『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【342】2009/11/11~2009/11/13

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章そしてさとちゃんの紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するためにブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)にコメントをする

里恋詩くて11/13・卑弥呼の館か!!・

2009/11/13 里恋日記

今日こそは、巻向駅だ!!巻向遺跡だ!!卑弥呼だ!!邪馬台国だ!!

纏向遺跡…名前すら知らない
卑弥呼だ…邪馬台国だ…と話題に
いやいや…いくら無関心でも
名前ぐらいは知っておかなきゃ

纒向遺跡ってどんな遺跡?

桜井市纏向遺跡研究センターの
記事を読むと…邪馬台国だと思ってしまう
それほど資料が豊富
そんなことも知らなかったとは…
さとちゃんに教えてもらったようなもの
感謝しなくちゃ

里恋詩くて11/13・早苗たちと

2009/11/13 里恋日記

「携帯が鳴いた、鳴いた。」

私は今でこそ…ケイタイ…スマホ漬け
以前は…ノートパソコンだけでした
ケイタイは非常用で
ほとんど使っていませんでした
その当時…若者はケイタイだけで
PCの使い方を知らない…と知って
そんな事があるのか…と不思議でしたが
いまは私が…まさにその通りの有様
PCはDVD用に置いていますが
まったく使っていません
年取ったらゆっくり観ようと
コピーしておいた沢山のDVDが
無用になってしまいました
もっぱらYoutubeの動画しか観ません
通知はバイブにしていますから
時々はスマホが鳴いてるのを
手で感じます
いずれ…固定電話もやめるでしょう
こんなにスマホ漬けになるなんて
分からないものです
いまでは…PCの使い方を忘れました

里恋詩くて11/12・雨がやんだら・・・

2009/11/12 里恋日記

雨がやんだら…
タイトルを頂いて
歌のことでも書きましょうか
というのも…このところ
昭和歌謡に凝ってまして
Youtubeで色々聴いています
雨がやんだら…朝丘雪路さんが唄ってました

同じ曲を他の歌手との聴き比べしたり
一人の歌手の曲を辿ったり
あるいは作詞家や作曲家の作品を辿ったり
様々に遊んでいます
これからやるのは…いしだあゆみの曲
デビュー曲からありました
そして彼女…昔の映像に魅了されています
私より一個下の同世代
若い頃の映像を観ながら
彼女のその後を想像しています
いしだあゆみの次は…
雨が止んだら…の作詞家…
なかにしれいさんの作品を聴いてみよう…

飛鳥を歩く③亀石

2009/11/11 畿内・里巡り

きき酒できます…と書かれた字がいい
散策で疲れた人には
一服の良き機会になるかも
さて…亀石だが
私にはカエルの顔に見える
寝ぼけた感じ
いかにものどかな飛鳥の田園風景かな…
ここに書く前に…訪れたnoteがある
その記事で紹介されていた
狂歌に目が止まった

仁の音
No.734 おーい、老いよ!

さとちゃん川柳のように
マネマネ狂歌にチャレンジもよかろうかと
しかし…狂歌とは?

狂歌(きょうか)とは、社会風刺皮肉滑稽を盛り込み、五・七・五・七・七の音で構成した諧謔形式の短歌和歌)。
ウィキペディア

諧謔形式…とは…
苦手だが…かまわずにわたし流儀で
いつものように詠んでみよう
●が私

「皺はよる ほくろは出来る 背はかゞむ あたまははげる 毛は白くなる」
●シワはない
 シミは次々
 増えてるが
 腰は曲がらぬ
 メタボのオカゲ

「手はふるふ 足はよろつく 歯はぬける 耳は聞へず 目はうとくなる」
●手や足の
 指先しびれ
 力無く
 爪を切るのも
 難儀するとは

「よだたらす 目しるをたらす 鼻たらす とりはづしては 小便ももる」
●垂らすには
 まだ至らねど
 オシッコは
 さすがに近い
 時にチョイ漏れ

「またしても 同じ噂に 孫自慢 達者じまんに 若きしやれごと」
●孫も子も
 無けれど我に
 家族あり
 国際ファミリー
 動画チャンネル

「くどふなる 気短かになる 愚痴に成る 思ひつくこと 皆古ふなる」
●同じこと
 また書いてると
 反省す
 だかくり返す
 書いて反省
 
「身に添ふは 頭巾えり卷 杖眼鏡 湯婆温石 しゆびん孫の手」
●怖かった
 白内障の
 手術終え
 メガネさよなら
 不自由は無し

「聞きたがる 死にともながる 寂しがる 出しやばりたがる 世話やきたがる」
●独り身の
 ほぼ引きこもり
 会話なし
 スマホを友に
 我愉しめり 

絵手紙記・中よし子よし

2009/11/11 絵手紙記

これを書く前に…
なつかしい動画を観ていました
いまは亡き同居人の
姉さんと看護師さんたちとで
植物園に行ったときの動画
思い出したのですが
その日は動物園に行く予定
ですが雨になったので
近い植物園に変更したのです
その姉さんは年末になると
年賀状を20枚ほど書いていました
毎年干支の絵を描くのですが
どんな絵にするかか悩んでいました
消しゴムに名前を掘って
押していました
何でも手造りにこだわっていました
詩人の茨木のり子世代
そうです…
「わたしが一番きれいだったとき」
戦争の時代だった世代です
暮しの手帖と婦人之友を愛読していました


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