高山が作家として更に飛躍することを願い創作活動を支援したい!~エッセイ「ガーターベルトの女」の作品化を目指して【253】
妄想家・夢想家無名居士の夢物語の記録です
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【随筆】映画『秋刀魚の味』雑感
高山の作品から
随筆「アントニオ猪木 雑感」
2017/03/17
アントニオ猪木を語る時は、非常に色々思います。
昭和四十三年生まれの僕より少し上の世代は、更に感慨深いでしょうね。
若い世代は面白いおじいさんでしょうかね。
最近のバラエティーには沢山のプロレスラーが出るから、あの怖かった長州力まで面白い滑舌の悪いおじさんですからね。
色々な意見が有ると思うし、世代によって違うでしょうね。
それは良いんですよね。
しかし、現役時代には、これほど魅力的なプロレスラーは居なかったですね。
ヒーローと言うより、ダークヒーローでしょうかね。
妙な色気のあるダークヒーローですね。
最も猪木が体力的にも充実していて、彼の唱えるストロングスタイルと言うプロレスを出来たのは七十年代でしょう。
八十年代に入って急速に衰えを見せたのは、糖尿病が大きかったのとアントンハイセル等の事業に大量のお金を入れてしまい、借金に追われたからでしょうね。
しかし、僕が見始めた頃の猪木は、七十年の終わりから八十年代にかけてです。
田舎だったから、新日本プロレスがなかなかテレビで映らなかったんですね。
それに転校が多くて、観てる時と観てない時が入り交じってます。
僕が本格的にプロレス好きになったのは、全日本プロレスの華やかなリングでした。
子供心には、ミル・マスカラスやザ・ファンクスやアブドーラ・ザ・ブッチャーは魅力的でした。
それにまだ、若き頃の馬場はかなり動けてたし、当時は権威のあったNWAのベルトを巡る攻防は良かったですよ。
馬場は、本など読むと二十代の頃は動けたし、アメリカでやれたようです。
巨人症が出始めてからは、動きも鈍くなったようですね。
馬場を物真似でしか知らない人はスローな馬場しか知らないでしょうが、僕は動けた馬場を少しは知ってます。
猪木に戻しますが、猪木を語るときジャイアント馬場を外せませんね。
若い頃の猪木のビデオはかつて観ましたし、猪木対アリ戦はDVDで安く出たから買いました。
昭和四十三年生まれの僕らは、衰えて行く猪木を良く見てますね。
僕は昔、猪木の三十代前半の頃の雑誌に載った写真を壁に貼ってましたよ。
見事な身体ですね。
プロレスラーとしては細身ですが、実戦的な身体と言っても良いと思います。
僕が三十代の頃にトンネル工事の事務を主にしてたせいか、身長が一メートル六十後半なのに七十五キロ位まで太りまして、その後に現場に本格的に入るとなって、二ヶ月程で五十七キロまで落とした事があります。
運動と規則正しい生活ですね。
その時に猪木の写真を何度も見ては、こういう身体にと思いました。
男が観ててほれぼれする見事な身体です。
猪木は、常にトレーニングを欠かさなかったようですね。
猪木にトレーニング方法やシュート、つまり真剣勝負を教えたのがカール・ゴッチですね。
猪木の新日本プロレス旗揚げ戦の相手をしたの、もカール・ゴッチです。
それまでの、力道山時代の相撲上がり達のトレーニングとは違ったようです。
関節技や、時にはシュートに対応出切るように裏技も教えたようです。
時には相手が、軽くシュート真剣勝負を仕掛けて来ても対応できるかは重要なようでした。
相手がメインを張ってるプロレスラーを試すように、軽く仕掛けて来るらしいです。
それに対応して、俺はお前より真剣勝負でも強いんだぞと見せないと、チャンピオンやメインを張るって昔は難しかったらしいです。
鉄人ルー・テーズもその辺りを言ってますね。
徹底的にショーマンに徹したら、そうはならないのでしょうけどね。
猪木は、新日本プロレスの社長でありメインレスラーですからね。
