読んだ話、どこかで聞いた断片的な知識が自分の絵の見方に作用している。「視線」は本来決して「無垢」ではない。見るという行為は「学ぶもの」であり、まなざしは既に教育されているもの。最初はおずおずと「他人の眼」を借りて、「不自由に」眺めているもの。

  • ならば、「無垢なまなざし」が存在しえない以上、中途半端でなはく、しっかりとした装備を行った方が実り多い。重要なことはむしろ最初に適切な「型」を学習してしまう、それなりの「こつ」をマスターしてしまうことで、後はそれを自分に合うように少しずつ修正してゆく。

  • それは、独自の「感性」や「個性」を否定することではなく、無から有は生まれないこと、「感性」も学ぶ余地があり、他者の模倣から出発しない「独創的感性」は存在しないこと、「個性」や「独創性」は後から付け加えればよい。

様々な「受胎告知」とマリアの諸相

レオナルド・ダ・ヴィンチ《受胎告知》1472年、ウフィツィ美術館

受胎告知(Annunciation)とは、「新約聖書」に書かれたエピソードの1つ。聖告(せいこく)、処女聖マリアのお告げ、生神女福音(しょうしんじょふくいん)とも言う。処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる出来事。

六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

「ルカによる福音書」(1章26節から38節)

マリアの「諸相」と様々な「受胎告知」

レオナルド初期の《受胎告知》(1472)は、普遍化、典型化を志向しつつ、「戸惑い」のみならず「思慮」も「問い」も潜在的に含むような総合的なマリア像を描き出した。

2. 神話画

神々の姿を見分ける

アトリビュート
アトリビュート(attribute)は、西洋美術において伝説上、歴史上の人物または神話上の神と関連付けられた持ち物。その物の持ち主を特定する役割を果たす。持物(じもつ・じぶつ)ともいう。

アルベルティ(1435)「絵画論」と歴史画

  • 「歴史画」とは、歴史上の出来事を表す絵だけを指すのでなはく、より正確には「物語画」と名付ける方が本来の意味に近い、より広いジャンル。その主題が神話や宗教、狭義の歴史、文学や寓意など登場人物が主題に即した意味のある行為をなす場面を描くジャンルの総称。西洋伝統絵画において扱う主題のうちで最も上位の序列にある。

  • アルベルティ(1435)「絵画論」は、これ以降19世紀までに存在する古典的な西洋絵画の根本原理を提示した重要著作。アルベルティによる「歴史画」とは、次にような特徴を持つ。物語と調和したかたちで各部分が緊密に結び合わされた構図を有すること。描かれるものが豊富で多様であり、人物や動物、建物、風景など多種多様なモチーフが描かれること。描かれた人物はその身振りや表情を通して、心の動きつまり感情が付与されること。アルベルティは「賞賛や感嘆に値する歴史画は、学者、無学者を問わず、それを眺める人の眼を奪い、魂を感動せしめるほど、快く愉快に人々の心を引き付けるものである」と語る。

  • その後の西洋絵画史を見渡しても、歴史画の主題の最大の典拠となるのは、結局のところギリシア・ローマ神話と旧約、新約の聖書であり、西洋文明の根幹をなる古典古代文化とキリスト教文化こそが絵画の世界をも価値付けている。そうした英雄的な物語や聖なる逸話をいかに絵筆で血肉化するかに画家たちの多大な努力が傾注され、様々な技法が開発された。絵画の造形的な美しさをある程度まで鑑賞できても、主題の内実を知らないことには作品の総体を真に理解することはできない。

