再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ2019年10月13日=10639文字

ひとこと言い訳?
さとちゃんちのコメントが6千字超えで結果1万字 姉さんが人生を卒業です

13日 日々さんの日記から
なぜ気になるのだろう goo blog「日々の細道」へのコメント記録~24日目

access_time 2019年10月12日 person_pin 無名居士-Nameless layman
日々の細道
手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?
京都・大谷本廟の桜
2007年03月23日

再開コメント23日目 (一郎)2019-10-13 11:41:57
記事で取り上げられている大賀ハスについて
知ってるようで知らないなあと思い
少し調べてみることにした
大賀ハスのことを知ったのはいつ頃のことだったか
先ずその記憶をたどろうと思うが ほとんど思い出せない
wikiの記載で この時期かなあというニュースを探してみる
wikiを読んで意外だったのは というか私が無知だったのは ハスの実が発見されたのは1951年(昭和26年)3月から4月にかけてという
この発見の過程も奇跡と酔えるかもしれない
記事から引用すると
「2粒は失敗に終わったが3月30日に出土した1粒は育ち、翌年の1952年(昭和27年)7月18日にピンク色の大輪の花を咲かせた。」
開花に成功したのが実の発掘の翌年…当時私は5歳だから そのニュースを知るはずがない
ではいつ知ったのか?
かなり大人になってからだと思うので
「1993年(平成5年)4月29日には千葉市の花として制定され、」
この時期あたりかと思うが 千葉市の話題が全国ニュースになっただろうか
ブログ記事には
「仏殿北側の小さな池の中に、「古代の蓮(大賀蓮)ある」ということなので
京都に移植されたというニュースなら 私も知る立場日ある
では 大谷本廟に移植されたニュースはあるだろうか wikiにはその記録はなかった
「大谷本廟 大賀ハス」で検索するとトップ記事は大谷本廟のサイト そこに
「大谷本廟の「大賀蓮」はこの蓮の蓮根より株分けされたものを、平成14年に宮崎・鹿児島両県の寺院(4ヶ寺)より寄贈されたもので、毎年7月初旬ごろより開花しはじめます。」
平成14年は西暦2002年のことになる
当然その時期は京都にいたわけで
おそらくそのローカルニュースでしったのだろう
古代のハスの実の発掘と開花の時期が まだ私の6~6歳のころのことなので さすがにその時期は知らないだろうという思いから
今回の検索となった
大賀ハスの開花成功は67年前のことだと知って
その気づきに新鮮な感動がある
まあそれも 私の無知によるものだから
たいした自慢にはならない
そんなことも知らなかったのと言われるのが
オチのようだ

13日 日々さんの日記から②
姉さんの日々 10月13日(日)~昏睡状態?

