安冨歩氏の10月17日のビ・ハイア問題に関連するツイートを読み考える~3

毒親問題
安冨氏の17日のツイートの動画
コーチング 毒親に育てられた人は嫌いなことでも我慢して耐える力を身につけて不幸な成功をしてしまう
YouTubeからデーターを見ると
6,153 回視聴
速読多読 コーチング 一月万冊 清水有高
2018/01/06 にライブ配信
(動画を表示できるのだが
正直いうと動画を観るのもつらいので
テキストだけにした)

これまで避けてきた動画を観る
そして今
何を感じるか
どう考えたらいいか
なぜ避けてきたか
色々考えてみよう
どうなるか分からない
途中で止めるかもしれない
観ないことには始まらない

書くのに時間がかかったことと
やはり動画を最後まで観終えることが出来なかったこと
そしていま思うこと
17日の安冨氏のツイートを読み考えるというテーマ
そのツイートが大下氏ら原告のビ・ハイアと清水有高氏を
民事提訴した後の記者会見の報道後のツイートだけに
安冨氏の考えを知るうえで避けて通れないと思った
安冨氏が出ているというので一月万冊の動画はそれ以前はよく観ていたが
むしろよく観ていたのは烏賀陽弘道氏の動画だった
女性が出ている動画はほとんど観ていない
観てもH氏の出ている動画を一つ二つぐらい
O氏の動画をほとんど見ていないのは
毒親問題に関することだからだと思う
私にとって親を特に母親を毒親と表現することにも抵抗がある

私が親から学んだこと
実はそのことを一度かなり長い文章を書いたが
保存することを忘れていたために無くなってしまった
私の家庭や両親のことを書いた
わたしが家出したことも
その後の特に母親との関係も
そして私が両親から学んだこと
真の愛情とはどういうものか
それらについて書いたが
再度書くにはその気力がもうない
ひと言でいえば私にとって両親ともに尊敬する存在だった
子どものころから叱られて事もないし
成長するにつれてその時々の節目になるときも
私の選択に任せていた
貧乏だったせいもあろうが
こうしろああせよというようなことは一度もなかった
する必要がなかったのだろうし
することでもないという考えだったのだろう
私は自分が信頼されていると思った
そのことは家出してからの両親の態度からもそう感じた
そしてそれが私には一番の教訓になっている
家出したことは両親とは全く関係がなく
私自身の精神的なあるいは思想的行き詰まりからのもの
家出した私にその後連絡するようになっても何も言わなかった
父親も時折電話に出ては飯食ってるかというだけで
もっぱら私の生活を案じていたのだろう
母親にしても同様だった
母親は平壌高女に同窓会で京都に来ることがあったので
会う機会がむしろ多かった
その時も私が元気に暮らしているかだけを案じていた
私は思うことがあって田舎には帰らないと決めていた
後に二人の姉からは母が元気なうちに顔を見せに帰るように
きびしく言われたことがある
父が亡くなった時にも帰らなかった
姉たちから見れば長男としては本当に頼りない存在だったろう
実際そうだと私も思う
末っ子として育ち貧乏だったが甘えていたと思う
そんな私を両親は何も言わずに見守っていてくれた
見守るだけと簡単に言うがそれが親にとってはどんなに難しいことか
子のためお前の将来のためということで人生の節目に
親は子どもの人生にかかわるのが普通
無視親の考えを押し付けるということはよくあること
それが今はさらにクローズアップされて
毒親という表現になっているのだろう
昔から親子の葛藤は普通だったろうが
今回の問題のようになる時代背景というものがあろう
昔鬼嫁という表現で姑と嫁問題がよくテレビで取り上げられていた
そういうものとは全くと言っていいほど無縁だったので
考えることすらなかったと言える
親から学んだことは
親は子を信じること
何も言わず見守ること
信じ切ること
それが親の真の愛だということ
これは友情にあらゆる関係にも通じると思う
信じ切ることが大切だと