ルーベンスの「パリスの審判」とギリシャ神話の神々

ルーベンス《パリスの審判》1632-1635年、ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

画面前景に描かれている3人の女性のうち、真ん中にいるのが愛と美の女神、ヴィーナスであり、両手を頭の上に上げているのが知恵・工芸・戦争の女神、ミネルヴァで、ヴィーナスの右隣にいるのが結婚の女神、ユノである。上空には、暗い雲が広がっている。
ミネルヴァは、薄い衣服をちょうど脱いだところである。彼女の傍らには、ミネルヴァのフクロウが描かれている。ヴィーナスは、画面右端で座っている若い男性のほうに視線を向けており、そちらに歩みを進めようとしている様子である。ユノは、毛皮が裏についている豪華な赤い衣装を脱いでいるところである。ユノの足もとには、彼女のアトリビュートである雄のクジャクが描かれている。
座っている男性は、羊飼いのパリスであり、杖を持ち粗末な格好をしている。パリスは、目の前に並んでいる3人の女神の中で最も美しいと思った女神に、黄金の林檎を与えようとしている。クジャクは、パリスの犬を威嚇している様子である。
パリスの後ろにいる男性は伝令神、メルクリウス(ヘルメス)であり、一対の翼が付いた帽子を頭に載せ、右手を木の幹に置き、左手にはケーリュケイオン(カドゥケウス)と呼ばれる、2匹のヘビが巻きついた杖を持っている。ミネルヴァの傍らには、メドゥーサの生首が付いた楯の他に、が描かれている。メルクリウスの後方には、ヒツジが描かれている。画面上部中ほどには、ヘビとたいまつを手に携えた復讐の女神、アレクトが雲の中から現れている様子が描かれている。

Wikipedia「パリスの審判 (ルーベンス)

ギリシャ神話の神々
ギリシア名(ローマ名/ 英語名)|アトリビュート|代表作

主題と形態の伝承
画家は同じ主題を繰り返し描き、練り上げる(ルーベンスの3作)。優れた画家は、同じ主題の名画を先行研究し、その主題や形態を取り入れる(ラファエロ/ ライモンディからルーベンス、ルーベンスからルノアール)。必ずしも、主題と形態は同一に伝承されるものではない(ルーベンスの同一形態の異なる主題への適用)。

神々の物語を読む

オウィディウスの「変身物語」(Metamorphoses)
『変身物語』(ラテン語: Metamorphōseōn librī)は、古代ローマの詩人オウィディウスによるラテン文学の古典。神話原典のひとつである。『転身物語』、『メタモルフォーゼ』などとも呼ばれる。15巻で構成されており、ギリシア・ローマ神話の登場人物たちが様々なもの(動物、植物、鉱物、更には星座や神など)に変身してゆくエピソードを集めた物語となっている。中世文学やシェイクスピア、そしてグリム童話にも大きな影響を与えた。ナルシストの語源ともなった、ナルキッソスが呪いにより自己愛に目覚め、やがてスイセンになる話、そのナルキッソスを愛するエコーが木霊になる話、蝋で固めた翼で空を飛んだイカロスが墜落死する話、アポロンに愛されるもゼピュロスの嫉妬によりアポロンの投げた円盤に当たって死んでしまうヒュアキントスがヒヤシンスの花になる話などのエピソードが収められている。これらのエピソードは画家たちの想像力を大いに刺激し、たくさんの名作を生み出させた。

プッサンの「フローラルの王国」
この絵のもたらす安定感と律動感は、古典的な三角形構造と、2人1組の人物群の巧妙な配置に大きく負っている。そのモチーフの対構造あるいは双子構造は、たまたまプッサンが試みたというよりも、画面に内在的な力動感を与える1つの手法として、多数の人物が登場する「歴史画」にしばしば観察される特徴と思われる。例えば、ルーベンス《東方三博士の礼拝》1624年、アントウェルペン王立美術館 にも似た画面構成がうかがえる。プッサン《フローラの勝利》1627-1628年頃、ルーヴル美術館 には別の構成原理が働いている。<三浦(2001)p54>

プッサン《フローラの王国》1630-1631年、アルテ・マイスター絵画館

This subject is taken from the fabulous stories of the individuals metamorphosed into flowers who are here represented as engaged in those acts which preceded their change. In the centre of the group are Narcissus and Echo; the former is bending over a vase of water, sighing with love of his own image; the latter sits by, gazing on him with enamoured eyes. Beyond these is Clytie viewing with rapture the God of Day pass in his refulgent chariot through the heavens. On the left is Ajax, disappointed in his ambition, perishing on his own sword. In the opposite side is Smilax lying on the lap of Crocus; and a little retired from these is the young huntsman, Adonis, with a spear in his hand, and two dogs near him; and still more remote stands the beautiful Hyacinthus. In the midst of these, Flora is seen dancing in exulting triumph, scattering flowers over the pining lovers around her. Several cupids, linked hand in hand, are behind the goddess, and a solitary one lies close to the front with a bunch of flowers in his hand. The scene exhibits the parterre of a garden surrounded with bowers.
This picture was painted for the Cardinal Omodei. Engraved by Audran

Smith, John (1837). A Catalogue Raisonné of the Works of the Most Eminent Dutch, Flemish and French Painters: Nicholas Poussin, Claude Lorraine, and Jean Baptist Greuze. Vol. 8. London: Smith and Son. pp. 126 (no. 243), 135 (no. 269).

