『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れないために⑮2006/01/30~02/06

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
ブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)に
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2月基本講座・熊野古道・岩代王子と岩代梅林を歩く1

2006/02/06
2006講座記
コメント
一郎
No title
駅の目の前が海だったんですね・・・海から遠い京都にいると、無性に海が見たくなるときがあります。

2006/02/06

デタラ芽農日記14・千切り大根十日目

2006/02/04
デタラ芽農日記
コメント
一郎
No title
朝、新聞の配達を終えてから急に雪が降り始めました。昨日の夜も少し雪が降って積もっていたのですが、朝の雪はアッというまに一面真っ白の世界にしてしまいました。今はほとんど雪もやみ、お日様が照ってきました。このところ3日続きの雨で、洗濯物が乾かなくて困っていましたが、今日は大丈夫なようです。でも・・・お天気は気まぐれですから、また雪になるかもしれませんが・・・。千切り大根は、お日様をいっぱい浴びておいしくなるんですね。

2006/02/04

松ちゃんの詩(うた)8・節分散歩

2006/02/04
2006里恋詩・松ちゃんの詩
I.Fujikawa
うちには猫ちゃんがいました
多いときで6匹
最後まで残ったのは2匹
その内オスのジュンは結局家出
臆病者のメス猫ミミがうちで死にました
いなくなった子たちの思い出も様々
思い出すのもつらいこともあります
忘れたいのに忘れられないのもつらい
忘れていたのにふと今回の記事を読んで思い出す
そんなこともあります

自分のことだっていやなこと
思い出したくないこと
たくさんあります
それでも普段は笑って暮らしてますから
忘れているんですね
忘れているから暮らしていけるんでしょうね
何かのきっかけで思い出すことはあっても
いつもは忘れています
完全に忘れ去ることはできないんでしょう
誰もがそうやって生きているんでしょう

心の奥に闇を隠して生きている
人はその闇を他人には見せないが
時に晒したくなることもあるようだ
不思議な人の心のありよう
私など単純な者にはうかがい知れぬ闇の世界
だからそこに手を入れようなど
思ってはいけないこと
身の程を知らなければ
何を書きたいか自分でもわかっていない

これを投稿して
最後にもう一度書いて
今日は終わりにしよう
できただけで良し

2019/05/31

I.Fujikawa
う~~ん
眠たい
ダメだ 作業できないと
投稿しておこう

2019/05/31
I.Fujikawa
ひと眠りして10時に目が覚めたけど
正直まだすっきりしない
またすぐ眠くなるかも
再起動して
不正表示が出た投稿をまた試みたが
今回も不正
どうなってんだか
まあそれにこだわっててもなんだから
先にすすもう
今日中にどれだけかけるか
集中しないとね
少しは爪痕残さないと
二日続けて2千字そこらじゃね
ほんとに何してるんだかってなっちゃう
やる気はあるけど体が付いてこないというのが今日
昨日はやる気も体もついてこないだったからね

さて愚痴ばかり書くのは誰だっていやだし
それ読むのも嫌だろうからさとちゃんの記事の内容読まないとね

自然のままに
なすがままに
いろはのい
ではないですか

私は
ありのママ
なすがパパ
ってしゃれてるけど
「いろはのい」という発想は
全くなかったなあ
いわゆる基本ってことだろうね
これメモして覚えておこう

さとちゃんのこの「観想詩」というのは
前にも読んでコメントしたけど
共感する考え方多いんだよね
それを簡潔に表現できるのが
怒涛詩人の詩人たるゆえんだろうね
説明的説得的な表現ではなく
スッと入ってくる言葉の連なり

★好きに生きた分だけ苦しいのは自明ですよ。

これなど私のこと言われてるって思うよ
好きに楽な道選んできたから
その分苦しめってね
人生の帳尻は合うようになってるってのもそうだね

やれるもんなら
一人でやりな
ひらきなおって
みてもええんやで

この言葉も今の私には
響きますね
ひらきなおって・・・ですか

親のこころ
わからんのが
子やで

子のため
親のため
と言うけどみな
自分のため
ということが多いのでは
みな自分のことが第一です
それでいいのだけど
だから人のためと
思わぬこと
押し付けぬこと

