#11 おつとめの前提は、親神様に心を向けること
天理教信仰者にとって、おつとめは、欠かせないものだと思います。
そのおつとめの中でも、一番つとめるのは、朝夕のおつとめではないかと思います。
今回は朝夕のおつとめについて考えていきたいと思います。
1.朝夕のおつとめ
おつとめには、二つに分けられると考えられます。
『天理教事典』によると、
つとめは、大きく二つに分けられる。一つは、親神がこの世に現れた目的の一つである「たすけ」(救済)を実現するために教えられたつとめである。これにもいくつか種類があるが、その中で最も根本的で重要なものは、「ぢば」において「かんろだい」を囲んで行われるつとめで、一般の教理書において「つとめ」といって説明してあるものは、このつとめである。
『天理教事典』第三版 p581~582
と記されています。
つまり、一つ目は、親神様がこの世に現れた目的の一つである「たすけ」を実現するために教えられたものもので、その中で最も根本的で重要なものは、かんろだいを囲んで行われるつとめであると言われています。
かんろだいを囲んで行われるつとめというのは、いわゆる「かぐらづとめ」と呼ばれるもので、本部での月次祭などです。
そして、二つ目については、
これに対して、もう一つのつとめは、人間が親神に向かって、感謝やお祈りしたりするために教えられたもので、「朝夕のおつとめ」と呼ばれるものである。
『天理教事典』第三版 p581~582
と示されています。
つまり、二つ目は、人間が親神様に向かって、感謝や祈りをするために教えられたもので、「朝夕のおつとめ」と呼ばれるものと言われています。
朝夕のおつとめは、感謝や祈りをするためのものであるんですね。
2.朝夕のおつとめの意味
朝夕のおつとめは、人間が親神様に向かって、感謝やお祈りをするために教えられたのいうことが確認できました。
朝夕のおつとめの意味(朝夕のおつとめは、なんのためにあるか)に対して、私がよく聞くのは、「ほこりを払う」です。
「ほこりを払う」というのも、正しいと思いますが、ほこりをはらうって、なかなか難しいのではないかと私は思います。
そこで、ほこりを払うということをもう少し大きく考えてみたいと思います。
ある先生に聞かせてもらった話に、
朝夕のおつとめは、親神様に心を向けるためにある。
親神様に心を向けると、自然に自分の心遣いの反省や、心を改めることになってくる。
と言われていました。
私はこの話を聞かせていただき、なるほどと思いました。
ほこりを払おうとか、色々考えるのではなく、まずは、親神様と自分が対面する。親神様に心を向ける。それによって反省などに繋がってく。という順番が大切だと思いました。
「ほこりを払う」とかの前に、親神様に心を向けるという前提が大切だと考えました。
まずは、親神様に心を向けるということを意識したいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
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