「インテリゲンチャ」という話
「インテリゲンチャ」という話
四半世紀で根本的に考えることをしない人が増えてしまいました。歴史を含む一般教養を軽んずる人たちです。
一方で、インテリゲンチャと呼ばれる知識階級の人たちがいます。
少し考えてみましょう。
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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。
いつもは、
「あまり一生懸命になるな」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n081dd28c9a6c
とか、
「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n416e39d84b94
を書いていますが、本当はノワール作家です。
という話(ik)を連載しています。
こちらは調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。
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「知識は力なり」
フランシス・ベーコン
一般教養を軽んずる人たちは「自分たちが考えている」と思っていますが、まったく何も考えていません。
一般教養は考える部品で、それがないと考えられません。情報がないのに戦争に勝てないのです。#孫子
「右か左か」「正義か悪か」というように「何かを選択すること」が「考えること」だと勘違いしています。
「何かを選択すること」は「考えた後の行動」(結果)であって、それ自体が「考えること」(原因)ではありません。
ただ単に選択するだけなら、奴隷と同じです。もちろんこれは #blackjoke で、奴隷に選択権はありません。
そうではなく、選択権を持つ生き方をすることが大切です。自らその選択権を放棄したならどうなるのか、その恐怖を知らないのでしょう。
選択権のない生き方になってしまう恐怖——個人では想像もできない恐怖を歴史は教えてくれます。
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かつて、一般教養(リベラル・アーツ)はその名の通り自由になるための術(すべ)でした。簡単に言えば、昔は一般教養がない者は奴隷だった訳です。
奴隷の思想はあいまいですから、多く惑わされます。そして、その惑いの思想は奴隷自身の行動として表現されます。
知識は力ですから、一般教養は武器です。武器は使い方を誤ると確実に人を傷つけ殺めます。そうしたことを回避するためには、使い方を学ぶ必要があります。
とはいえ、どうして奴隷の思想が広がってしまうのでしょうか。
単純です。膨大な費用が経かるからです。
そして、教養は「この時にはこうすればいい」といったハウツー的には学べません。瀧本哲史が語るように「何をどう学ぶべきかを、自分で考えるのが教養」なのですから、自分に必要な教養のポートフォリオ(資料やその情報)を組むことになります。
「瀧本哲史による教養の4分類」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/nc4a08c457539
【瀧本哲史による教養の4分類】
構造化された体系を学ぶ
→複雑な世界に構造を見つける
構造化されていない世界に触れる
→全く新しい視点を見つける
相手の世界に合わせる
→相手に質問できる
自分の世界を伝える
→相手の質問に答えられる
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インターネットのない時代、いわゆるインテリゲンチャと呼ばれる知識階級の人は、辞書を読んで楽しんでいました。
「辞書を読んで楽しいの?」と思われるかもしれませんが、楽しいですよ。
たとえば、『精選版 日本国語大辞典』は30万項目・約30万用例を収録しています。
https://apps.apple.com/jp/app/id1178443424
けっこう高額なアプリですが、コトバンクですと無料で使えます。
https://kotobank.jp
こうした辞書を使った楽しみは「あるていど勉強しないと分からない」というものではありません。自分が興味あることを調べればいいだけのことです。それが力になります。
「知識を得るということは、海水を飲むようなもんだよ。腹に満たせば満たすほど渇く。吸血鬼と変わらん。一滴で十分さ」
『セイレーンⅡ[新装]』
https://www.amazon.co.jp/dp/B00F11D3QQ/ref=cm_sw_r_tw_dp_JQQ394T4GP91P4C9YD44
たとえば、コトバンクで「ワクチン」を調べてみましょう。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3-10178
ざっと8,000字ほどあります。反ワクチンの人はこれらを読んでいません。
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アメリカンジョークの「ポーランド人はバカ」の理由は「ナチスがポーランドのインテリゲンチャを虐殺していなくなったから」ということを知っていて笑うのが #blackjoke ですけれど、多くの人はマリ・キュリーがどこの国の人かも知りません。
どうして辞書で調べないのでしょうか。
辞書を知らない? そんなことはありません。辞書に「ワクチン」の項目があるのを指摘すれば「載っていることは知っている」と答えるでしょう。では、なぜ辞書を読まないのでしょうか。
答えは簡単で、選択していないからです。どうして、選択しないのでしょうか。選ばない理由は?