いろいろ分かっちゃいるんだよね
でもわかっちゃいるけどなんとやらで
周り道うろうろ

ここで一度投稿しておこう
投稿テストの意味もあるけどね

2019/05/31

小草の枯れるまで11・里は節分

2006/02/03
2006里恋詩

I.Fujikawa
この前の記事に投稿したのが不正アクセスとかで投稿できない
3度か試みたがだめだめ
次の記事に来てよんでいると・・・
眠ってたというお粗末
またやってみるけど
この投稿は大丈夫かな
とにかく投稿チェック

2019/05/31 URL 編集
I.Fujikawa
投稿できなかったみたいなコメント書いて
それがホンマのコメントにはなりませんな
記事ちゃんと読んでそのこと書かなくちゃね
いやいや弁解させてもらいますけど
確かにそれが正当だとはわかります
でもね私の場合ジコチューの自己愛200%でさかい
記事よりまずコメントになっちゃうんですね
これだって記事のことより弁解でっしゃろ
そんなコメント何にもならない意味ない
そうでしょうともそうでしょうとも
わかっちゃいるのですけどね
ちゃんと記事に青くしたコメントを書こうと
心では思っているんですよ はい
ちゃんと読んだのですよ
だから例えば信心のこと書こうかなとか
八百万の神みたいなこと書こうかなとか
京都は地蔵盆が有名だし身近だから
そのこと書こうかとか
ちなみにツイッターで使っているプロフィ画像は
お地蔵さんの画像使ってるんですね
そこのお地蔵さんはかなり場所をとってました
たくさんん歩地蔵さんが並べてあります
弘通は1体か2体だろ思いますけど
だってお祭りする場所だっって大変なんですからね
いろいろ面白いところに設置して工夫を凝らしてはります
あるところなんかは壁のちょうどお地蔵さんのところを切り取って
つまり壁にすっぽりはまっている感じのもあります
面白いといってはごへいがありますが
面白いし感心しますね
町内ごとにそれがあるんです
ちゃんとお花も添えてあり お水も変えてあるようです
子供を大事にするということの現れでしょうね
子どもにとっては夏休みの待ち遠しい行事になってるようです
町内でレクレーションとして海水浴に行ったりしたようです
今はどんなことやってるんでしょうね
おやつをいっぱいもらえるのも楽しみですし
場所によっては通行止めにしてますからね
子供優先ってことでいい行事だと思います

書くのめんどくさいなあと思っていたのですが
まあそこそこ書けたと思います
でも今子供の置かれている環境のことを思うと
どうでしょうかね
地蔵盆っていいなって語ってられるかですね
随分様変わりしていることでしょう
私が書くことは古いのでね

11時回りましたね
もう30分ほどですかね書けるのは
今日中ということを心掛けるようにしましたから
字数を稼ぐために明日になっているのに今日の内なんていって
字数稼いでいましたからね
そんな姑息な手は使わないでダメなものはしょうがないってけじめつけましょう
ということでこれはまずこの辺で〆ましょう チャンチャン

2019/06/01

里恋詩13・ピラカンサスの赤い実

2006/02/02
金剛葛城の里巡り
I.Fujikawa
この前この記事のコメントの
20件を超えるコメントが未引っ越し
その引っ越し作業をしたのですが
不正表示が出て何度やってもダメ
再起動してもだめ
昨日もダメ
で今日試したらOK
どうなってるんだか
まあやっと成功したからいいけどね

不正表示は何度かあった
場所を変えてほかの記事ではOKの場合もある
いじいじ同じこと書いてないで
さとちゃんの記事にコメントしなくちゃ
でもね
それ苦手なんだよね
ジコチューだからどうしても
自分のこと中心になっちゃう
こんな人間コメントしても嫌われちゃうよね
実際嫌われてるからね
まあ自覚してますから・・・
ってことで続けましょう
ところで今
例によって朝食後の歯磨き中のPCタイム
この件ね
ちゃんと磨き済ませてからPCやればいいって話ですが
歯磨きしてる時間がもったいないので
PCしてるんですけどね
一石二鳥じゃないですか・・・??
になってないかもって今日思った
コメントしてるときは歯磨きできない
歯磨きしてるときは観てるだけ~~
今Gyaoでこれ観てる
お願い、ママ 第13話
コメント書くだけではじかんがもったいないでしょ
一石三鳥狙いなんだけどね
結局一つのことしかできてないって気が付いた
気が付くのが遅いんだよね