猪木が完全に分かっててシュート真剣勝負をしたのは、三試合だと言われてます。
アリ戦、韓国のパク・ソンナン戦、パキスタンのアクラム・ペルーワン戦ですが、僕が思うのは真剣勝負になりかけたりしたのはそれ以上だと思いますよ。
アメリカでの修行中にそういう事があったと本人が語ってるし、当時のアメリカで日本人に対してはそういう事は多々あったようですね。
反日感情が根強く残ってる所ではやりにくかったと、マサ斎藤等の自伝でも書かれてます。
この雑感は、僕が猪木を観てきた部分と猪木に関しての大量の本を読んで書いてるから、いつもより更に混沌となります。
こういう事を筋道をきちんと立てて書けないのが最近は悩みですが、それでも良いかと思いますよ。
素人から観た猪木ですよ。
最も僕が衝撃を受けたのが、1983年のIWGP決勝戦のハルク・ホーガンとの一戦です。
この頃には、プロレスは作られてると知ってましたが、それでも猪木がまさか失神するとはでした。
テレビに向かって、猪木ー!!と叫びましたよ。
後で知りますが、これも猪木の演技なんですね。
舌を出しての失神はあり得ないらしいですし、当時の猪木はアントン・ハイセル関係の借金で逃げ回ってたらしくて、そういう事情もあったようです。
猪木が勝つって決まってたのに、猪木は初代タイガーマスク等に今日は何が起きるか分からないぞと、前に言ってるんですよ。
これを猪木の演技と気付いて猪木を支え続けた坂口征二は、『人間不信』と紙を置いて、しばらく会社に来なかったようです。
坂口征二は、猪木と合流する時は対等での約束をしながらも、途中から完全に公私ともに猪木を支える側にまわります。
馬場との裏での交渉も、坂口が居たから出来たらしいです。
猪木は常に常軌を逸した天才でありその周りの人間は大変だったようです。
しかし、猪木が持ってるプロレスに対する天才性は誰もが認める所でした。
一時期猪木を批判して新日本を離れた長州力も、プロレスに関しての猪木は凄かったと回想してますね。
八十年代に入っての猪木は段々細くなり、試合も決して良い試合では無かったけど、衰えて行く者が持つ独特のオーラが有りました。
エロティシズムと誰かが言いましたが、そういう物が漂ってましたね。
言い方は変ですが、女性が歳を重ねてしか出せないエロティシズムに似てるのかも知れないです。
僕はそういう猪木にも惹かれましたよ。
引退の時にはすっかり痩せてましたし、試合も途中で何処か痛めたようで内容は良くなかったのに、やはりスターでしたよ。
僕が特に惹かれた時期は、長州力や前田日明が猪木に向かって世代交代を叫ぶのに、俺の首を取ってみろとパフォーマンスする猪木です。
そこにあるのは衰えていくもののエロティシズムと、意地のような物です。
それを上手く演じてましたね。
演じると言うと、誰でも出来るかと言えば猪木にしか出来ない物でしたよ。
しかし、三十代の前半の、脂の乗ってた時の猪木の話しは興味深いです。
相当強かったようですし、喧嘩になったら誰も勝てなかったと言いますね。
新日本を立ち上げた時も、確か当時の奧さんの倍賞美津子実家の近くに、とにかく道場を作ってますね。
強さを求めてた猪木らしいです。
それと、猪木が常に頭に置いていたのが、ジャイアント馬場です。
馬場には、当時のプロレスの権威のNWAの外国人ルートがありましたし、NWAのチャンピオンベルトへの挑戦権も有りましたが、猪木にはそれが馬場からの圧力でなかったんです。
だから呼ぶ外国人も二流で、それをいかに猪木が一流に見せるかに苦心したようです。
猪木が唯一と言っても良い外国人とのライバル関係を作れたのは、タイガー・ジェット・シンです。
悪役レスラーでは無かったタイガー・ジェット・シンを、悪役に変えて抗争を続けます。
時には、倍賞美津子といる所を襲わせたりします。
もちろん本当に襲ったのでは無くて、そういう風に新聞に載り、周りが信じるようにです。