access_time 2019年10月13日 person_pin 無名居士-Nameless layman
もうすぐお昼 12時5分前です

忘れないうちに姉さんのことを書いておきます

金曜日の夕食の後 夕食と言ってもほとんど口にしていません

小さじで4杯ほどの水分だけ その後咳き込みが少し続きました

もう記憶があいまいになってきていますが

土曜の深夜 3時過ぎに私が起きたとき

姉さんも起きていましたので間食にミルクバーを与えました

以前なら1本食べるのですが その時は咳込んだこともあって半分でやめました

結局 ちゃんとというかまとまって口にできたのはその時だけ

土曜日は朝食後からせき込みがかなり続き苦しそうでした

痰も絡んでいたので吸引しました

それでも咳き込みはお昼前には治まったようでした

静かに寝入ってる状態に見えました

口が渇いてる様子なので 口内清掃用のスポンジに水分を浸して

姉さんの口を湿らす程度 それと吸引とを2時間おきの体位変更の折には心がけています

今静かですが やはり時折痰がらみの咳が出ます

プップト息をするたびにくちびるから音がします

昏睡状態といっていいのでしょうね

脳卒中が起きたと思われた時と同じ状態

体全体から力が抜け 目は開いたとしてもうつろ

こんな状態になることは予想していました

食事の途中や食事の後にせき込むようになっていました

まだせき込みが続く状態ではなく 少し胸をさすっていると治まる程度でした

しかし

咳き込みが常態化しているので いずれはごえんによるせき込みの連続と

肺炎の発症もあるだろうと

そうなったら 以前は点滴で回復しましたが

その時と今回は状態が違います ごえんの状態化がそれです

これはどうしようもないこと

点滴で命はかろうじてつなげるかもしれないけど

以前のように回復した段階で 自分の口からの摂取ができればいいのですが

今回はそれはほぼというか 全き期待できません

食事を与えることができない

姉さんが自力で食事をとることができない

私ができることは しっかり姉さんの最後まで見守ること

最期を看取ること

そう覚悟しています

なんとか水分をアイスを与えたい 一口でも飲んでくれないか

そう思って試みましたが そのことがかえって誤嚥をひどくしたかもしれません

覚悟しているとはいえ 何かできないかと思うのですが

今となってはそうした私の性急さがいけなかったと反省しています

少しでも多くと食べさせていましたから アイス半分でも十分と思えばよかったと

点滴はそういうことでしません

今日明日とこのままの状態だと 診療所にも連絡しません

火曜日 まだ姉さんが息をしていたら往診を頼みます

しかし往診に来てもらっても 状態を確認してもいらうだけになるはずです

点滴をしないとなればすることはないはずです

プ~プ~と 姉さんの意気をする音が聞こえます

姉さんは静かに寝ているように見えます

私も静かな気持ちでこれを書いています

良いことがあれば悪いことがある

悪いことがあれば良いこともある

しかし 良いことがなく終わることもあります

だけどそれは考えようです

死を悪いことと思えば 悪いことで終わりになりますが

死は決して悪いこととは思いません

もう何度も書いたと思いますが

姉さんは93年の人生を慎ましくおおらかに生きてきました

誰からも好かれました 愛されました

それは 姉さんが寝たきりになってから痛感しています

姉さんの人生が静かに終わります

それは喜ばしいことなのです

人生を卒業するのです

死は人生の卒業

卒業式は祝うものです

死を人生の卒業として

姉さんのささやかな一生をたたえ 喜びたいと思います

いつも書いています

歓喜の歌で送りたいと

実際にそうはできないでしょうから

心で歌うつもりです

私は早とちりの名人ですから

もうええさんが死ぬことばかり考えていますが

ひょっこりべえさんから なにしてるんと言われるかもしれません

それではまた

私は相変わらずの作業を続けます

せっせせっせと書いています

いくつか書いたものをmixi日記にアップ

それらをまとめて1万字日記が目標です

1万字出来てもできなくても noteを毎日アップしています

だからそこそこ忙しい

手を抜けは1万字書けません 書けなくてもいいのですが

出来れば書かいと思いますよね その要となるのが

さとちゃんちのコメントです

ここにどれだけ書けるか それが1万字達成の要

この二日ほど7千字超え そうなるともうひと頑張りとなります

日付が変わる0時までにと一応掟はあります

以前は掟なしでしたから 翌日の昼までかかって1万字という状態が続き

体に異変を感じるようになりました 眠たい病です

それを感じて 体を壊しちゃだめだめと0時までの掟にしました

書いてどうなるというものではありませんが

やってみようかと軽い気持ちで始めたこと

何にしても目標を持つのはいいこと

ただそれだけの思いで続けています

とうことで 今 1時前

さとちゃんちに行ってきます

姉さんの息する音がが聞こえなくなりました

確認してきます

息をしていました

体位を変える時間ですのでそれを済ませ

痰がたまっているのが見えましたので吸引

今度は私の方を向いているので 息遣いもわかります

プ~プ~という音から少し変わりました

口の動きも変わりました

とりあえず 忘れないうちに書き留めておきました

それではまた

ごきげんよう

13日 さとちゃんちのコメントまとめ

明日の観想詩4/18(水)

2007/04/17 里恋日記
一郎
   なんとかなるが
   私の信条

昔 はやった歌で
なるようになるってあったね
思いつめないで 気楽にいけばって感じ
いいよね
なんとかせねばと思うときついよね
なんともならなかったとき
プレッシャーかかるし
なるものはなるし ならないものはならない
どうせなら木楽に考える それでいいよ
自分がつぶれちゃおしまいだから
つぶれないような考え方大事
それが なんとかなる
そして なるようになる
しかも さとちゃんいわく
よりよくなるってことだから信じましょう
誰を? さとちゃんを?
いえいえ
自分を

