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高山~父の死

2018/07/17

父が、七月一七日の朝に死にました。

ほぼ、一年の間に数ヶ所の病院を回りましたが、手遅れでしたね。

脳内出血をやっても驚異的回復力で、十年杖をつきながらも生きました。

二十年程前に、皆を巻きこんで自分のトンネルの下請け会社を潰してしまいましたが、脳内出血をやる直前まで小さいトンネルの作業員として働いてました。

倒産の時は、父や役員の人達はケータイ番号変えてて、僕にヤクザが来そうになったりもしましたね。

一時的に家を離れたので、僕もライトバンに毛布を積んで二週間程逃げましたが、ストレスから痩せてしまってて車の中で寝るのも苦しくなり、ヤクザがしつこいから金属バットを持ってビジネスホテルに泊まって、来いよ!!と言いました。

その時は、殺されるなら殺してやろうでしたが、一晩待っても来ませんでした。

来なかった理由は、当時今の会社の常務と沖縄で仕事をしてて常務が止めたのと、死んだヤクザの友達が裏から上手く止めたらしいです。

死んだ友達が止めてたのは、つい最近知りましたよ。

何故ヤクザが動いたかは妹が居たのと、二千万円程掛かる機械を買ってたか借りてたかを放棄したから、二千万円を取り戻そうとしたんですよ。

妹はまだ、当時は若くてソープに沈めるぞと言われてカチンと来ましたね。

法律的には、弁護士付いてたきちんと倒産でしたから良いけど、父はあちこちから個人的借金をしてましたね。

それから違う会社に、役員として拾われました。

そこも六十くらいの時に倒産して、再起を掛けたけど無理でしたね。

今回の入院のきっかけは、動けなくなったからです。

毎月、病院には行ってたのに検査を実は、きちんと受けてなかったんです。

自業自得と笑えば笑って良いけど、そういう人でしたね。

ここから入院の話しですが、最後に入ってたのはもう駄目って人が入る所に居ました。

それでも母は、ほぼ毎日色々作って持っていってました。

僕も、少なくとも週に二度は行ってましたね。

それまで、忙しいのと少し煩わしいのもあって、月に一度とかしかいってなかったです。

今でもそれを悔いてます。

今の病院に入ってて、行くと寝てる事も多くて起こさず帰ったりしました。

起きてる時は、聞き取りにくいながらも話しましたよ。

父に余り来なくてごめんと言うと、今来てるからいいじゃないかと言われました。

凄く救われましたよ。

食べるのは病院食か、母がミックスジュースを作って持っていきました。

まだ元気な頃は病院食を嫌がったけど、僕が食べさせたらなるべく食べようと必死でしたね。

父が、晩年愛した甥っ子の名前を忘れたら終わりだと言ってたけど、ほとんど来ない兄と僕は目をつむってると、声が似てますが分かりました。

甥っ子の名前は、名字は途中から分からなくなりましたが、きちんと覚えてました。

死ぬ数日前から寝なくて、目が開いてしまってて眼球が片方だけに偏りました。

尿が出ない為に点滴も外しましたね。

死ぬ一週間程前でしょうか、急にかなりハッキリ話し出してコーヒーが飲みたいとか、腹が減ったとか言い出しました。

少し驚きましたね。

その前には、寂しいと何度も泣くから大丈夫と励ましましたよ。

うちは、母と僕と妹が誰かが行けなくても、毎日行ってたからまだ良かったです。

来ない人はほとんど来ないようです。

見てると特に長く入院してる女性の老人に対しては、食べさせるのとか激しかったし、一度だけ頭を叩いてるのを見ました。

惚けてても、人間の尊厳は無いのかと思いましたね。

しかし、父も見てない時はやられてるのかなです。

だから、文句をなるべく言わなかったです。

甥っ子も良く来てて、扱い見てて驚いてました。

しかし、父は僕と同じで、ある面神経質でした。

枕の位置が悪いと嫌がりましたね。

それを丁寧に言いました。

父が動くって事は少なくなってたから、何かの検査をしたあとに適当に入れるんでしょう。

一度、いい加減に入れられてるの見て直してやりましたが、また行くと凄いいい加減に入れられてるんですよ。