親による虐待ニュース
最近も報道で子の虐待のことを知る
つらいことばかり続くし無くならない
悲しいことに虐待する親も虐待されてきた人が多いという
それだけではなく若さからくる無知わがままおあろうし
社会的に孤独に追い込まれ相談する方法も知らず
個人的な積もり積もった感情が子に向かうこともあろう
私は虐待のニュースを聞くたびに子のつらさを思うたびに
胸が締め付けられるような思いがする
つらい悲しいそして悔しい
親が子に精いっぱいの愛情を注いでやれにことに
注いでやれる環境がないことに憤りを感じる
私の家は敗戦後のこともあり貧しかった
多くの人が貧しかった時代
それでも私は愛情いっぱいに育てられた
そして成長してからも親元を離れてからも
親の目に見えぬ愛情を感じてきた
だから親を裏切れないと強く思った
曲りなりに犯罪を犯すことなく今日までこれた
それはひとえに親の存在のお陰だと思っている

毒親問題
それだけに毒親というテーマの動画は観る気がしなかった
それが一月万冊の大きなテーマになっていることの意味も
深く考えなかった
当然その頃は清水有高氏によるパワハラのことも知らなかった状態
その毒親問題により感心をもって調べ考え問題提起している方がいる
私の関心事は尊敬していた安冨氏との違和感
そのことに集中していたこともあり毒親問題は考えずに来た
私には難しいという思いもあった
実際そのことを考えると私の知識不足を感じるが
それは今更どうしようもない
ただ自分の親との関係からしか考える手段を持たない
手段はあるだろうが私にその気力がもうない
親の問題にはその親が置かれた環境が大きく影響する
人はその環境の影響を嫌でも受けて育ち成長する
その過程で関係する人たちの影響も受ける
親の無教養無知を一概にその親個人の責任にすることはできない
その上で人を理解するように心がけるべきだと考える
いわゆる毒親として決めつけその親を攻撃することでは
何も解決しないし展望も見いだせない
いま政治の場でもよく目にし耳にする「分断」と「対立」を煽る手法
政治の場面で人気支持を得る方法として分かり易く身近な共通の敵をつくり
それを攻撃するという手法
その手法は安易で急速に一定の支持を得ることが可能
言葉の力も大きく影響する
それにマスコミが加担協力すれば国の政治も変えるほどの力になる
一月万冊の動画配信を続けることにより清水有高氏は
ある確信をえたのではないか
私は彼のプロデュース力に感心していた
それは企画力と実行行動力
しかも資金はある
動画配信に力を入れることで停滞下降の道をたどる出版界に
一つの可能性を見出したのではないか
実際にその準備を始め資金集めカンパ?を集会で呼び掛けていたようだ
この辺はきちんとした調査資料無しで私の感触だけで書いているので
私の想像妄想として受け止めて欲しい
彼が目指す一つの出版の形態方向としては可能性があることだろうから
一月万冊でジャーナリストの烏賀陽弘道氏はその著書や
noteに書いている記事が着実に確実に熟れていたはずだ
それは烏賀陽氏本人にとっても大きな収入につながる方法
それだけに清水有高氏とのかかわりが深くなる要因になるのかもしれない
確かに多読の清水氏は毒親関連の本に目を付けた
恐らく売れていたのだろうし自身の身に重ね語ることが出来る材料
毒親問題を一月万冊で取り上げる過程と出版を指向する過程と
パワハラを会社内で進行させていく過程・・・それは会社の経営状況も
関係あるかもしれないがこれらの相互関係は検討されていいかもしれない
そのような問題とは関係なしに毒親問題に関して私が言えることは
家庭の事情や環境や親子の事情を深く考慮することなく
たった一つのことを取り上げてそれを親としてアウト毒親と決めつけ
攻撃する姿勢は親子の間に不信と対立断絶しか生まないし
それを求め克服する手段にしている点で慎まなければならないことだと思う
私が毒親問題の動画を観るのも嫌だし実際に目にすることが出来ないのは
その点にあるのだろう
私は信頼で結ばれている親子関係だったから
親は子を信じ子は親を信じる
信じるだけではなくどんなことがあっても信じ切ることが
真の愛だと親から学んだと思っているから
親を毒親と断言し断絶を求める思想生き方に言いようのない思いになる
嫌悪と言えるものかもしれない観るのも嫌だから