 行く川の
 流れ

んん?
どこかで聞いたことあるなあと思ったら方丈記?
知ってるというか 見覚えがあるってだけのことで
本題は何か知らないよ
読んだことがあったとしても 忘れてるし
そんな難しいことは置いといて
歌のこと書こうかな
川は流れる・・・仲宗根美樹
wikiによると
「1961年9月に「雨の花園」(作詞:横井弘、作曲:安部芳明)のB面として発売された。歌声喫茶で評判となったことから[2]、11月にAB面を入れ替えて再発され、売り上げが100万枚を超える空前の大ヒットを記録した。」
1961年といえば 私がまだ中学生のころ?
高校生になってたかもしれない
ともかくよく流れていた曲で
歌詞の「わくらば」って何?って思ったよね
病葉って書くんだよね
この言葉に参った 知らなかったから
歌で色々な言葉覚えるってあるね
子どもの頃 歌詞分からずに歌ってて
大人になってやっとわかったってこともある
「街の谷」って表現も心に残っている
歌っていいものですね
あれ?なんか聞いたようなセリフ
映画っていいもんですね
正確には
「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」
ですって
2019/10/13


明日の観想詩4/17(火)

2007/04/16 里恋日記
一郎
蛍火恋詩はスルーする

  楽しいことが
  半分あれば

例えが悪いかもしれないけど
昔 パチスロに凝ってた時期あって
まあ要領が悪いのか負けてばかり
割とムキになるたちなので
つぎ込んでは借金し
借金返してはまたつぎ込み
そんな繰り返しでやっと悟ったのは
パチスロでは勝てない
賭け事は押しなべてそのようで
そして トントンだったら勝ちということですね
楽しいことが半分あれば それで上等と思うべしですね

   こちらは
   一人で
   夕食さがし

これから私も
一人で夕食探しになります
葬儀屋さんが二人来て
処置していただきました
何しろ初めての経験
明日一日部屋にいて
火曜日の一番 9時に出棺火葬の段取り
私の希望でなんにもしません
姉さんとは50年弱暮らしています
一人になる時は 姉さんが里帰りしたときに一日ぐらい
これからずっと一人になりますが
もともと私は冷たい人間で 一人が好きなタイプ
今も相変わらずPCしてるしね
姉さんより先に逝かなくてよかった

  再生せんとな

PCやってると 再生といえば動画だよね
YouTubeにはよくお世話になったし
今はGyaoの韓流ドラマ観てる
観ながらこれ書いてたりするからね
昔からのながら族
こんな言葉はもう死語かな
いい機会だから何か観ようっと

★この道、後戻りできることはありません。立ち止まるぐらいですね。

前に進むだけですね
でも道はいろいろ
寄り道もこみちまわり道ってね
時には立ち止まり
ゆっくりでもいいよね
ゆっくりでも歩いていれば
どこかにつくから
自分の道は 自分でつくるしかないね
人生で言えば もう終わりに近い私が言うのもなんだが
年取るのもいいもんだよ
若いときの深刻な悩み問題が
何だ些細なことだったってわかる
楽しみも増える
なぜって すべてを楽しもうという欲が出てくる
楽しめばいいと分かったからね
先がないということが そんな心境にさせるんだね
だから年取るのもいいもんだよ
2019/10/13


壺阪寺の春を歩く

2007/04/16 畿内・里巡り
一郎
壺阪寺は行ったことがあります
いつも出掛ける時は目的があるのですが
壺阪寺にはなぜ行ったのかは思い出せません
たいがいは花を目当てに出かけます
目が不自由な人のために 香りの花壇があったような
HPではそれは確認できませんでした
ただ花に関して言えば シャガという花を知ったのは
壺阪寺に行く途中の山間に咲いていました
調べてみるとやはり
「森林周辺の木陰などの、やや湿ったところに群生する」とあります
シャガと言う名の由来については諸説あるようなのでいいとして
釈迦 シャカに偶然似ているのも面白いところ
2019/10/13


さと川柳2007・4ー04

2007/04/16 2007さと川柳
一郎
★祝儀の返しついでに買っておく
同居人
93で
卒業す

★約束は守りたいのはやまやまや
山々を
行きつ
戻りつ
したベッド

★これまでがこれまだやから釘うたれ
これまでか
姉さん何度
思ったか

★不満などないです言葉通りなら
不満など
言うほどのこと
してません

★批判よりどういきるのか詩(うた)いなよ
我がことは
書けず人には
書けという
2019/10/13


実のなる木や!!