グダグダ意味もないこと書いてるんだけど
これは事情があって字数稼ぎ
事情ってな問題じゃないけど
さてさてさとちゃんの記事だけど
無理してでも書かなくてはね

今年はピラカンサスの赤い実は悲しげです

って表現は
さとちゃんを実際に知ってるから思うんだけど
知らなければどんなひとが書いたんだろうと思うだろうね
人は見かけによらない・・・というか
見かけでひとを判断しちゃいけないっつうか
ピラカンサスの赤い実を悲しげって表現
私は泣いてしまいます
実は私もピラカンサスの赤い実について書いています
実かこれにつなぐために話題持ってきたんだよね
それもこれもジコチューの自分の宣伝のため
宣伝になるかどうかはさておき
「花物語」って昔メルマガで書いてた
最近それをノートにまとめてアップしている

花物語~ナンテンの実
https://satokoiuta71.blog.fc2.com/blog-entry-140.html
思い違いもいいところ・・・ナンテンの実だった
宣伝したかっただけなのでこの辺でやめましょう
実は眠気がしてきて
歯磨きも終わらなくちゃいけないし
まだ歯磨きしてるんかってことですね
じゃあまた

2019/06/01

松ちゃんの詩(うた)7・ちちこ谷散歩

2006/02/01
2006里恋詩・松ちゃんの詩
コメント
一郎
No title
うちは2匹の猫がいます。メスネコは1歩も外には出ませんが、オスネコは出してくれと外を眺めています。外に出すのは便の問題もあり苦情がでます。そこでうちでは、便を済ませたら外に出すことにしています。そうすることで何とか言い訳が出来ると思っているのですが・・・。朝と晩に外に出たがります。昼はずっと寝ています。大体便をしたくなったら狭い部屋を走り回ります。こちらは便をするまでじっとガマンの子です。便を済ませると私の横に来て顔をジッと見つめます。「出してよ」と、言ってるような顔をしています。

2006/02/01

デタラ芽農日記13・柿の剪定

2006/01/31
デタラ芽農日記
I.Fujikawa
昨日はコメント作業もせずに終わりました
その前日にここでコメントしまくりましたが
その目的がって日記の1万字も結果的に達成
その反動が昨日来てしまい
何も手が付かぬうちに一日終わった感じです
日記も3千字にも届きませんでした
今日はこれまで2回日記の投稿はしていますが
それも合わせて2千字止まりでしょう
ここでの投稿は字数よりも回数で稼ぐことになります
肝心のさとちゃんの記事は目を通すだけで
その内容についてのコメントもせずにこんなことを書いています
内容についてコメントできないというのは
農についてまったく無知なのと無関心がありますね
農が大切だと分かっていてもそれは頭の中だけのことで
自分は何もできないしたくないということでしょうね
もし農家の子に生まれたらどうなってたでしょう
仮定の話には何の意味がないとは思いますが
ただただありがたいと感謝しましょう
しかし人間は環境の変化でこれまでの自分では考えられないような
劇的変化対応も時になりますよね
私がそれを実感しているのですから大いにありってことでしょう
つまり農家に生まれていたら
あるいは農家にすむことになったら
案外その環境にどっぷりはなるってこともあるはず
例えば今の私は介護の傍ら今までしたことがなかった主夫してますから
これまでの自分のことを考えると全く想像もつかない出来事変化ですからね
環境に対応する生き方が出来るというのはありだと分かります
とりあえずここで投稿しておきます
眠気も急に襲ってる状態
それからお腹がすいたので
晩御飯にしなくちゃね
それではまた