警察からは、かなり怒られたようですがね。
猪木の自伝でも、タイガージェットシンは特別に扱われてますね。
そして、何度も馬場に対戦を迫ってますが、馬場は当然無視ですね。
八十年代に入って、新日本の方が馬場の全日本を一時期抜いたら、外国人の引き抜きを行います。
お互いが引き抜き合いになります。
猪木は、八十年代に入ってからストロングスタイルと言いながらも、自分自身の衰えからか馬場的アメリカンスタイルのプロレスに変化して行きます。
その辺りに不満を持った若手も多かったでしょう。
しかし、戻りますが猪木はアリと真剣勝負をやってるんですよ。
あのモハメッドアリを日本のプロレスのリングに上げるだけでも当時として凄いのに、そのアリと真剣勝負ですからね。
アリは現役のチャンピオンでしたし、近代ボクシング史上では最高のボクサーだと思いますよ。
こないだnumberって雑誌で人気投票してて、マイクタイソンが一位でアリは三位かでしたが、アリの方が僕は上だと思いますよ。
人々に与えた影響も含めてですね。
猪木との戦いをアリは、最初はエキディビジョン、或いはプロレスをやると思って来てるんですが、猪木側が真剣勝負に変えたようです。
ここまでは、大抵の本を読んでも同じですね。
アリはそれを受けるんですよね。
この試合で新日本プロレスは、ファイトマネーやその他で九億円の借金を抱えて、猪木も社長の座を一時的におろされます。
当時の九億円ですから大きいですよ。
アリとリハーサルして、お互いが傷付かないようにプロレスをするのは、猪木なら出来たでしょう。
柔道金メダリストのウィリアム・ルスカとやったようにね。
或いは後年に、元極真空手のウィリー・ウィリアムスとやったようにね。
しかし、猪木はそちらを選ばず真剣勝負します。
ルールに関しては色々言われてて、本当はどうなのか分かりません。
だけど、判定になったらドローってのは決まってたのではと、僕は思いますよ。
そうすればお互い傷付かないからね。
途中の過程は、猪木側はアリがむちゃくちゃなルールを行ったから寝ながら蹴るしかなかったと言いますが、それも違うと思うし、組み付く事はOKだったが猪木にはそのレスリング技術がなかったからああなったも、うーんなんですよね。
レスリング技術が猪木にあってもロープブレイクが許されてて、それがアリには分かってるから中央になかなか出てこないんだから、あれしかないのではですよ。
判定に関しては、どちらかが本当に倒れたりギブアップが無かったらドローは決まってたのではと思うのは、今見ると完全決着の判定なら猪木の勝ちなんですよね。
ダメージって事ですね。
猪木は、何度もスライディングしてアリにキックしてます。
それが段々と効いてますよ。
一方のアリのパンチは、まともに入ったのは数発です。
しかし、アリが凄いのが十五ラウンドで途中で辞めるってことも出来たんですが、辞めてないんですね。
なんだかんだ言い訳して途中で辞めても、世界のアリの言い分を皆聞くでしょうが、それをしなくて最後まで猪木を捉えようとしてます。
何故猪木が真剣勝負に拘ったかは諸説あるけど僕は、馬場とは俺は違うんだと俺なら勝てる、だったのではないかです。
そのくらい準備してますね。
この試合はもうアリがこの世に居ませんし、猪木もはぐらかすからルールや経緯に関しては謎が残るけど、真剣勝負だったのは間違いないですね。
猪木の誤算は、この当時はこの試合が全く評価されなさったって事ですね。
それも、プロレス界からも誰も味方が居なかった事でしょうね。
当時は理解出来なかったんですよ。
総合格闘技の発達した今なら、僕は猪木の取った戦法はそれしかなかったのだな、です。
一方のアリもそれしか無くて、お互い死闘をしたんだな、です。
しかし、当時は総合格闘技はないから、レスラーとボクサーがやればああなっても仕方ないって、分からなかったんでしょう。
謎は残るけど、実は凄いファイトだと今では思いますよ。