本題に戻って安冨氏の17日のツイートを考える
そこでこれらの動画をツイートで紹介してた安冨氏の狙いは何か考える
言うまでもなく原告の主張と中でも記者会見で紹介された
遺族からの手紙の内容についての反論としたかったのだろう
以下に投稿されたツイートの動画に添えられた短い言葉と
リンクされたツイートを投稿順になるかどうかは分からないが
過去ログ検索で出てきた古い順に並べてみた
この記事のトップではその動画の静止画像すら見るのが嫌で
テキストで書いたがここでは思い切ってリンクそのまま並べた
そしてツイートの言葉も抜き書きした
O氏の自死以前の動画がそこでどんな話をしていようが
彼女が笑顔でいようがそれが原告らの主張を判断し
否定する材料にはならない
それらをもってパワハラを信じられないとする考え方自体に
無学な私ですらあきれてしまう
これらの私の考え考察については
noteに書いた
「ビ・ハイア問題」と「一月万冊」と

を読んでいただきたい
再読して書いたその後のことを考えても書き改めることも
追加することもないと確信する
一月万冊1~5には烏賀陽弘道氏と本間龍氏についても書いている
あわせて読んでもらえたら有難い

安冨氏のツイートの特徴と明石市長擁護の件
そのツイートを読むたびにその言葉の軽さと不用意さ
原告を揶揄する表現にこれが学者たる人の真理を追究し続けることを
仕事とする知識の専門家研究者の言葉態度かと思った
私はしかしこう受け留めることにした
彼は照れ屋でマジな自分を見せるのが恥ずかしい
悪ぶって見せているのだけなのだと
本心は隠していると
なぜなら私は彼を尊敬しているし
ビ・ハイアパワハラ問題が起きてもなお彼をむしろ信じるために
提言することを私のスタンスと確認したから
それは尊敬する理由の一つである女性装についての認識が
私の想像と違ってかなり成り行きで始めたことと彼がインタビューで
語っていることを知ってもなお私の立場は変わらない
さらにもう一つの尊敬する理由として挙げている選挙活動への参加
明石市長のパワハラも暴言が問題になった時
安冨氏はこれを擁護するツイートをしている
彼だけではなく録音の全部を聴けばその後半は事故で死んだ人のことを思い
早い工事の完成を願うあまりの暴言だとか
子ども対策などでよい政策を進めてきたと評価し擁護するとか
いわゆる知識人の擁護者も出ている
尊敬する理由の二つ目の根拠も正直問題ありとなって来た
これは言ってみれば市長による職員へのパワハラ暴言であり
ある意味ビ・ハイア問題と共通している
この問題については別に新しい記事として書くつもりだ

以下17日の安冨氏の過去ログを並べた
参考資料にして欲しい

安冨歩氏がツイートでこの動画の後数本の動画をリンクしている
その理由は推し測れるが氏自身の言葉から見てみる

少なくとも、大下さんは、片岡さんと私と、清水さんと肉食った。

【この記事、日本語がおかしい。朝日ともあろうものが。】

奴隷がタメ口きくはずないよね。

晒す

事実を書いているだけだよ。

【私は誰のカウンセリングもしていない。虚偽を書くな。】

なんで、朝日新聞も、こういう証言、無視すんの?

【朝日新聞は、この証言をなぜ無視するの?】

あれは、乾燥大豆では、なかった。

匿名でこういうことやるほど、ブサイクなことないよ。

【現代の奴隷は、主人とタメ口きくんだ。】

【大下さんが、この長時間、無理矢理、笑わされていた、とは思えない】

【奴隷、主人に葉巻つけてもらってるやん】

【これも、奴隷、主人に葉巻つけてもろてるやん。乾燥大豆に火をつけてるのでは、ないよね?!】

報道されている内容が、私の知っていることと食い違うので、鵜呑みにできないのです。

全員で埼玉の牧場に来てセラピーを受け、そのあとの食事も清水社長が支払いをしていた。これが私が目撃したこと。

(校正無し誤字脱字御免)

藤川一郎
京都市北区紫竹北大門町37 葵荘17号
075-493-4676


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