2019/05/31

松ちゃんの詩(うた)6・松の草

2006/01/31
2006里恋詩・松ちゃんの詩
I.Fujikawa
うちには長いこと
色んな猫ちゃんたちが出入りしてきました
多い時で8匹いましたが
そのうち家に落ち着いたのはオスメス一匹ずつ
ミーコとジュン
この二匹の話は書けば長くなりますが
書く気力も技量もありませんので
さとちゃんが書いた
「いのちの装置に
織り込まれている」
ことで感じたことや思い出を少し書いてみます
ミーコがジュンより先にうちの住人になっていました
こちらがメスで年上なんですが
ジュンが来たときはまだ数か月の子ども
なのにミーコは怖がって外に隠れてしまって
なかなか家に入ってこれませんでした
もともと拾ってきた猫なんですが
新聞代の集金先のマンション中に響き渡る声で
泣いていたところを拾ってうちに連れて帰ったのでした
家の中でも絶えず上の方に気を配り
頭を伏せたりしていました
外でカラスにでも襲われて怖い目にあったのでしょうね
そんな子でしたから臆病な子だなあと思っていたら
まだ赤ちゃんとも言えるようなジュンを怖がったのですからね
そのミーコがどこに行ったのか姿が見えなくなったことがあります
時々外の日の当たらない地べたにお腹をつけてじっとしていることがありました
冷たい地べたにお腹をつけることで何かの効果があるのでしょうか
私にはそうすることも猫たちのいわゆるさとちゃんが書いている
「いのちの装置に織り込まれている」知恵のようなものかと思いました
姿が見えなくなってどのくらいたったか忘れましたが
力なく見えましたがミーコは戻ってきました
恐らく病気をどこかでじっと耐えていたのではないかと思います
病院に連れて行くとしばらく入院することになりました
その頃は経済的に余裕があったようで病院をよく利用していました
ペット屋さんに売っていますがネコちゃんが食べる草があります
草を食べるのもワンちゃん同様の「いのちの装置」なのでしょう
自分のことに置き換えて考えると
自分はとても生き延びる知恵はないし気力もないなあと思ってしまいます
実際そうなのです
何もせずに死ぬ方を選ぶのではないかと思います
動物の世界ではメスを獲得するのは戦いです
強い者がメスを獲得し子孫保存の権利を得る
このことも自分ならと考えてみます
争いごとが嫌いな私は自ら戦いを放棄する道を選ぶでしょう
恋もそうです
片恋が恋と思うことで失恋からの予防線を張っています
こんな私でもまあ何とか齢70を越しました
ただ生きているだけの人生だったように思いますが
ともかくも生きてきました
生きています
今日今のところは・・・

2019/05/29

続・恋の道・日高川6・黒竹の原谷の里

2006/01/30
畿内・里巡り
一郎
No title
私が新聞を配達している区域の一つが原谷といいます。金閣寺の裏山にあたり、当然のことながら周囲を山に囲まれた狭い盆地になるわけです。「原」は無いのに「原谷」とはこれ如何に・・・と問答したいところです。2月5日の講座に参加するつもりでいましたが、いろいろ検討した結果今回はパスすることにしました。遠いゆえにチャレンジしたかったのですが、またの機会に参加させていただきます。場違いなところでの連絡になりましたが、こちらの方が確実かと思い書かせていただきました。失礼しました。

2006/01/30
I.Fujikawa
珍しく記事のタイトル・・・黒竹の原谷の里 にちなんで
京都の原谷のことをちょっと書いてました
金閣寺の西側になるのかな
山の方に道を通っていくと蓮華谷に行く道と
原谷に行く道に分かれます
蓮華谷は昔火葬場があったところ
原谷にはかなり急な坂道を上ります
下った突き当りの三差路に信号一つ
右・・・東に行くと東海自然道に通じ
さらに東に行けば鷹峯へ
南に行けば西大路が北大路に曲がる大きな通りに出ます
金閣寺はそのすぐ西側になります
さて原谷唯一の三差路の信号を左・・・西に行くと
仁和寺の北を回りこんでこれも周山街道と嵯峨への別れ道になる
交通の要所福王子にでます
福王子を南に下ると桂川の沿いから西国街道への道につながります
原谷に戻りますが京都に来られたら
左大文字から西に連なる小高い山々
その奥に位置するのが原谷
一峠超えれば別世界の隠里
狸さん猪さんが夜中には出歩いています
時には狐さんも
鹿さんは東海自然道でよく見かけます
東は山 西畑にという場所の狭い山道でじっと私を見ています
ということもしばしばありました
もう新聞配達をやめて数年経ちましたので
冬場は難所?でした原谷のことがなつかしく
ついつい書いてしまいました

2019/05/29

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里恋詩くて・・・熊野・高野
Yahoo!ブログ('19/12/15 サービス終了)
管理人 無名居士

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