猪木は、この借金のせいで一時的に新日本の社長の座をおろされますし、精神的にも失ったものが当時は大きかったかもです。
しかし、後にあのモハメッドアリと戦った男として有名になりますね。
この試合は世界に流れてますからね。
もう今では、こういう事を出きる人は居ないでしょうね。
それに、アリは猪木に入場曲をあげたり、その後も何かにつけて協力します。
これは、アリがプロレス好きだったとか、お金が目的だったと言うのは少し違う気がします。
東洋の名も知らなかった男がチャレンジしに来て、お互い死闘をしたからではないんですかね。
アリも素晴らしいですよね。
その後、PRIDEって格闘技イベントは、高田延彦対ヒクソン・グレイシーが無ければ始まらなかった。
高田延彦はプロレス最強を証明するためと言うか、自分自身そういう立場に追い込まれてかもですが、ヒクソン・グレイシーと二度もやって二度も見事に負けてます。
高田延彦は、かつては猪木に憧れ猪木の新日本に居ました。
逃げようと思えば逃げれたのに人気のあった男が負けて散々言われます。
散々言った中には、猪木も居ますけどね。
散々言われても、高田延彦ってプロレス界のスターが出たからPRIDEが始まったんですよ。
高田延彦の勇気は、ある意味猪木の遺伝子ですよ。
僕は、猪木の後継者が居るとすれば高田延彦だと勝手に思ってます。
人がなんと言おうとやるんだっていう遺伝子ですね。
高田延彦を弱いと簡単に斬るのはおかしいです。
高田延彦の立場なら無茶な戦いをしなくてもプロレスラーでやれてたのに、敢えて飛び込んだ勇気は素晴らしいです。
金銭的な借金があってもです。
彼くらいのスターレスラーなら、プロレスラーを続けてたら何とかなったでしょう。
彼にも猪木の持つ狂気があったかもです。
高田延彦は、PRIDE現役時代のプロレス雑誌のインタビューは熱いですよ。相手に熱が無かったら切れてましたからね。
そのくらい、自分自身が切り開こうとしてる道を信じてたんでしょう。
プロレスも今では、格闘技とは完全に距離を取ることによって再び盛り上がってます。
猪木の手から新日本が離れて再生してるのも複雑ですが、それはそれで良いかなです。
今後猪木のような、ある種の狂気を持った人は出ないでしょうね。
時代が猪木をスターにしたのかも知れないし、猪木が時代を引っ張り込んだのかも知れないです。
両方でしょうと、僕は思います。
現役の頃のアントニオ猪木の佇まいは、プロレスの天才を感じさせました。
色々な人がプロレスの天才と言われるけど、猪木を超える人は出ないだろうな、が僕の感想です。
彼の議員での活躍は全く期待してません。
一人くらいああいう人が居ても良いのでは、です。
猪木に関しては、その後の格闘技やなんかへの影響も書きたいけど、そうなると猪木のむちゃくちゃぶりも書かないといけないから延々と続きますからね。
猪木の引退後の迷走を批判する人が居ますが、天才ってわがままなんですよ。
それに、今でも一応自分自身の名義の団体を持ってますが、猪木の頭にプロレスは消えてますよ。
言い方は悪いけど、自分自身さえ良ければ良いんです。
そのくらいでないと、あそこまで突き抜けられませんよ。
少なくとも僕にとって最高のプロレスラーですね。
僕にとって、猪木を超える人は今後出ませんね。
勿論異論は有るでしょうが、僕にとっての猪木はまだまだ研究したいし、スターなんですよ。
おわり
高山の作品紹介
次回は随筆「父の近況と思い出」
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「ガーターベルトの女 外伝」(フィクション編) 1
「新・ガーターベルトの女 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10
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