3. 宗教画

宗教画と聖書

宗教画の特徴
ー 神話画:明るく広がる水平のイメージ
ー 宗教画:深い濃淡のある垂直のイメージ

聖書の世界
ー 旧約聖書:ヘブライ語でかかれたユダヤ教の聖典(39の「正典」文書と、「創世記」「詩編」「雅歌」などの「外典」)
ー 新約聖書:ギリシャ語でかかれたキリスト教の聖典(キリスト教徒はいずれも聖典とみなす)
ー 旧約と新約の違い(聖書入門.com

創世記の物語

イサクの犠牲の物語
「イサクの犠牲」(The Sacrifice of Isaac)、または「アブラハムの燔祭」(蘭: Het offer van Abraham、英: Abraham's Sacrifice)は、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというもの。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって讃えられている。

カラヴァッジオは、クライマックスの瞬間を現実的な場面として構成し、父アブラハムと子イサクの心理的な緊張感を表現した。神の御使いの声は視覚化できないので天使を介在させ、飛来した主の御使いをアブラハムが振り返るかたちにした。加えて犠牲になる雄羊も書き込んだ。
<三浦(2001)p60>

Sacrifice of Isaac by Caravaggio (Uffizi version)

レンブラントも、神の御使いによる救出という古来の伝統場面に従っているが、異なる演出をした。白髪のアブラハムは、がっしりとした手でイサクの顎を押させつけて目を塞ぎ、喉を露出させている。上方からの強い光線がイサクのか弱い裸体を照らし、御使いは神のメッセージを伝えつつアブラハムの手首を掴んでナイフを落下させている。この主題の絵画化において、イサクの代わりに捧げものとして授かった雄羊を描くのが一般的であるが、レンブラントは雄羊を省略した。<Wikipedia イサクの犠牲(レンブラント)

創世記」に取材した9つの場面

ミケランジェロ《システィーナ礼拝堂天井画》1508-12年、バチカン宮殿

出エジプト記」のモーセ

旧約聖書の人物たち

旧約聖書「サムエル記」の、イスラエル王ダヴィデとヒッタイト人ウリヤの妻バテシバとのエピソードを描いた絵画は多い。「サムエル記」では、水浴中のバテシバを見染めたダヴィデが強引に関係を持ってバテシバを妊娠させたとなっている。そしてダヴィデは、人妻を妊娠させたという自身が犯した罪を隠してバテシバと結婚するために、バテシバの夫ウリヤを戦地へと赴かせ、将軍に対してウリヤを敵地に置き去りにして殺させるように命じた。<Wikipedia ダヴィデ王の手紙を手にしたバテシバの水浴

Rembrandt, Bathsheba at her Bath (1654). Louvre, Paris

旧約聖書の「大岡裁き」:ダヴィデとバテシバの2人目の子として生まれたのがソロモン。ダヴィデの死後、王となったソロモンはエジプトのファラオの娘をめとり、ギブオンで盛大なささげものをした。そこで神がソロモンの夢枕に立ち、「何でも願うものを与えよう」というと、ソロモンは知恵を求めた。神はこれを喜び、多くのものを与えることを約束した。ここからソロモンは知恵者のシンボルとなり、ソロモンが子供のことで争う2人の女の一件で賢明な判断を示した逸話(ソロモンの審判)は広く世界に伝わり、後に江戸時代の大岡裁きの話にも取り込まれた。<Wikipedia ソロモン

外典の主題は、官能性と残忍さ

陰影と明暗の表現
キアロスクーロ(Chiaroscuro)とはイタリア語で「明-暗」という意味で、明暗のコントラスト(対比)を指す言葉。それを用いた技法が「明暗法」「陰影法」である。16世紀のマニエリスム絵画とバロック絵画では、強烈な明暗が人気になった。暗い物体が、単一でしばしば目に見えない光源から放たれる一条の光によって劇的に照らされるという、構成的な明暗法を発展させたのが、ウーゴ・ダ・カルピであり、ジョヴァンニ・バリオーネであり、カラヴァッジオであった。とくにカラヴァッジオは、劇的な明暗法が支配的な技法となるテネブリズムの発達に重大な貢献をした。<Wikipedia キアロスクーロ