2007/04/16 デタラ芽農日記
一郎
さとちゃんは
里巡りや農で
外に嫌でも出ますが
いや出るのがうれしいでしょうが
そこは私と違いますね
私は内の人ですね
外に出るのは面倒
昔からめんどくさがりでしたね
土いじりも苦手 なぜなら虫が苦手
PCを始めたのは52歳
遅いですよね
機械音痴でしたし インターネットってなに?
という状態ですから
95年でしたか?なにやらフィーバーしてました
まったくもって無関心
それがそれが ミレニアム前に
NHKのTV番組でメルマガを知ったことで興味を覚え
思い切って張り込みました
独学実践からと 先ずチャット
キーボード触ったことない人がね
すっかりPCにはまっていくのでした
ずっとしてても退屈しません 嫌になりません
やること多いですからね
自分でもこんな人間だったかと思います
人付き合いも面倒になっていたので
良いおもちゃですね
ですがゲームには全く興味ありません
あれに熱中する人多いようですが
私はさっぱりです
PCに飽きる日がくるかなと思いますね
農が嫌い 苦手なわけは
そもそも汗すること 働くことが嫌いなようです
固まを使う人間になりたいと思っていました
頭もないのにね そこは夢見る男なんですね
夢見て生きて行けたらと思うほどね
夢を商売にできるほどの頭はなく
それでも自分の感性はすごいんだと思っていました
その感性もどうなんでしょう 平凡なのかもです
お腹すいてきたので この辺でまとめましょうか
そうそう
姉さんのことですが
ちょうど4時に息を引き取りました
その時が来ました
予測していたことです
今日か明日と思っていました
私は姉さんの死を悲しみません
むしろ喜びます
お疲れさまでしたと言ってあげたい
そして 慎ましくいきましたね
うちに来るみんながあなたのことをお好きでした
愛していました
あなたのように年を取りたいと言っていました
あなたはみんなから好かれ 尊敬される
そんな人だったのです
よかったね
長い人生 93年 生き切りました
お疲れ様dした
ありがとう
姉さん
おやすみ
2019/10/13


さと川柳2007・4ー03

2007/04/16 2007さと川柳
一郎
★聞く耳をもたぬ同志はやかましい
やかましい
ほどに言い合う
えじゃないか

★春日和さくら舞い散る生涅槃
いつからか
うっとうしさの
桜花
★目を皿にみのがすまいぞ恋の文
照れくさい
見まいとスルー
恋の詩

★聞く耳を持てば囀り聞こえます
カラス鳴く
アホ―に応え
わしゃアホや

★さびし夜やかましテレビつけて寝る
さびしけりゃ
XVIDEO
観ましょうぞ
2019/10/13


さと川柳2007・4ー02

2007/04/16 2007さと川柳
コメント
一郎
★触れない神さんの椅子空いている
空いてても
たまに乗るバス
座らない

★帰り道用もない道恋ごころ
癒し道
鴨川沿いの
遊歩道

★巣作りを教えてあげてツバメはん
ツバメの子
生きる試練の
エサもらい

★資金力ないが幸いかもしれぬ
貧乏に
感謝する日が
来るとはね

★里山にわらべの声が聞こえない
ヒヨの声
聞かなくなった
籠る日々
2019/10/13


明日の観想詩4/16(月)

2007/04/15 里恋日記
一郎
「この藁(わら)巣作りにつかえるわね、あなた。」「そうだなぁー」

ちゃんと巣を作って
それも大変
子育ても大変
家庭を持つって大変
それに何かが決まってしまう
人生が決まる
そんなこと考えてるから
結婚できない
同居人はいるけど
家庭ではない
大変なことから逃げてきた
責任から逃げてきた
人生を決めることから逃げてきた
いつまでも猶予期間にしてしまった
決められないから
考えすぎだね
自分に重い物を背負わせすぎたね
平凡でいいのに
特別な何かを求めすぎたね
何かわからずに 見つけられずに年取って
それだけの人間だって やっと気づくのさ
時すでに遅し
でもまだ少し残っている人生
楽しむことにした
それでいいとね
何にもなれなくとも
何にもできなくとも
楽しんで終わればそれでいい

   キャンドルの
   灯りは
   恋蛍

参ったなあ
いつもだけど
蛍火恋詩読むと
なんでか照れるよ
なぜだろうね
これがさとちゃんなんだね
人は見かけによらない・・・と言えば
さとちゃん怒るね
どんな見かけなんだとね
人の心は外から見えない
おしはかるだけ
言葉を手掛かりにね

