『里恋詩くて・・・熊野・高野』紀伊を愛した怒涛詩人さとちゃんを忘れない【127】2007/03/10 ~03/15

さとちゃんがYahoo!ブログに書き残した詩や文章
そしてさとちゃんの
紀伊の山里の暮らしを愛する心を記憶するために
ブログ『里恋詩くて・・・熊野・高野』の全記事(2935)に
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あなたへ観想詩・3/16(金)

2007/03/15 里恋日記
一郎
明日はどんな一日だろう。

今日はどんな一日になるだろう
そう思いますね
今の時間は午後5時10分前
時間なんか適当でいいんだけど
細かいとこまで書いちゃった
もう夕方になってしまった
暗くなるのが早くなってるし
今 暖房入れた
少し寒さ感じたからね
そりゃそうだろうって
まだ半ズボン半そでのシャツ1枚だからね
そろそろ衣替えってえの しなくちゃ
だけどそれも面倒
まだこれでいけるから 夜もね
ちょっとだけ我慢してるけど
いつまでこの格好なんだろうね
YouTubeのCMでタン塩食べてる
それ食べたことないけど
食べたくなった ビールの宣伝なんだけどね
ステーキも食べたいなあ
そんなこと考えてたら お腹まじ好いてきた
きのう餃子食べたくなって
食堂に入るのがもう面倒になってるので
コンビニでレンジでチン買って食べたけど
それで十分だわ 味音痴だから
姉さんが元気な時は ネタを私が仕込んで
姉さんに包んでもらった ベッドで動けなくなっても
まだ手は動いたからね
でもそれもできなくなった
ほとんどできなくなった
洗濯物たたむのも
巻きずし 鯖寿司も
大きな蕪が出ると 
漬物つくってたけどね
それもできないよ
さびしいな
仕方ない
料理が姉さんの一番の楽しみだったのにね
2019/10/06

あなたへ観想詩・3/15(木)

2007/03/14 里恋日記
一郎
さくらんぼたべるぞ、ヒヨにはまけんぞ。

ヒヨにはまけんぞって
面白いね
さとちゃんらしいのかな
サクランボのこと ほとんど知らない
検索してwiki読んだけど
もう読むのも面倒になってきた
知らなくてもいいや
桜桃というらしいし 実桜ということらしいし
それくらいでいいか
とにかく最近 何するのも面倒になってきた
このコメントだって 面倒になってやめるかしれない
いやいや それはまた別の話でしょ
ということで コメントは飽きずに続けるのでした
2019/10/06

里恋風景20・メダカちゃん

2007/03/14 観想詩2源風景の森
一郎
メダカの外来種のことは聞いたことがあるような
でもほとんど知らないことばかりだろう
知らない時のwiki
カダヤシ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カダヤシ(蚊絶やし、学名:Gambusia affinis)は、カダヤシ目・カダヤシ亜目・カダヤシ科・カダヤシ亜科に分類される魚の一種。北アメリカ原産で、日本でも外来種として分布を広げている。

カダヤシ(蚊絶やし)が正式な学名って面白いね
ボウフラをたべてしまうんだろうね
ネーミングはほんと面白くて
例えば猫いらずって 殺鼠剤のこと
なぜこの名前を思いだしたかというと
ネズミ君のうちは遊び場になってる
いろんなものかじられたし
さてどうしたものかと
前のアパートではお風呂場に隙間出来て
そこから出入りしてた
せっけんかじられたけど
石鹸まで食べるかと思ったね
そろそろネズミ対策考えなくちゃいけないのかな
私的には嫌いじゃないんだよね
こんな甘いこと言ってたらダメダメでしょうけどね
いま対策を色々読んでるところ
2019/10/06

あなたへ観想詩・3/14(水)

2007/03/13 里恋日記
一郎
■今日の短詩→その道 その道のよさがある

この短詩もいいなあ
短詩って ちゃんと語句?登録されてる
先ずそのことに少し驚いた
私の辞書には短詩ってないから
三行詩 四行詩 五行詩くらいなものす あるのは
さとちゃんが
短詩を意識したのはなぜなんだろうね
そんなことが気になってる
もうずいぶんと短詩って言葉目にしてるけどね
短詩・・・気になったついでに調べてみようかな
何か発見があるかもしれない なくても結構
何事にも興味を持つ 好奇心があるというのはいいことだし
超絶短詩という言葉があった 長いが引用しておく

超絶短詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
超絶短詩は、篠原資明により提唱された史上最短の詩型。ひとつの語句を、擬音語・擬態語を含む広義の間投詞と、別の語句とに分解するという規則による。たとえば、「嵐」なら「あら 詩」、「赤裸々」なら「背 きらら」、「哲学者」なら「鉄が くしゃ」となる。さらに篠原は、さまざまな応用も試みている。もっとも手の込んだものは、小倉百人一首の各短歌を複数の超絶短詩に分解した『百人一滝』(2003年)であろう。この試みにもとづく展覧会やカルタ製作も行われた。なお、篠原によれば、超絶短詩もまた、方法詩の一環をなす。方法詩とは、新たな型を自ら提案し、その型に即して詩作するというものである。

表現は自由でいい
短かろうが長かろうが
一行であろうが あるまいが
一音一字だって
自分が表現したいものを
どう表現するか
表現者の全くの自由
表現とは個人的発露
主観的なもの
それをどう受け取るかは
受け手の自由
そこに何が生まれるか生まれないか
それもまたどうでもいいこと
2019/10/06

あなたへ観想詩・3/13(火)