新約聖書とタイポロジー

新約聖書の物語
「新約聖書」(New Testament)は、1世紀から2世紀にかけてキリスト教徒たちによって書かれた文書で、「旧約聖書」とならぶキリスト教の正典。27の書が含まれるが、それらはイエス・キリストの生涯と言葉(福音と呼ばれる)、初代教会の歴史(「使徒言行録」)、初代教会の指導者たちによって書かれた書簡からなっており「ヨハネの黙示録」が最後におかれている。物語の内容はイエスが生まれる前までは旧約聖書に、イエス生誕後は新約聖書に記される。
「新約聖書」の世界が旧約のそれと本質的に異なることは、旧約は神との契約に基づく「律法下の世界」を表すのに対して、新約は神の愛に基づく「恩籠下の世界」を示す点にある。新約の意義を突き詰めると、人類の始祖アダムが犯した原罪がイエスの十字架磔刑(たっけい)によって贖われること。イエスが犠牲になることで人間が贖罪され、魂の救済の可能性が開けること。この点にこそキリスト教の本質があり、西洋絵画においてキリスト磔刑図が圧倒的に多い理由は、その教義上の重要性からして当然の結果。<三浦(2001)p78>

タイポロジーとは?
予型論的解釈(Typological interpretation)は、ユダヤ教、キリスト教において古くから一般的に行われている聖書解釈法の一つ。旧約のうちに、新約、特にイエス・キリストおよび教会に対する予型を見出す解釈法。キリスト教では新約・キリストの方が原型であり、旧約に示された雛形が予型(予め表されている」と解釈する。歴史的には後者が先であるが、予型論的解釈においては後者から前者を理解し、2つの世界を結びつけて理解する。
例えば、旧約の主題である「ダヴィデとゴリアテの戦い」はキリストとサタンの戦いの「予型」であり、「アブラハムによるイサクの犠牲」は神によるキリストの犠牲の「予型」とみなされる。いずれもあくまでキリスト教の立脚点から、旧約聖書を対比的に解釈する態度。<三浦(2001)p78>
以降、新約聖書の主題を表した絵画をキリストの生涯に即して見ていく。

キリストの生涯と様々な主題

Model of Capella degli Scrovegni, which is a church in Padua, Italy

スクロヴェーニ礼拝堂
1305年に完成したジョット・ディ・ボンドーネが描いた、一連のフレスコ絵画で知られる。「受胎告知」の後に、「キリスト降誕」から「聖霊降誕」に至るキリスト伝24場面に加え、先行する聖母マリアとその父ヨアキムの生涯が計12場面描かれている。キリストの生涯は「幼児伝」「公生涯」「受難」「復活」の4サイクルに分かれ、ジョットの壁画もその順にそって進む。

「幼児伝」「公生涯」(奇跡の顕現、使途の召命)

キリストの受難
「受難」は「最後の晩餐」にはじまり
、キリストの逮捕に終わる。
レオナルド《最後の晩餐》「最後の晩餐」の登場人物(12使途)は、以下が定説。(向かって左から、顔の位置の順番に)バルトロマイ - テーブルの左端、つまりイエスからもっとも離れた位置におり、イエスの言葉を聞き取ろうと立ち上がった様子。小ヤコブ - イエスと容貌が似ていたとされる使徒。左手をペトロの方へ伸ばしている。アンデレ - 両手を胸のあたりに上げ、驚きのポーズを表す。イスカリオテのユダ - イエスを裏切った代償としての銀貨30枚が入った金入れの袋を握るとされる。ペトロ - 身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに何か耳打ちしている。ヨハネ - 十二使徒のうちもっとも年少で、聖書では「イエスの愛しておられた者がみ胸近く席についていた」と記される。トマス - 大ヤコブの背後から顔を出しており、体部は画面ではほとんど見えない。右手の指を1本突き立てているのは、「裏切り者は1人だけですか」とイエスに問い掛けている姿と解釈されている。大ヤコブ - 両手を広げ大袈裟な身振りをしている。フィリポ - 両手を胸にあて、イエスに訴えかけるような動作をしている。マタイ - テーブル右端のマタイ、タダイ、シモンの3名は互いに顔を見合わせ、「今、主は何とおっしゃったのか」と問い掛けている。タダイシモン

ドメニコ・ギルランダイオが制作した「最後の晩餐」フィレンツェ周辺の3カ所に現存している。いずれの作品も、イエスと十二使徒たちを描いたものであり、ユダは「長いテーブルの手前側にひとりだけ配される」という、キリスト教芸術における「最後の晩餐」一般的な描き方が用いられている。

