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#038 日本の仕事のやり方が 「キャッチアップ」に長けていたレガシーは何処へ。

感染者数がピークアウトして
減少している。
しかし
ワクチン接種効果と「プラスα」効果とか。
依然として、
サイエンスとエビデンスで
スッキリ実証されない日々が続いている。
withコロナの生活デザインを待ち望む。

今の話題は、次の総裁選びと衆議院選だ。
実に、目まぐるしい世の中だ。
100代目の新総裁は誰か。

コロナ禍で、露わになった日本の現状を
年金シニア(昭和感覚)による
好奇心と妄想力のしりとりゲーム。

「ファクトフルネス(FACTFULNESS)」
思考でなくて、
楠木健の造語
「パストフルネス(PASTFULNESS)
(近過去の歴史)」
思考。

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「これまで多くの企業が、日本より先を
行く米国などのビジネスモデルを輸入する
「 タイムマシン経営 」に活路を
見いだしてきた。
だが、それで経営の本質を磨き、
本当に強い企業になれるのだろうか。
むしろ、大切なのは技術革新への対応など
過去の経営判断を振り返り、
今の経営に生かす
「 逆・タイムマシン経営 」だ。
経営判断を惑わす罠には、
AIやIoT(モノのインターネット)といった
「 飛び道具トラップ 」、
今こそ社会が激変する時代だという
「 激動期トラップ 」、
遠い世界が良く見え、自分がいる
近くの世界が悪く見える
「 遠近歪曲トラップ 」の3つがある。
こうした「 同時代性の罠 」
に陥らないために、何が大事なのか──。
近過去の歴史を検証し、
「新しい経営知」を得るための方法論を
提示する。」

パストフルネスの視点として
(1)『ジャパン・アズ・ナンバーワン』
からの日本への警鐘
(2)バブル時代の快感の予感
ドーパミンによる幸福度
(3)バブル崩壊後の日本IT投資は
低調だった。
を取り上げてみる。

パストフルネス視点(1)
2004年の時点で、ヴォーゲルは
日本にも警鐘を鳴らしている。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』では
日本のやり方をアメリカが学ぶ場合の
注意点として、
問題点が幾つか列挙されている。

・個人の権利や個性への圧迫
・多様性の欠如、少数意見の圧迫
・再スタートが切りづらい
・日本とそれ以外を分けて考えすぎる
愛国主義
・意見が分かれると結論が出ない

こうした欠点は今も改善されていない
ように思える。

新版出版後の17年を経て、
この指摘はさらに鋭さを増している。
ヴォーゲルが取り上げた美点の幾つか、
社会の均質化や
全体最適を尊ぶ姿勢は下火になった。

アメリカよりマシとはいえ、
日本でも貧富の差は広がっている。
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』では
日本人が諸外国のやり方をうまく取り
入れ、自分たちのやり方を変えていく
様子が活写されているが、

今も
デジタルトランスフォーメーションに
四苦八苦している様子からは、
むしろ
学ぶのに失敗しているとされるだろう。
本書は、「日本の仕事のやり方が
キャッチアップに長けていた」ことを
きちんと分析してくれている。

一方で改善や独創性についてはむしろ、
1979年、2004年当時よりも、

今の方が後退しているように思える。



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「戦後の日本経済の高度経済成長の
要因を分析。日本人の高い学習意欲、
日本的経営、日本特有の経済・社会制度を
再評価するきっかけとなった1冊。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」
という言葉は、いまだに1980年代の
日本経済の絶頂期を表わすものとして
用いられている。」

パストフルネス視点(2)
「バブル崩壊後の失われた20年が
30年になり、2010年にはGDPも中国に
抜かれ3位に転落。
コロナ禍の中、政治も経済も混迷を極め、
国際社会での存在感がどんどん薄れがち
なのが、残念ながら今の日本の現状と
言えるでしょう。

では、日本が幸せだった時代はいつか?
50代以上の人にこれまでの人生を
振り返ってもらい
「日本が幸せだった時代」
を挙げてもらうと、おそらく多くの人が、
空前の好景気に沸いた1980年代後半から
1990年代初頭までの「バブル時代」

答えるのではないでしょうか
(70代以上の人に同じ質問をしたら、
1960〜70年代の「高度経済成長期」と
答えるかもしれません)。

今回はウェルビーイングの観点から
「バブル時代の幸福」を考察して
みたいと思います。
バブル時代は昼夜を分けず猛烈に
働くことが時代の趨勢となり、
栄養ドリンク「リゲイン」の
キャッチコピー「24時間戦えますか」が
大流行しました。
今ではそんな会社は
たちまちブラック企業と認定されて
しまいそうですが、
当時は誰もが会社の成長と自分の未来を
重ね合わせて、
がむしゃらに働くことが当たり前だと
思っていました。そして実際に朝から
夜遅くまで、ときには徹夜も厭わずに
働きました。

 バブル時代は、
誰もが頑張れば豊かな未来を得る事が
できると信じられた、
いわば
「快感の予感」に満ちた時代でした。
だからこそがむしゃらに働き、
ドーパミン的幸せを感じることが
できたのではないでしょうか?

