『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【170】2007/11/5~11/14

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
ブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)に
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里恋詩くて11/11・西舞鶴のとれとれ海鮮市場

2007/11/14 里恋日記

コメント
一郎
★これからも なるようになると 歩くんだ

いつも思い出すというか
何かにつけ出てくる言葉
なるようになる
そう思えば
頭を切り替えれば
ホントに楽なんだよね
思い通りにいかない事ばかり
それを悔やんだところでどうなるものでもない
なるようになる
なるようにしかならない
あきらめとはまた違うんだよね
あきらめてはいないけど
焦らない慌てない
やることをやる
結果は時の運しだい
なるようになる
どうせなら気楽に行こう
2020/01/02

里恋詩くて11/13・松尾寺の榧(カヤ)の木

2007/11/13 里恋日記

一郎
何時もの道
いつものように

そうですね
いつもの道
毎日道を変え
場所を変えてきましたが
それにも限界があります
もう何度も同じ道を通ることになります
するともう飽きてきます
そんな経験が以前にありました
その結果
歩くのをやめてしまいました
スマホで撮る楽しみが無くなったからです
そこで今回考えました
歩くこと自体をゲームにしようと
歩いた軌跡で文字を書こう 絵を描こうと
そんなことが出来るんですね
GSP機能を使えば
どkを歩いたか記録が残るのです
歩いた軌跡をたどれるのです
ちょっと事前の純部位が大変
あらかじめ地図上に文字なり絵を描いておきます
その描いたものをもとに
地図を見て謎て歩く作業
昨日 一番簡単だろうとイメージして
梯子を描こうとトライして見ました
一筆書きの要領ですから
同じところを何度か歩くことになります
その歩きをしながら気になったものをスマホで撮る
かなり時間がかかりました
歩いた距離は3.5キロほど
時間は1時間20分弱
私は結構疲れました
小さな坂があったことも原因ですが
でも部屋に戻ってその記録を地図上で見た時
そこそこイメージしたとおりになっていました
面白いことにスーパーで途中買い物をしたとき
うろうろしたときの奇跡まで記録されています
明日は「ネ」ねずみ年だからね
それを私は巳年と勘違いして
それを書く方法を考えてた
どうにかコースが出来上がったところでやっと気が付いた
「子年」じゃないって
早とちりそおっかし屋の巻でした
明日どうなるか楽しみ
うまく描けるかなって
このわくわく感がまた出てきたって大事
散歩を続けるためのツールb方法の一つとしてね
それじゃまた
2020/01/02

里恋詩くて、11/12・松尾寺のタブの木のご神木

2007/11/12 里恋日記

一郎
★志 まだまだ半ば 行ってない

さとちゃん
志半ばで
逝ってしまった
こればかりは仕方ないよね
どうしようもない
なるようになった結果がこれだから
それでよかったというしかない
さとちゃんの仕事は
ここに残っている
少なくとも
さとちゃんとおない年の
私は忘れない
私が死んだおしても
このブログは生き続ける
さとちゃんが逝っても
残っていたように
また誰かがブログを引き継いでくれるでしょう
それができなくても
それはそれでしかたがないこと
それこそなるようになる
ここでさとちゃんは生き続けている
文章考え画像 全てがここにある
ここでさとちゃんの思い考えが
しっかり残っている
いつでもここで会える
いつもここにいる
2020/01/02

里恋詩くて・高野仰いで丹生川の里道

2007/11/09 里恋日記

一郎
   ★疑いを 晴らしきれない 過去がある  

自分のあやまちを
どうしても許せない
過去がある

つきつめれば

一人なんです
死ぬために生まれ
生きているのです
つきつめれば
無はすべて
すべては無
2019/12/30

今週の観想詩→11/12(月)~11/18(日)

2007/11/09 観想詩1

一郎
仕事も
大事だけれど
体も大事よ

なによりも体が大事
仕事大事に頑張って
体壊しちゃ元も子もない
心を病んで自殺過労死とんでもない
自分が大事 命が大事
体が大事
自分の生きがい 幸せのために仕事があるのだから

★わがまま、気まま、自分のことだけ、

これでいいよ
わがまま気まま
我を通して生きていいよ
そのつけ全部自分で背負うんだから
それも覚悟さ
だったらいいよ
誰も文句は言えない
皆に合わせることない
それこそ
わが道を行く
2019/12/30

さと川柳2007-11-01

2007/11/08 2007さと川柳

一郎
★音沙汰が なくてさびしい 秋の雨 

音沙汰が
無くて結構
年の暮れ

★杉の子の むらはまっすぐ スクスクと 

杉の子が
生き残れるは
いかほどか
 
★きのこ鍋 ちょっとブルー なのがよい 

何するも
面倒になり
鍋無縁

★雨が降る 言い過ぎたとこ 流したい 

少々の
雨なら散歩
やめられぬ

★丹生川の 色あざやかな 柿の色

富有柿
注文表に
消えて暮れ
・・・・・・・・・
花火なり
コウヤボウキの
白い花
2019/12/30

里恋詩くて10/8・杉の子の丹生川の里道

2007/11/08 里恋日記

一郎
・・・杉の子がたくさん道に生えていました。

杉の子って言葉
あったかな
聞いたの見たのも
私にとっては初めてのような気がするけど
いい響きの言葉だよね
杉の子 聞いたことあったかな
気になったのでYouTubeで動画検索
ありましたね