「受難」のクライマックスは、キリスト逮捕の主題(ルカによる福音書)。「最後の晩餐」の後、ユダによる裏切りを知ったキリストは、エルサレムの郊外オリーブ山の麓にあるゲッセマネに弟子たちを連れていき、ペテロ、ヤコブ、ヨハネとともに園の中に入る。キリストは3人に祈るように命じて自分は近くに跪き、「父よ、みこころならばどうぞこの杯 (神の裁き、または怒り) を取りのけてください。しかし、わたしの思いではなくみこころがなるようにしてください」と祈る。その時、天使が現れ、キリストを力づける。キリストは苦しみ悶えて神に祈り、その汗は血の滴りのように地に落ちる。祈りの後に、キリストは弟子たちが深く居眠りをしているのに気づき深く悲しむ。そこへユダに率いられてた群衆がキリストを捕えにやってくる。そして、クライマックスは「ユダの接吻」。すべてを見通す透徹したまなざしを向けるイエス、精一杯の虚勢でそれを見返すユダ、西洋絵画史でこれ以上スリリングな視線の対決を探すのはおそらく不可能。
<三浦(2001)p89>

Giotto, The Arrest of Christ (Kiss of Judas), Part of Cycle of the Life of the Christ (1304-16), Capella degli Scrovegni

十字架磔刑、降下、復活、そして最後の審判
最後の審判(Last Judgement)とは、ゾロアスター教およびアブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)が共有する終末論的世界観。世界の終焉後に人間が生前の行いを審判され、天国か地獄行きかを決められるという信仰。特にキリスト教においては「怒りの日」と同義に扱われる。<Wikipedia 最後の審判

礼拝像およびその他の主題

フレスコ壁画
フレスコ(英語: fresco、イタリア語: affresco)は、絵画技法のひとつ。この技法で描かれた壁画をフレスコ画と呼ぶ。西洋の壁画などに使われる。フレスコは、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描く。やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とする。逆に、一旦乾くと水に浸けても滲まないことで保存に適した方法だった。失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すほかはない。古くはラスコーの壁画なども洞窟内の炭酸カルシウムが壁画の保存効果を高めた「天然のフレスコ画」現象と言うこともできる。古代ローマ時代のポンペイの壁画もフレスコ画と考えられている。フレスコ画はルネサンス期にも盛んに描かれた。ラファエロの『アテネの学堂』やミケランジェロの『最後の審判』などがよく知られている。

板絵
板絵(いたえ)またはパネル絵、パネル画は、一枚あるいは組み合わされた数枚の木製のパネル(板)の上に描かれた絵画。キャンバスが普及する16世紀半ばまでは、フレスコ画に使用された壁や装飾写本ミニアチュールに使用された羊皮紙に比べて、絵画制作にもっともよく使用された支持体だった。板に描かれた各国の伝統的絵画は多く存在し、現在でも板に描かれる絵画もあるが、板絵という用語は西欧で描かれた絵画を意味することが一般的となっている。

祭壇画
祭壇画またはアルターピース(altarpiece)は、教会の祭壇飾りのこと。具体的には、宗教的題材を描いた絵もしくはレリーフを、教会の祭壇背後の枠の中に取り付ける。祭壇画はしばしば2つないしそれ以上の分かれたパネルから成り、パネルは板絵の技法で作られる。パネルが2つなら二連祭壇画 、3つなら三連祭壇画、それ以上なら多翼祭壇画と呼ばれる。祭壇の前を飾るものはアンテペンディウムという。

ヘントの祭壇画
ヘントの祭壇画』(蘭: Gents altaarstuk)または、『神秘の子羊』『神秘の子羊の礼拝』(蘭: Het Lam Gods)は、複雑な構成で描かれた非常に大規模な多翼祭壇画。板に油彩で描かれた初期フランドル派絵画を代表する作品の一つで、ヘントのシント・バーフ大聖堂(聖バーフ大聖堂)が所蔵している。12枚のパネルで構成されており、そのうち両端の8枚のパネル(翼)が畳んだときに内装を覆い隠すように設計されている。これら8枚のパネルは表面(内装)、裏面(外装)ともに絵画が描かれており、翼を開いたときと畳んだときとで全く異なった外観となって現れる。