今の日本には、この「快感の予感」
すなわち未来のへの希望こそが
求められているのだと思います。

コロナ禍の不透明な今、
多くの人はこれまで以上に
未来が見えなくなってきています。

政治家や産業界のリーダーがビジョンを
示すことも大事ですが、
まずは私たち一人ひとりが自分自身に
とっての未来の希望とは何なのか?
という問いに向き合っていくことが
必要なのではないでしょうか?」

パストフルネス視点(3) 
「近年、日本がIT後進国になったという
言葉をよく耳にするが、
昔は先進国だったのに、
急に後進国になってしまったのではない。
日本のIT化は初期段階から躓いており、
それが今の惨状を
もたらしていると考えるべきだ。

この不都合な真実をしっかりと受け止め、
現実を見据えた対策を打たなければ、
いくら開発強化を叫んだところで
絵に描いた餅となってしまう。
日本は80年代までは
半導体やコンピュータ機器の製造で
相応の成果を出しており、
トップランナーの1人であった。

だが90年代を境に日本のIT産業は
競争力を失い、社会全体のIT化も
先進諸外国と比較して大きく出遅れ
ている。
80年代から90年代前半にかけて
日本におけるIT投資の金額
(ソフトウェアとハードウェアの総額)は、
米国やドイツ、フランスなど先進諸外国と
同じペースで増加していた。
ところが95年以降、その流れが大きく
変化し、日本だけがIT投資を増やさず、
25年以上にわたって横ばいで推移する

という異常事態が続いている。
その間、米国はIT投資額を3.3倍に、
フランスは3.6倍に、ドイツ1.6倍
拡大させた。数字だけを見ると、
日本はITに関してまったく興味を失った
ようにも見える。

つまり日本企業は、
IT化という時代の変化に対して、
まったくといってよいほど対応せず、
前年度の予算を踏襲していただけに
過ぎない。

加えてIT企業による投資も2000年以降、
顕著に増えている。
これはアウトソーシングやクラウド化
進み、一般事業会社がシステムを
保有せず、IT事業者が保有する
システムをサービスとして使う動きが
加速したことを物語っている。
サービス業によるIT投資の増加は、
アマゾンやウォルマートといった
小売店や外食産業が次々とIT化を
進めた結果といってよいだろう。

ところが日本における分野別のIT投資の
動きを見ると、90年代から現在に至る
まで業種間のシェアにまったくと
いってよいほど変化がない。
製造業もサービス業も同じ水準の投資を
続けているだけであり、
IT企業の投資シェアが拡大していない
ことから、クラウド化も進んでいない
ことをうかがわせる。
何も考えずに前年踏襲型のIT投資を
続けていることは明らかであり、
これではITが経済成長のエンジンになる
わけがない。

 従来の技術と異なり、
ITというのは組織のカルチャーと密接に
関係している。
IT化を進めると、
業務が効率化されるので、
組織はフラットな方向に変わっていく。
逆に言うと、フラット化に抵抗感を持つ
組織の場合、
IT導入そのものが忌避される傾向が強い。

 日本ではせっかくITを導入しても、
従来の業務プロセスを改善せず、
ムダが多い状態でIT化されるケースが
後を絶たず、IT化による生産性向上を
実現できていない。

これではIT化した意味はなく、
経済全体で見た場合、その投資は成長に
寄与していない。

パソコンの普及はIT社会の基礎で
あることを考えると、
90年代前半のもたつきが及ぼした影響は
大きい。97年に行われたOECDの調査に
よると、日本におけるホワイトカラー
100人あたりのパソコン保有台数は
24台と、米国の5分の1、
ドイツの3分の1以下と、
すでに致命的な差をつけられている。

 利用者層の偏りも当時から大きかった。
中高年社員と若年層社員との間における
ITスキルの違いがよく問題視されているが、
これは今に始まった話ではない。
先ほどの通信白書によると、
98年時点において、
米国では中高年も含めてフラットに
ネット利用者が分散する一方、
日本では20代から30代前半に利用者が
集中していた。この世代だった人は、
今、中高年になっているはずだが、

当時、ITを使っていなかった人は、
その後もITを使わず、
現段階ではIT難民になっている姿が
想像される。

 多くのデータから総合的に考えると、
IT化の遅れは、
普及が進み始めた初期段階、
つまり90年代前半から始まっていたこと
が分かる。ITはあまりコストをかけずに
導入できる技術だが、
一方で、社会や組織、国民のマインド
との関係性が密接であり、
経験値がモノを言う技術でもある。

IT化の遅れが90年代から続いているのだ
とすると、単に技術開発を強化した
ところで、一朝一夕には改善できない
可能性が高い。

多くの人にとって
あまり受け止めたくない事実かも
しれないが、現実がそうである以上、
急がば回れの対策を地道に
積み上げていくしか方法はない。



現実に、スマホが故障したりすると
日常生活が不便になるほどである。

益々、withコロナの時代には
スマホが決め手になる。

首相が変わっても、デジタル庁の成功が
キーファクターである。
先ずは、耐性のあるクラウドサーバーの
システム構築を。

アナログ民主主義から
デジタル民主義へシームレスに移行する
「デジ道」を期待する。



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