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「ひびきあい 窓」より方丈記の無常観

方丈記の無常観より
  
    日本は災害の発生が世界の中でも極めて多い国であることは言うまでもない。そのことが日本民族として多くの人々が生活思想(生存思想)の根底にある、と言えそうである。しかし天災だけではない。
人災という、むしろ天災よりも人間の機微や葛藤を否応なしに無常観や無念感に苛まされることも余りにも多いに違いない。そのことが余りに過多でありながらも封印しながらそれでも生き続ける心情や心象は常態的、かつ諦念感でもあるかと思う。
 
  そのような現代的心象に置いて小生が最初に思い出したのは、鎌倉時代の随筆「方丈記」である。鴨長明が末法的思想や人生の挫折感が滲み出ているのがこの随筆を覆うっていることに彼の無常観はすなわち世相の無常観であることが全編に渡っている。
  そのことを念頭に置きながら日本の歴史的災害と無常観に至る歴史的背景に視点を置いてまとめてみたい(未だ未完)。 現代を生きる自分にとって多くの貴重な心的教訓を示唆してくれると思うからである。
 
さらにその一方で「方丈記」から約100年後1310年(延慶3)31年ごろまで断続的に書き留めたのが「徒然草」であり多くはおおらかに自らの人生と、世相を対峙して見つめ纏めたのが吉田兼好であると言われる。
 
 鴨長明の時代は武家政権の始まりであり、実際には頼朝が鎌倉幕府征夷大将軍になるが源政権(三代)は本格的武家政権(執権北条)への狭間の時代といえよう。
 世は平安時代末期の平氏政権は武家政権と言われてもいるが公家政権との混合政権のようなものだった。絶対的武士階級による統治権を持つには未だ遠しで、いずれにしても源氏によって平家を瓦解させはするが、本格的な武家政権の初期段階であった。
しかし平安時代の貴族的政治・社会の皇族・貴族的政権からの一大革命であったに違いない。
 その政治と世相の思潮はこれまでの公家政権と異なり武家の棟梁のもとに主従制を展開して全国を支配した。
 歴史を遡ってみると、実際には源氏は清和天皇(56代850~880)、平氏は桓武天皇(50代737~806)系譜であり、系譜からすれば天皇家の亜流からの系譜であり貴族的血脈の系譜でもあった
 すなわち平安朝としての中央政権から外的、客観的に中央政権の衰退を読み取り独自の武士階級として公家政権時代には低階級として軽んじられた者たちが下克上的思想の醸成から政権奪取を試み、棟梁のもとに主従関係を結び政見奪取に立ち上がったと言ってよい。
 方丈記の冒頭の文は余りにも無常観を押し広げさせる内容であり、読む者自身の世情や人生観と比喩して、その無量感をつくづく考えさせられる文である。易しい表現の文意であるにもかかわらず非常観に満ちている。改めてその文の深遠さを味わってみよう。

写真は下賀茂神社 長明が禰宜になり得ず最大の挫折感となった神社

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