Hubert and Jan van Eyck, Ghent Altarpiece (1432), Saint Bavo Cathedral, Ghent
Raphael, Madonna della Seggiola 

聖母マリア像
マリア像とは、キリスト教美術においてイエス・キリストの母マリアを描く図像。大きく「単独のマリア像」と「マリアの生涯を描く図像」に大別できる。マリア像では描かれる人物はマリア単独のことも、その子イエス・キリストとともに描かれることもある。その他マリアは様々な人物、事物とともに描かれ、その図像の種類は多岐にわたる。いわゆるマドンナ、聖母子像はマリア像の一種でマリアとイエス・キリスト(多くは幼児、少年期)を描く図像。聖母子像といった際、どの時期、年齢のマリアとイエスを描くかにより、特別の図像名がつけられることもある。たとえば受難における「イエス・キリストの亡骸を抱く聖母マリア」はピエタと呼ばれることが多い。

黄金伝説
黄金伝説』、『レゲンダ・アウレア』 (羅: Legenda aurea) または 『レゲンダ・サンクトルム』 (羅: Legenda sanctorum)は、ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230頃 – 98)によるキリスト教の聖人伝集。1267年頃に完成した。タイトルは著者自身によるものではなく、彼と同時代の読者たちによってつけられたものである。中世ヨーロッパにおいて聖書についで広く読まれ、文化・芸術に大きな影響を与えた。

聖母の結婚
外典福音書や『黄金伝説』によると、マリアはエルサレムの神殿で育てられていた。あるとき大祭司ザカリア(洗礼者聖ヨハネの父)のもとに天使が現れ、国内の結婚可能な男たちに杖を持って神殿に来させ、神の徴が現れた者をマリアの夫にするようにと告げた。ナザレのヨセフが杖を持って神殿に入り、祭壇に杖を置くと、ヨセフの杖だけ花が咲くという奇跡が起きた。そのためマリアの夫となる者が誰の目にも明らかとなった。ヨセフは自分が高齢でありマリアとの年齢差があまりに大きいために辞退しようと考えたが、説得を受けて結婚した。

4. 寓意画

  • 抽象的な観念を人物像を用いて写実的に表すことが西洋絵画の特徴であり、その最たるものが「寓意画(アレゴリー)」

  • 過去の文化の中に埋もれてしまったイメージの意味を、資料をもとに明るみに出す「イコノロジスト(図像解釈学者)」の作業

抽象概念と擬人像

歴史画(物語画)の模範作例としてアルベルティ「絵画論」が紹介(芸術家が再現するべき主題として推奨)した「誹謗(アペレスが描いたとされる失われた古代絵画)」は、抽象概念を擬人化し、その人物像の組み合わせで教訓的な意味を表す寓意画(アレゴリー)の代表例。

ラ・カルンニア(誹謗)》(伊: La Calunnia, 英: The Calumny)は、ボッティチェッリが1495年頃に制作した絵画。《アペレスの誹謗》(Calumny of Apelles)あるいは《誹謗の寓意》(Allegoria della calunnia)ともよばれ、アペレスが描いたとされる古代絵画の記述に基づいた絵画。

10人の登場人物は、悪徳や美徳の擬人化。左から右に:「真実」は画面左の裸の女性で、右手を上げて天を仰ぎ見ており、その隣でフードのある黒い服を着た老婆の姿の「悔悟」が「真実」を振り返っている。半裸の男で表された「無実」は画面中央に横たわり、手を合わせている。「誹謗」は白と青の服を着て、燃える松明を持っている女性で、「無実」の髪を掴んでミダスの前に引き出そうとしており、彼女の周囲には赤と黄色の服を着た「背信」あるいは「謀議」と、「誹謗」の髪を整えている「欺瞞」がいる。「誹謗」のすぐ前には、ひげを生やし、フードのある黒い服を着た「怨恨」あるいは「羨望」が立っており、ミダス王の眼前に手をかざして王の視界を隠している。画面右の玉座の上では、ロバの耳を持ったミダス王が座っており、王の向こう側と手前に「無知」と「猜疑」が立ち、王のロバの耳をつかんで偽りの言葉を語りかけている。ミダス王は誹謗に手を伸ばしているが、その目は下を向いているため、眼前の光景は見えない。<Wikipedia 誹謗 (ボッティチェッリ)