それで、看護師の責任者呼んでくれと言って、前に枕だけは見てくれと言ったのにあれは、何ですか!?と初めて強く言いましたね。

そしたら、僕は丁寧にしか話さなかったのが怒ったから、驚いたようで直しますとなりました。

それからも多少は乱れてましたが、前よりはましかとなりました。

ここで言いたいのは、看護師の人数と介護士の給料と病院の体制です。

看護師は、ハードなのに明らかに人数が少ないです。

介護士も人数少ないし、ハードなのに給料凄く安いです。

やめる人も多いですね。

良い人材を集めるには、給料と環境ですよ。

それと、国の支援です。

政治家は、高級な病院に入るでしょうから良いでしょう。

普通の人はどうなの?です。

貧乏人はどうなの?です。

看護師、介護士責めてなくて、システムを責めてます。

それと、うちの父は胃ろう(注1)を断りました。

何故かは、意識が飛んでまで無理に生きさせるのはどうかなと悩んだ結果です。

色々今では思うけど、僕も断ると思います。

死ぬ一日前は、目が空いてしまうからと目をふさいでましたよ。

それを見た時に、後は時間の問題だと思ってましたね。

父には頑張れと言ってたけど、もう言えないねと言いました。

会わせたい人がいたら会わせて下さいと、二回言われましたよ。

母は、数日泊まってて最期の夜の看護師から、優しくこれだけ強いのは初めて見ましたと言われ、何かしら未練があるのですかねと優しく話しかけられたそうです。

病院に着いた時には、ほんの少し前に死んだと教えられました。

死んでるのを見て涙は、それほど出ませんでしたが、葬式の時にお経が始まると泣けて泣けて仕方なかったです。

鼻水と涙でぐしゃぐしゃになりましたね。

遺影が最も元気な頃の写真で、それを見てたら今でも泣けます。

仕事関係でない人に話す時も泣けます。

波乱でしたし、惨めな晩年でしたからね。

一生懸命働いて、会社を作って頑張ったのにです。

人は、言うかも知れないです。

七十六で、検査も受けなかったのなら仕方ないとね。

しかし、僕の父親ですからね。

それと、その病棟にはかなりの人数居ましたが、一番若かったらしいです。

それに人は、何時かは死ぬと言うかも知れないけど、生きざまですよ。

卑怯ものとも言われましたが二十年弱ですが、最盛期には田舎とは言え、百人を越える人を使ってました。

若手を、最初から育てるのもやりましたね。

だから、倒産してあちこちの会社に社員が引き取れました。

僕が作業員の頃に、ある所長から良い人材をお父さんに貰ったと言われて、君ももしも作業員辞めるなら来ないかなとも言われましよ。

そこの、会社のやり方が好きじゃなかったから断りましたけどね。

この先、高齢者は増えます。

若者に背負わせるのは無理ですよ。

看護師、介護士の件や病院の体制の件も含めて、弱いものを救うのが政治の力では無いのでしょう。

今回の話しも、看護師や介護士を責めてないですからね。

弱肉強食なら動物ですよ。

人の幸せの為に身を切るのが政治家かと思ったら、私利私欲ばかり。

その上、議員を多くしようなんて、え!?ふざるなよです。

福祉大国と言われるように、しなきゃダメですよ。

看護師が患者を殺してたけど、どんどんあんな酷い事件が増えますよ。

歳を取ったら山に棄てるとか、昔のような事が起きかねませんよ。

今の政権では無理でも、倒して新しい価値観を入れていくべきです。

それと、父が死んでから、自分自身の有る部分が死にましたよ。

何処かで、もう仕事も遊びもやったなと思うところが有ります。

同じ仕事をして、最も似てると言われた父親です。

精神疾患も僕にあるからですが、良くやったなあと思ってしまいます。

勿論、酷い事もしましましたが、少なくとも仕事に関しては良くやったなあです。

父が死んでから家に戻って、何かで台所に行くと包丁があって、発作的に腹を刺そうとやりかけてギリギリで我に帰りましたよ。

そのくらい僕には憎んだ事もあったけど、大事な人間でしたね。

まあ、僕は、何とか生きるでしょうけどね。

父を恨んだ事もあるけど、感謝をしてます。

良く頑張ったし、ありがとうと言いたいです。

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