お山の杉の子
https://youtu.be/O9ZAqgdrN3A

動画の説明に詳しい事情が書かれていました
「1944年(昭和19年)、少国民文化協会が行った少国民歌の懸賞募集の第1位入賞歌であった。当初は、戦死した父を持つ子どもを励ます歌であった。 1944年(昭和19年)12月に、ニッチクレコード(コロムビアレコード)から発売され、作詞は吉田テフ子、作曲は佐々木すぐる。 歌は安西愛子、加賀美一郎、寿永恵美子。 1944年(昭和19年)11月6日に国民合唱で、放送合唱団と児童合唱団によって行われた。 終戦後、内容に戦時色があったので、放送やレコードの販売が禁止になり、この歌をもう一度復活させようと、サトウハチローが改作した。」

初めてのような気がすると書いて
何か気になったのは
この歌の記憶ががうっすら会ったからかも
調べてよかった
ただこの歌ができた事情やその後のいきさつは知りませんでした

さてこのコメント 4日ぶり再開したと思ったらまたストップ
なかなか書くリズムがつかめません
以前はこのコメントがメインだったから
早くその状態に戻した方がいいんだけど
Muragonのブログの方をどうしても優先している
新年を迎えることだし
その辺をどうするかしっかりしないとね
よしよし
なんとかなるでしょう
なるようになる
だね さとちゃん
いやいや
なんとかしなくちゃね

2019/12/30

里恋詩くた11/7・自然のムラサキシキブの実、丹生川の里

2007/11/07 里恋日記

一郎
★トイレをきれいに、

朝の散歩のときに
北大路橋の西詰にトイレがあったので入った
どこもきれいだった
昔のことだがどのトイレも汚かった
トイレをきれいだったら気持ちがいい
家出もそうだが外で
特に公衆のトイレがきれいだと
ホントにほっとする
これは高山の話
女子アルバイトの事務員が
トイレ掃除に力をいれてきれいになった
その子は今度は外回りの仕事もするようになた
外回りがきれいになった
資材置き場も整理するようになった
道具類も整理され
工事用車もきれいに表れきれいに駐車されるように会った
そして職場の雰囲気も変わってきたという
食度休憩室に野の花が飾られるようになた
女性らしい気遣い
高山はその子を正社員に登用し
自分に次ぐナンバー2の地位を与えた
ヘルメットは二本線にした
所長 責任者が巻く二本線
みんなも納得した
それもその女の子のトイレ掃除が始まりだったという
その子の人生は変わった
自ら変えていった
そしてその子後に続く女子職員も続いているという
女人禁制のトンネル工事現場での話
下請け会社から元請会社にその影響は及んできているという
2019/12/26

里恋詩しくて11/6・シシ鍋

2007/11/06 里恋日記

一郎
・・・信じたいね

「・・・何を信じていいのか」とも書いてるね
私なりの答えは
自分を信じればいいということだね
自分の感性を 自分の考えを
信じられるか
信じられたらもう言うことない
なにが起きても大丈夫
揺るがぬ自分への信頼があれば
2019/12/26

里恋詩くて10/5・紅葉の丹生川の里

2007/11/05 里恋日記
(11/5の間違いだと思う)
一郎
★これから先のことは神様仏様そうだ、天にまかせてはどうかな。焦りは禁物です。

こんな心境になれる 分かるのは年を取ったからかな
もうどうあがいても先がないから
でもあきらめとも違うな
開き直りかな
今やりたいことできること
それに打ち込む
毎日やることがあれば退屈しないし
一日が早い よく眠れる
ありがたいことだと思う
ブログは高山の作品を発表するだけで
他のブログはお休みしてた
ここに来てMuragonブログを知って書き始めている
画像が主だがその記事を書くためにさっぽしているよなもので
以前の散歩と違うのはブログだから訪問者がある
以前はインスタとtumblrでアップするだけの自己満足で終わって
スマホで画像を撮るのも夜だからできた
撮るところが無くなって散歩もやめた
同じところを明るい時間に歩くようになった
また新鮮だった またスマホで撮り始めた
それをMuragonにアップ
朝夕の散歩がまた楽しくなった
おかしなものだが夜が昼に変わっただけ
昼間にスマホで撮るのも気にならなかった
以前あんなに人の目を気にしていていたのに
人の目を気にするのは昔からだった
自意識過剰と自己判断
誰も自分のことなど関心はないのに
人が見ていると思い込む
若い時は多かれ少なかれある傾向だろうが
それもいつの間にか無くなった
スマホだからいい 手軽だから
これがカメラに凝ったらどうなるか
意識しすぎて何も撮れなくなるだろう
私の性格はそうだ夕焼けや朝焼けの色など不満はあるが
仕方ないとあきらめている
これもまたいつまで続くことか
以前の様にもう撮るところが無くなったと言って
やめてしまうかもしれない
それならそれでいい
なるようになるというのがさとちゃんの持論
私もそう思うから
やりたいことやって その先どうなると
それがさとちゃんの言う
「天にまかせてはどうかな。」との発想
それでいい

2019/12/26

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里恋詩くて・・・熊野・高野
Yahoo!ブログ('19/12/15 サービス終了)
管理人 無名居士



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