Botticelli, Calumny of Apelles (1494–1495). Uffizi Gallery, Florence

Botticelli made this painting on the description of a painting by Apelles, a Greek painter of the Hellenistic period. Apelles' works have not survived, but Lucian recorded details of one in his On Calumny:
“On the right of it sits Midas with very large ears, extending his hand to Slander while she is still at some distance from him. Near him, on one side, stand two women—Ignorance and Suspicion. On the other side, Slander is coming up, a woman beautiful beyond measure, but full of malignant passion and excitement, evincing as she does fury and wrath by carrying in her left hand a blazing torch and with the other dragging by the hair a young man who stretches out his hands to heaven and calls the gods to witness his innocence. She is conducted by a pale ugly man who has piercing eye and looks as if he had wasted away in long illness; he represents envy. There are two women in attendance to Slander, one is Fraud and the other Conspiracy. They are followed by a woman dressed in deep mourning, with black clothes all in tatters—she is Repentance. At all events, she is turning back with tears in her eyes and casting a stealthy glance, full of shame, at Truth, who is slowly approaching.”

Wikipedia, Sandro Botticelli: Calumny of Apelles 

16-17世紀になると寓意図像集が整備され、画家たちはハンドブックのようなそうした著作を参照した。なかでも、リーバ「イコノロギア」(1603)は当初イタリアで出版され、その後各国語に翻訳され普及した。例えば、「真実」の図像は裸体の若い女性像で表され、真実を暴く光を象徴する太陽を片手に持ち、球体の上に足を置いて真実の上位性を示す属性が加わる。
「真実」を含む寓意画の代表例:

四季、四大元素、四大陸、四気質

寓意画のモチーフには、複数の擬人像の組み合わせで観念を表象するタイプ以外にも、一般性のある比較的単純な主題として、四季(春、夏、秋、冬)、四大元素(大地、大気、火、水)、四大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカ)などがある。

複雑なアレゴリー、現実的な寓意、意味の多様性

Botticelli, Primavera (1482). Uffizi Gallery, Florence. Left to right: Mercury, the Three Graces, Venus, Flora, Chloris, Zephyrus.

細部は語る

5. 古代史と幻想

The School of Athens by Raphael (1509–1510), fresco at the Apostolic Palace, Vatican City

ラファエロ《アテナイの学堂》

「アテナイの学堂(伊: Scuola di Atene、英: The School of Athens)」は、ラファエロのもっとも有名な絵画の一つ。描かれたのは、ローマ教皇ユリウス2世に仕えた1509年~1510年。バチカン教皇庁の中の、現在ラファエロの間と呼ばれる4つの部屋の壁をフレスコ画で飾ることになり、ラファエロはまず署名の間と呼ばれる部屋から着手することにした。最初に「聖体の論議」を仕上げてから、2番目に手がけたのがこの「アテネの学堂」である。盛期ルネサンスの古典的精神を見事に具現化したもの。

古代史の人物たち(狭義の歴史画)

ソクラテス、ディオゲネス、アレクサンダー大王など、歴史上の人物や大事件を主題とする、史実そのものに題材を求めた絵画群:

Albrecht Altdorfer, The Battle of Alexander at Issus (1529), Alte Pinakothek, München

マニエリスム(幻想と奇想)

マニエリスム(伊: Manierismo ; 仏: Maniérisme ; 英: Mannerism)は、ルネサンス後期の美術で、イタリアを中心にして見られる傾向を指す言葉。マンネリズムの語源。美術史の区分としては、盛期ルネサンスとバロックの合間にあたり、イタリア語の「マニエラ(maniera:手法・様式)」に由来する。

様式に関するルネサンス(クラシック)/ バロック比較

ハインリヒ・ヴェルフリン「美術史の基礎概念:近世美術における様式発展の問題」(1915)による、16/17世紀の美術作品の広範な比較分析から、個人や地域を超えた視覚形式の公約数的な時代様式の比較(必ずしも万能ではないが、それに代わる大きな枠組みは提案されていない)。
<三浦(2001)p162>

ルネサンス(クラシック)
ー 線的
ー 平面的
ー 閉じられた形式
ー 多数的統一性
ー 絶対的明瞭性

Michelangelo: The Last Judgment (1535-41), Sistine Chapel

バロック
ー 絵画的
ー 深奥的
ー 開かれた形式
ー 単一的統一性
ー 相対的明瞭性

Rubens: The Great Last Judgement (1617), Alte Pinakothek in Munich

以下、続編に続く。

6. 肖像画

7. 風景画

8. 風俗画

9. 静物画

終章

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