・・・同時進行

冠婚葬祭が苦手
そんなこともあって
家出したことおあって
両親の葬儀に帰っていない
長男なのに
末っ子だから甘えてる
甘えてるから葬儀も出せない
姉任せ
親不孝で御免
と言いつつ
親不孝は親孝行だと屁理屈
それでも
何とか生きてきた
それだけでもほめてくれないか
甘えるんじゃないって
それが当たり前だろって
だよね
ごめんね
2019/10/1


今週の観想詩→→4/16(月)~4/22(日)

2007/04/15 観想詩1
一郎
シジュウカラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シジュウカラ(四十雀、Parus minor)は、鳥綱スズメ目シジュウカラ科シジュウカラ属に分類される鳥類。
和名は地鳴きの「ジジジッ」が「シジュウ」に聞こえることに由来する。

とすれば「カラ」とは何?
カラ類
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カラ類(カラるい)とは、シジュウカラを始めとする山野の小鳥類の総称。
シジュウカラ科のシジュウカラ、ヤマガラ、ヒガラ、コガラ、などをいう。ゴジュウカラ、エナガを含めることもある。大きさはほぼスズメ大で、梢の間を活発に動き回る[1]。コガラやヒガラなどは山地で見られ、シジュウカラは市街地でも見られる

カラ類があるのはわかったが
そのカラとは?
こんな記事があった 
私と同じような疑問を調べて書いてある

シジュウカラ、ゴジュウカラ、ヤマガラなどの「カラ」とは、
何を意味するのか?   野鳥の話
http://hw001.spaaqs.ne.jp/manet39monet/kara-gara.htm
雀という漢字があてられている
雀をカラとは読まないだろうが
小鳥を意味するという説明だけでは
ではなぜ雀という漢字なのか
小鳥の代表が雀ということかな
まだすっきりしないので検索していたら
語源由来辞典のシジュウカラの項に
納得いく答えがあった
http://gogen-allguide.com/si/shijyuukara.html

おれ
おれの道

今問題のあおり運転
車の中ではご主人様は運転手
人よりえらくなりたい
支配者になっりたい
自分の天下にしたい
そんな欲望がもたげてくるもの
それはおそらく欲求不満から
いつもは人に使われ 気を使い
もし日常がそうだったら
欲求不満はたまる一方
そんな自分を制御できる人ならいい
普通はコントロールしている
だがそれができない人もいる
それだけ心が抑圧されているといえる
その解消の一つがあおり運転
車を運転しているときだけ
ご主人様になれる
車は思いのままに動く
犯罪や問題行動のすべての根源は
極端に言えば欲求不満にあると言えないか
思い通りにならない世のなか
思い通りにしたい自我の欲求
人は生まれた時は無垢な存在
その無垢な存在が
無垢の精神が
様々に色づけされていく
一つ言えるのは
ひとにやさしい社会であったらと思う
ひとにやさしい
人を愛する
人に愛される
そのような環境であったらと思う
それは理想だろうか
難しいことだろうか
不可能だろうか
いや それを可能にすることが
実現することが社会の目的
政治の目的
根本がないがしろにされていることが
すべての問題の根底にあると思う
人にやさしい社会を
どうすれば可能になるか
考え問い続けたい
2019/10/13


明日の観想詩4/15(日)

2007/04/15 里恋日記
一郎
・・・資金力 ないが幸い かもしれぬ

金がないのが幸いしました
はっきりそう思います
お金があれば きっと犯罪者になっていたと
自分のことだから断言できますね
そういう人間ですから
人一倍 ぜいたくな暮らしを夢想はしますよ
しかし 夢想妄想にとどめています
お金がないからです
心底思っています
幸いだったと

・・・訃報へと走る

もしかしたら
この数日と言わず
今日明日
訃報を出すことになるかもしれない
隣で寝ている姉さんの状態
かなり深刻な段階だと思う
土曜深夜 ミルクバーを半分食べただけ
それ以降は 咳き込みが続いていた
静かになったが昏睡状態だろう
かろうじて呼吸は出来ている
でもいつまで持つか
昏睡状態 誤嚥の常態化
点滴はしない
静かにその時を待つのみ
早とちりの私
そうであってほしい

「明日はどんな一日だろうか、と」

不通は同じことの繰り返し
日常とはそういうもので
あるいは退屈なのかもしれないが
明日はどんな一日になるか
予想もつかない
いやはある 予想はできる
しかしそれは 経験したことがない
父の死に目にも
母の時も
逃げていたからだ
今度は逃げられない
70を超えて
初めて人の死と向き合あう

