『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【240】2008/11/7~2008/11/7

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
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丹生川を歩く・序にかえて、丹生笛

2008/11/07 丹生川を歩く

さるとりいばらの新芽で鳥寄せされたのです。
新芽の時だけ笛になるのだそうです。私も吹いてみましたが音も出ませんでした。
流石、Uさんの笛に鳥が呼び寄せられて鳴いたのでした。

いわゆる草笛
草笛にも色んな種類があるのではないか
そこでウィキで検索

草笛(くさぶえ)とは、草の茎や葉を巻いたりして、リコーダーの様に吹く笛である。玩具の内、自然玩具というカテゴリに分類される。
使用される植物はタンポポ、スズメノテッポウ、カラスノエンドウ、アシ、マテバシイ、ミョウガ、ツユクサなど[1]。種類、構造は多彩であり、古来子供の手作りの玩具として親しまれてきた。
タンポポ・笹笛・柴笛・葦笛・麦笛などがある

子供の頃 父が草笛を吹いてくれた
何の葉だったか分からない
子供なりに真似て吹くのだが
鳴る理屈を分からずに吹くのだから上手く行きはずが無い
音は振動と授業で習うのは小学校の高学年になってからではなかったか
草笛の理屈が分かって葉を震わせて鳴らそうとしてもやはり上手く行かない
そもそも私は不器用で工作も苦手
口笛はかろうじて出来るかメロディーを吹けるほどではない
指笛もいくつかの方法があるが
私はどれも出来ない
両手を少し丸めて合わせて
合わさった親指の付け根辺りに唇を当てて吹くと
ほら貝のような音が出る
私が出来るのはその位なもので不器用この上ない
沖縄民謡など指を丸めて口に含み
かん高い音を鳴らして場を盛り上げるが
何度挑戦しても一度として音が出た事がなく悔しい思いをしている
大人になっても指笛が出来ないのは不器用さを思い知らされ
大人の資格が無いと宣告されたようなものだ
私は楽器音痴だと自覚しているが
それはギターをやってもアコーディオンをやってをもダメ
60になった時に一念発起して10年掛けてプロのドラマーになると決意したものの
ドラマスティックと教則本を買っただけで挫折したからで
草笛や指笛を吹けなかったことも不器用さから来たもの
つまりは能力すら無かったからと諦めている
と言うか…熱心に打ち込むほどの興味が無かった
自分には向いてないだけの事だと考えよう
しかし…根気が無いのは事実だ
やれば出来ると言う自負はあるが
自負だけでやりもしない
勉強だってそうだ
妙な自負心がチャレンジする事をさけている
要は結果が怖いのだ
出来なかったと言う事実を知るのが怖い
だからいつまでもいつまでもモラトリアム
不器用とモラトリアム的回避逃避精神は違う
失敗結果を怖れずにチャレンジする事が私は必要だった
遅まきながら自分の想像力にチャレンジを始めたところだ
続くかどうかは分からないが…
2021/11/25

里恋詩くて11/7・赤目四十八滝の紅葉はこれから

2008/11/07 里恋日記

・・・今年の紅葉は10日遅いとのこと。しかも、台風がなかったので綺麗だとのこと。
★赤目四十八滝の紅葉はこれから・・・11/2現在。

今日は11月24日 いい天気です
だいぶ朝晩は冷えて来ました
でも昔とひと月季節はずれて来てるかなって感じるけど
だから紅葉も段々遅くなってるんじゃないかな
温暖化かなと思うけど実際はどうだろう
散歩にも出なくなったので外の様子が全く分からない
季節を愛でる鑑賞するってどうでも良くなった
こうなると人間お終いって気がするけど
自分にとってはこれが一番楽というか
やりたい様にやってるというか
自堕落な生活が一番自分らしいようだ
せめてもの慰め?は何かを書き続けている事かな
書く事が面倒になった時もあったけど
それはそれでなるに任せていれば
また書きたいって気持ちになったし
それが今続けられてるし
この先も気持ちの変化は様々あるだろうけど
なるに任せていれば
なるようになる
しかもより良くなる
と言うのがさとちゃんから学んだ信条
まあ健康的には良くない事だらけの日常だろうけど
それも込みの「なるようになる」
なるに任せましょう
人生決まっているのは死ぬ事だけ
それからは逃れられない
早いか遅いかの違い
自分がどの様に衰え
どの様に死んで行くのかの記録になればいい
それが書く事で見つめられれば
書く意味があるって事かな
意味をイチイチ見つけなくてもいいけどね

さて話変わって何を書こうかと思案中
韓流ドラマの事でも書こうかと思ったり
それも面倒だなって思ったり…
昨日一つドラマが完結
イッキ観した感じ
珍しく30分ドラマって事もあったし
次々気になる展開だったし
良く出来てるなって思う内容だった
2シーズン目だったけど3シーズンに続く終わり方だった
気になって検索すると

『検法男女』、シーズン3の制作について「まだ決まっていない」
2019/07/30

との事だった
韓国では『検法男女』と言うタイトルだったんだ
http://www.kandra.jp/justice/

やはり脚本に感心したので調べてみると
ミン・ジウン「シンデレラと4人の騎士<ナイト>」「雪蓮花」
ウォン・ヨンシル「シンデレラと4人の騎士<ナイト>」
もっと他の作品も知りたいので検索
ミン・ジウンには映画作品があった
「ヒマラヤ〜地上8,000メートルの絆〜」
ウォン・ヨンシルにはもう一つドラマ作品があった
「アイドルマスター.KR」
気になる脚本家になったので機会があれば観たいと思う
一つ観終わると次のドラマを探すのだが
なかなか見つからない時が多い
仕方なく観てみるかと選んだ物が良かったりする
良いかなと観始めたがすぐ止めるのもある
色々なパターンはあるが
なんやかんや?
この言い方がしっくり来ないので
類語を検索