こちらも簡単です。そこに「人がいない」「物語がない」と思っているからです。
「人がいない」=「経験者」(ヒーロー)の話が聞きたいだけです。医師より、TVの司会者を盲信してしまいます。
※「盲」は「茫」で、ぼやけてはっきりしない状態です。
ウジェーヌ・ドラクロワが描いた1830年のフランス7月革命の『民衆を導く自由の女神』のマリアンヌに従ってしまうのです。
※マリアンヌは、フランスという国を擬人化しています。ニューヨークの自由の女神も同じです。
どうしても、そうした人物(キャラクタ)のほうが感情移入しやすいですからね。
「物語がない」=「英雄譚」が聞きたいのです。ベルトルト・ブレヒトは戯曲『ガリレイの生涯』で「英雄がいない国は不幸だ」という台詞に「そうではない。英雄を必要とする国が不幸なのだ」と返しています。
日本は神話の国です。どうしても、英雄(ヒーロー)を欲してしまうのです。
辞書は多くの人の手によって制作されています。言葉の一葉一葉にも物語があります。そうしたことを理解できないからこそ、どうしても安易な選択に頼ってしまうのです。
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いわゆるインテリゲンチャに私は含まれません。インテリゲンチャは知識階級ですから、大学すら出ていない私はその選から外れるのが普通です。どちらかというと、マイケル・ファラデーやエリック・ホッファーよりですね。
(よく気狂いと言われます。)
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ロシア語由来のインテリゲンチャは、知識・学問・教養をもった人たちを「知識階級/知識階層」という一つの階級/階層としてとらえた言葉です。つまり、インテリですね。
インテリゲンチャの知識人は、社会の文化を導くと同時に批判もします。知の専門家です。大学を卒業しただけの学士ではなく、博士レベルの人たちです。芸術家や作家も含まれます。
インテリゲンチャという階級の概念は18世紀後半にロシア帝国に支配されていた分割統治時代のポーランドで生まれました。ですから、元はポーランド語です。
衛星国がまともな訳はありません。苦難のつづくポーランドを救うため哲学者カロル・リベルトが1844年に発表した『祖国への愛について』で、知識をもった人たちを「光で理性を導く人」と定義した言葉です。たいそうな名前ですが、それだけポーランドが酷い目にあっていたということです。
インテリゲンチャはやがて、ロシアの教養ある公人に使われるようになりました。とはいえ、東欧では活発な活動はありませんでした。一方、西欧のドイツやイギリスでは、ブルジョワジー(中産階級)が社会的な地位を確立しました。
1890年代になると、ロシア政権に反して活動する者に限定されるようになりました。ロシア皇帝ニコライ2世は「インテリゲンチャ」が大嫌いだったのでその言葉を聞くのも嫌で、ロシア語の辞書から削除されるように望んだとか。
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最近私がインテリゲンチャに含まれてしまって困っています。
ロシアの科学者Vitaly Vladimirovich Tepikinは『文化とインテリゲンチャ』でインテリゲンチャの特徴を10種類あげています。
1.その時代の先進的な道徳的理想、隣人への感受性、表現における機転と優しさ。
2.積極的な精神活動と、継続的な自己教育。
3.自国民への信頼と、小さな祖国と大きな祖国への無私の無尽蔵の愛に基づく愛国心。
4.知識人(多くの人が考えるような芸術的なものだけではない)すべての事にあくなき創造と、禁欲主義。
5.独立性、表現の自由への欲求、そしてそれの自己発見。
6.政権に批判的な姿勢、不正・反ヒューマニズム・反民主主義の兆候への非難。
7.もっとも困難な状況であっても、良心にしたがい己の信念に忠実であることと、自己犠牲。
8.現実に対する曖昧な認識は、政治的に不安定であり、時には保守主義の表れ。
9.実現できなかった憤りの感覚は悪化(実際にも明らかに)し、知識人が親密さにつながる。
10.利己主義と衝動的な発作(多くの芸術家にみられる特徴)によるさまざまなグループは、お互いの代表によって周期的に誤解や拒絶を引き起こす。
そんなもの私にはありませんよ。
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多才は海外へ旅立ち、本来の専門家が少なくなってしまいました。
けれど、船底の淦が語る恐怖もやがて終わります。
悲観はしていません。
「第三の視点」による倒叙記述によって、それらが変わるからです。
知識が世界を変えるその日が来ますよ。
「知識が世界を変える」という意味を理解できないのは、悪意の想像力がないからです。きちんと読み解けば簡単ですよ。
(私はノワール小説を書くだけですけれど。)
ご高覧、感謝です。 サポートによる調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。 ※虚構も少なからず入っています。