・・・ついつい、おしゃべりしてしまう、

饒舌な人を信用しない 嫌いと言ってもいい
しかし 自分も饒舌だ
だから自己嫌悪
しゃべりながら 何の話をしていたかわからなくなる
文章にしてもそうかな
長文を書きたくなる
それで嫌われる
嫌われても やめられない
だから人に迷惑かえないところを探す
誰もコメントしていないところ
更新されていないブログ
変わってるね そんなことするのは
このコメントだってそうかも
変わってると思う だからひとり遊びが好きだと言ってる
これも一人遊び
何も気にしないでいいでしょ
でも気にしている
読んでる人いるかなとか
どう思われてるかなとか
一応は人並みに気にしているけど
機にしたって仕方がないという思いの方が強い
だから気にしない
したいことをするだけ
自分が楽しめればそれでいいかな
ああまた長くなった
でもそれは喜び
せいぜい字数を稼ぎたい
1万字日記のためにね
1万字という目標 かなり難しい
だから長くなる方がいい
もっともとお長くと思っている
昨日はコメントだけで 7千字
後が楽だよね
だからせいぜい長くなく
叱られないところに書く
さとちゃんは叱らないと思うから書く
叱りたいと思っても もう叱れないもんね
御免ね さとちゃん
一応 あやまっとくよ

 つもる話を
 いっぱい
 かかえて

つもる話はありません
ふるさとは捨てたので
づる里に帰ることはありません
どんなに変わったか 見たい気もするけど
それよりなにより もう何もかもが面倒だ
出もえらいもんだね こうやって書くことは面倒じゃない
書かないと死んじゃうかも
まさか
死にはしないけど
言葉の綾 勢い
2019/10/13

13日 高山のnoteから
2019.10.13~高山とトンネル工事現場の近況:ボランティア

まず最初に 姉さんが亡くなりました 今日の午後4時に静かに息を引き取りました 姉さんの人生の卒業です お祝い言ってあげてください
来年の1月 94歳の誕生日を迎えられるか・・・そう思っていました
いい顔して寝ています 何もしないのが私の主義 火曜日の朝一番で火葬場に行くことになります 正直言うと 私は冠婚葬祭が苦手 大嫌いと言っていいです だから両親の葬式にも帰っていません しかし 今度ばかりは逃げるわけにはいきません 見送ってきます
古い友人の恵美子さんが 息子さんに車で送ってもらって 姉さんに会いに来てくれました 実は4時前に恵美子さんから姉さんの様子を尋ねる電話があったのです かなり難しい状態だと話しました 今日明日の命かもしれないと 電話を切って姉さんの様子を見に行きました 息をしていませんでした よくドラマで見るしぐさ 花のところに指を持っていき確認しました
姉さん お疲れ様 頑張ったね 楽になるね そう声を掛けました
覚悟を決めていましたので その時が来たかという感じです 死亡確認をしてもらうkとは知っていましたので 診療所の救急担当の方に電話 亡くなった旨を告げました 先生は大津からなので少し時間がかかるということでした 先生が来て確認をしてもらってから すべて動き始めます
5時20分到着 死亡確認17時25分 葬儀社を教えてもらい 先生が帰られてから電話 お二人来られて阿智の処置をしていただきました 寝間着を右前に直し必要な部分を消毒 口と鼻に綿を詰めて顔をきれいの整えてくれました 恵美子さんからまた電話 今向かっているということでした
恵美子さんが来て 話をしていたら高山から電話 今度の台風で元請の東京本社が大変なことになっているというので 災害復旧のためにボランティアを派遣してほしいという要請があったという
高山のところは 元々抗夫たちはボランティアに積極的に参加する人が多く
北海道の地震の時も行った子がいるとか 地元の災害復旧にも積極的に参加
トンネル堀の機会を扱う技術が大いに役立っているとか 今回も1週間にわたって交代で抗夫を派遣することになるらしい
ほかにもいくつか話はあったが もう書くのも面倒になったので終わることにしよう 今日は姉さんのことを何もしないでいい 明日も明後日も 死亡時の様々な手続きがあるようだが それは仕方ない せっかちな私はぱっと済ませたいところだがどうなることか こんな時 面倒な手続き代行とかやってくれると来ないかな お金かかるから あったとしても利用できないか
それではまた お疲れお疲れ

mixiプロフィ
藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676

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