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#2 信仰者は庭師である!?

天理教には、「まいたる種はみははえる」という教えがあります。

よく使われる教えなので、聞いたことがあるのではないかと思います。

また、面白い話を聞いたので、それをもとに「まいたる種はみははえる」について考えていきたいと思います。

1.まいたる種はみなはえる

「まいたる種はみははえる」という教えを伝える時に例えとして、

人参の種を撒けば人参がはえてくる。
ピーマンの種を撒けばピーマンがはえてくる。
人参の種を撒いて、ピーマンがはえてくることはない。

というようなことがよく使われます。

つまり、まいたる種がその通りはえてくるので、

「良いことをすれば良いことが起こる」
「悪いことをすれば悪いことが起きる」

と言う意味で使われています。

2.庭師の例え

私はあるときに、

愛の種をまいたら愛が現実に現れます。
あなたは、あなたの世界の庭師であり、創造者でもあります。
庭師を増やしてください。いま世界に必要なのは、美しい花を咲かせているこころの庭を持った人々なのです。

という文章に出会いました。

要約すると、人は自分のこころの庭師であり、その庭にまいた種通りのことが現実に起こってくる。なので、美しい花の種をまき(良き行いをする)、美しい花を咲かせている人が必要であると言われています。

私はこの文章に出会った時、すぐに「まいたる種はみなはえる」だ!と思いました。

そして、良い例えだと感じました。

3.信仰者は庭師である?

「まいたる種はみなはえる」という教えを、上の文章から考えると、信仰者(信仰してなくてもですが)は自分の心の庭師であると考えられます。

そして、自分の心の庭師という例えは、この教えが分かりやすくなると感じました。

自分の心の庭に、良い種をまけば(良いことをすれば)良い花が咲く(良いことが起こる)。
悪い種をまけば(悪いことをすれば)悪い花が咲く(悪いことが起こる)。

自分の心の庭師という意識で、通ってみようと思いました。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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