2007/03/12 里恋日記
一郎
 チャンスは
 かならず
 来るんだよ

そう思いたいけど
アマノジャクだから
期待しない主義
チェンス来なくても
仕方ないし
来ないことがほとんどだろうし
でも何かしてるんよね
毎日noteを4つアップしてる
さとちゃんちのコメントもまとめてアップしてる
何の反応もないけどね
スキしてくれる人はいる
それだけでもありがたいと思わなくちゃね
それ以上のものを求めると
毎日が苦痛になってくるんじゃないかな
こんなもんだと思えばいい
ここで居眠りしてた
少し寝ようかな
2019/10/06

今週の観想詩→→3/12(月)~3/18(日)

2007/03/12 観想詩1
一郎
◇週観◇この道 帰るところに 帰ろうね 

この道は
自分の歩く道は
決まっていないようで
決まってるようです
この道は
自分が選んだ道
いろんな選択しがある
その中から選んだ道
なぜその道を
それは自分らしく生きられる道だから
道を選ぶのは自分
自分らしく生きるために
自分で選んだミリ
自分が歩いてきた道が
自分の証明
自分rらしさの結果
自分らしさの結果が
歩いてきた道
歩いていく道
自分らしく生きる
自分rらしくしか生きられぬ
自分に万歳
自分を誉めてやろう
2019/10/06

あなたへ観想詩・3/12(月)

2007/03/11 里恋日記
一郎
 自分を
 信じて
 自分のために

こんな言葉に出会えるなんて
やはり全記事へのコメントを目標にしてよかった
というか さとちゃんのあるコメントを知ったのがご縁
ブログ記事を読み 講座に参加
それは さとちゃんの何かにひかれたからでしょうが
その何かの答えの一つが この言葉でしょうね
まったく同感
この3行にすべてがあるといってもいい
信じてよかった
それを確信確認できました
2019/10/06

南部川を歩く・梅の花の香る道

2007/03/11 畿内・里巡り
コメント
一郎
30代か40代の初め頃か
当時 仕事もせずに大坂の
ある女性のところに入り浸っていました
日曜になると花を目指して車で出かけました
南部梅林も行ったのですが
梅林のほかどこを回ったか
帰りはどこを通って帰ったか
何も覚えていません
さとちゃんのように
里巡りはしなくても
ちょっとした花巡りは書けたかも
その当時は書くことに興味はありませんでしたから
書き残していたら さとちゃんの里巡りと
重なる場所もあったでしょうね
その当時のこと 少し思い出しましたが
フィリピンの子と知り合って
何を血迷ったか 結婚したいと思ったんですね
まだ35になってなかったと思う
まあ お決まりのコースををたどるわけですが
多少貢いで手も触れず いつのまにか忘れてしまいました
そこで考えたのは 今度素貢いでもらって
遊んで暮らそうと
いい加減な男なんです
そんな時にタクシーで知り合った女性が
色々と訳あり
郷里が近いということもあって親しくなりました
最初に行ったのが奈良のあじさい寺として遊泳な矢田寺
その時も それからどこをどう回ったか
全く記憶がありません
覚えているのはその女性のマンションに寄って
なるようになったということでしょうか
それから日曜になるたびにどこかに出かけていましたね
花巡りを書いていたら 少しは思い出すのでしょうが
写真も撮らずに 記憶にしまってくなんて
ダサいこと言ってたような
写真はともかく 文章は残していたらと今は思う
2019/10/06

白崎海岸を歩く・ウミネコたち

2007/03/10 畿内・里巡り
コメント
一郎
あれれ
まだ途中ったのに
間違えて前のページに戻しちゃった
仕方ないね よくあることだからね
気を取り直して また書けばいい
今何をしていたかというと
ウミネコの歌を探して聴いていた
かなり聴いてたんだけどね
そんなにないと思ってたら
けっこう曲ありましたよ
今更それを書きだすのも面倒だし
ただたくさんあった
キム・ヨンジャも神野美伽も
そのほか沢山の歌手が歌ってたよということで
チャンチャン
2019/10/06

あなたへ観想詩3/11(日)

2007/03/10 里恋日記
一郎
■短詩→苦しんだ分だけ 輝ける

午前11時少し過ぎたところ
今日最初のコメントになります
もう眠たい 何時起きだったのかな
5時過ぎ?少し早いよね
だからか少し眠たい
日曜日 外は静かだなあ
少し前に救急車のサイレン
だれか運ばれたのかな
うちも2回お世話になった
そして退院
もう入院はしないと決めている
点滴もしない
だから姉さんが自力で食べられなくなったら
もう終わり
その日がいつ来るか
昨日は咳が出て苦しそうだった
夜には治まったが
こんな事が続いて
いよいよ姉さんの体力が持たなくなってくるのだろう
まd少しでも食べて飲みこんでくれるのは
もう奇跡といっていいのでは
何度も山を越えた
よく頑張っている
その力は何だろう
姉さんの持って生まれた持久力体力
寝たきりだが そして全く話さないが
意識がしっかりとしているとは言えないが
93歳にしてこの体力?耐久力?
姉さんは命の最後の火を
燃やし輝かせていると思う
若いころから節制 慎ましく暮らしてきた人の
したたかさを感じる
姉さんを今 見守ることができて
私は幸せだと思う
こういいながらも私も病人
この先どうなるかわからない
もしかしたら
姉さんより先に逝くかもしれない
どうなろうと 一つの命が
その人生を当然のように終えただけ
ただそれだけのこと
当たり前のこと
そうなんだよね
2019/10/06

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里恋詩くて・・・熊野・高野
Yahoo!ブログ('19/12/15 サービス終了)
管理人 無名居士

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