何やかんや 何だかんだ 何やかや ああだこうだ どうのこうの とやかく 何やかんや 何だかんだ 何のかんの 何のかんのと あーだこーだ
Weblio類語辞書

まあ遊びがてらの検索でそこそこ面白かったが
何やかやあっても結局良いドラマに出会って
毎日愉しく鑑賞している
そしてその都度思うのだが
ドラマや映画は壮大なムダ遣いではあるが
私に愉しい時間を与えてくれているのだから
大いなる感謝を捧げたい
涙を流しての迫真のシーンを観て
演技なんだと覚めた目で見ると何だかおかしな世界に見えてくるが
それがあってのドラマや映画
一傍観者でしかないが
いや実はその現場に居たかった者としては
その泣き笑いの現場が愛おしくてならない
その現場に飛び込む勇気の無さを悔いているが
飛び込んだとしてもきっと挫折脱落しているだろうと思う
今もなお無名作家のあるエッセイの映画化と言う夢?妄想を追い続けているのも
その世界への未練執着なんでしょうね

さて……次に観るドラマは未定
「シンデレラと4人の騎士<ナイト>」は以前数話観てやめてしまったが設定は興味あった
Netflixで配信しているのでこの機会に再度観てみるか…
2008/11/08

赤目四十八滝を歩く4・二軒目の茶屋にて

2008/11/07 畿内・里巡り

一件目の茶屋から予定の二軒目の茶屋に到着。百畳岩。岩の川原といった景観。ここからは
荷担の滝は午後からの予定でしたが昼までに歩きたいとKさん。

「荷担の滝」が気になったのでピックアップ
なぜかと言うと「負荷」というブログに関わっているから
「荷」という字が共通しているだけなのだが…
どう関わっているかの説明は面倒なので
興味ある方はこちらをお読みください
https://manyo1000.blog.fc2.com/blog-entry-1546.html

「荷担の滝」で検索
コトバンクより

荷担(にない)滝
三重県名張市の滝川渓谷にある滝。赤目四十八滝の主要な5滝「赤目五瀑」のうち、最上流の琵琶滝の次に上流に位置する。名称は、落差8メートルの滝が岩を挟んでふた筋に流れる姿が荷を担っているように見えることから。

ちゃんと検索で出てくるもんですね
では「負荷」はどうでしょうか
goo辞書によると

ふ‐か【負荷】 の解説
1 任務を負うこと。また、その任務。「―の大任」
2 子が、父の業を受け継いでその任を果たすこと。また、その仕事。「―に任ず」
3 発生させた電気的、機械的エネルギーを消費するもの。また、その消費量。真空管回路における抵抗や、機械設備が消費する動力など。

一般的な説明は分かるのですが
ブログ主である作家 小林長太郎氏はどんな意味を「負荷」に込めたのでしょう
ブログ主しかその真意は分かりません
部外者の文学とは縁の無い私が想像したところでどうなるものでもありません
しかし今私は「負荷」に深く・・・シャレになってますかね
何故か深く関わっているのです
まったく関係ない私が
ほとんど無縁な私が
事もあろうにです
どう関わっているかと言えば
「負荷」の記事保存運動の呼びかけに応えて
私なりの協力をと思いました
それはゼロコメント記事をとりあえずタイトルだけでも全部記録する事
変わった発想だと思われるでしょうが
私が興味あるのは記事の内容より先にゼロコメントの有無
何故ならワタシがコメントする場合はゼロコメントを探すからです
ゼロコメントの記事には誰にも遠慮せずに書き込めると言うもっぱら私の都合
それでゼロコメント記事のタイトル保存になった訳です
ところがまずいことにその後ブログにアクセス出来なくなったのです
その経緯は分かりませんが
ブログの更新が長いことストップしたままになっているので
熱心なファンの人たちはブログが削除されるのを危惧していたのです
それで記事保存が呼びかけられていました
そのお陰で僅かですが記事の一部は保存されました
その後Yahoo!はブログサービスを全面休止
利用者はブログ引っ越しを余儀なくされます
私もいくつか引っ越ししましたが
「負荷」の記事保存が呼びかけられていた頃は転載機能は知っていましたが
ブログごと引っ越しする方法を知りませんでした
今思えば記事全部を簡単に保存出来たのにと残念でなりません
過ぎ去った事は仕方ありません
そこで私が考えたのはゼロコメントのタイトルを頼りにコメントする試み
いずれ今書いてるさとちゃんのこのコメントは終わります
その後の私の課題を「負荷」のコメントに切り替えようと思ったのです
記事の内容が残ったものは読んでコメント出来ますが
私が記録したのはタイトルだけ
それに果たしてコメント出来るのか
実は今 それを試しています
もう一つのnoteの高山を支援するマガジンに書いています
いずれその試みが続けられそうだったら
もう一つのマガジンを公開するかもしれません
まだ自信が無いので試みは続けますがマガジンは未定です

📖 無名居士のたわごと〜「小林長太郎の負荷」の0コメント記事~その11から・・・少年A論1〜2005/5/7(土) 午後 3:22
https://note.com/ichiro70/n/n8e35db6b6a9a

何故かは知らず
誰に言われるでも無く
自分でコメントすると
負荷を課してしまったようです
私のみならず 人をして
そうさせるものを
「負荷」は持っているようです
2021/11/23

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