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「迷惑な思い遣り」という話

「迷惑な思い遣り」という話

思い遣りって何でしょうね。

少し考えてみましょう。

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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。

いつもは、
「あまり一生懸命になるな」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n081dd28c9a6c
とか、
「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n416e39d84b94
を書いていますが、本当はノワール作家です。

という話(ik)-2

という話(ik)を連載しています。

こちらは調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。

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思い遣りとは別に、忖度(そんたく)という言葉もあります。

忖度————相手の気持ちを推し量ること。
思い遣り——相手の気持ちを察すること、また、いたわる気持ちを持つこと。

ちょっと分かりにくいですね。言い方を変えましょう。

忖度————状況を考えている。
(相手に関係なく自分がどうするか。)
思い遣り——察した上で感情がある場合、相手にも伝わるかも。
(相手を含めて自分がどうするか。)

忖度の例として一番わかりやすいのが、二・二六事件ですね。#blackjoke

青年将校らは、天皇の気持ちを推し量り、天皇に関係なく自分たちが武装蜂起してしまった訳です。

二・二六事件について詳しくは、日本のいちばん長い日【連載】田中泰延のエンタメ新党を参照してください。
cf.
https://www.machikado-creative.jp/planning/15863/

そもそも、天皇は日本の安寧を祈っている存在です。個人的に憂えたとしてもそれを口にしません。

もし、天皇が「あいつ嫌い」とか言ったら、すぐに殺められますよ。絶対に不幸を口にすることはできないのです。

ともかく、忖度も思い遣りも両方迷惑ですよ。当事者にとっては。 #blackjoke

忖度の場合は迷惑だと感じたらしないですが、迷惑であってもするのが、思い遣りです。#blackjoke

迷惑な思い遣りは、人を助けるということです。

人を助けるのは泥沼に入ることです。必ず命綱がいりますし、助けている間も息ができないからこちらが殴られます。ようよう助けても泥だらけだと恨まれます。でも、助ける。それだけの覚悟がないのに助けてはいけないのです。#blackjoke

そんなに簡単に人を助けることなんてできませんよ。ですから、昔から賢い人がいっぱい考えて、いろんな人が『幸福論』を書いています。

バートランド・ラッセルの『幸福論』がオススメです。カール・ヒルティの『幸福論』は眠くなりますから『眠れぬ夜のために』を読みましょう。

どれか一冊でも読んだでしょうか。それに、本当に人を助けたことがあるでしょうか。それこそ、まずは自分を助けてみることです。

どうせ百年たてば消える苦悩を何故解決しようとするのかしら。

解らなければ調べればいいですし、私も書いています。私のどんな本でもいいですが、絶望させるようなことは書いていません。

「孤独に生きろ」とは書いているけれどそれは私だけの言葉ではないし、そう生きなければならないのです。
cf.
「犀の角のようにただ独り歩め」
中村元訳『ブッダのことば スッタニパータ』(岩波書店、1984年)P17-22

人を助けたいなら自分を助けるだけでいいです。それが一粒の麦が死ぬことと同等なのです。

誠実にあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければただ一粒にしか過ぎない。もし死ねば多くの実を結ぶのだ。
――ヨハネによる福音書 第12章 第24節
https://twitter.com/ichirikadomatsu/status/1377388846262841345
cf.
誠(まこと)に實(まこと)に爾曹(なんぢら)に告(つげ)ん一粒(ひとつぶ)の麥(むぎ)もし地(ち)に落(おち)て死(しな)ずば唯一(たゞひとつ)にて在(あら)んもし死(しな)ば多(おほく)の實(み)を結(むす)ぶべし
『明治元訳新約聖書』(大正四年)「約翰傳福音書」第十二章第二十四節

人間は愚かですから他を助けようとします。その愚かさこそが人間性です。ただし、個人が助けるにしても直接すればルース・ベネディクトの『菊と刀』にあるように、日本では義理という歪んだ儒教の負担になってしまうのでやめたほうがいいのです。だからこそ、個人が助けたら名を告げず逃げるべきですし、公共を充実させる必要があるのです。

一個人が助けるとしても限界があります。たとえば、幼子がプールで溺れたとします。水の怖さを知らない若い親御さんなら、溺れてもそれに気づきません。溺れたかどうか分からないのが、水の怖さです。溺れる者は藁なんて掴めないです。静かにすっと沈んでいきます。だから、怖いのです。

溺れる者は、大声を出して助けを求めるなんてしないです。ですから、ライフガードが助けてくれます。プールであれば。家庭ではどうでしょうか。家庭内事故というものがあります。若い二人が暮らしていれば、何の物もない質素な部屋でも十分ですが、子供がいるとそうもいきません。

子供というのは誰が考えても社会的弱者でしょう。ですから、守る必要があります。乳児なら、噯気(おくび、げっぷ)ができなくて窒息するかもしれません。手摺がないと転ぶでしょうし、ベランダから落ちてしまうかもしれません。包丁の棚にも細工が必要でしょう。浴室で溺死とか目も当てられません。

悪意の想像力がない人は、愚者である。

日本人のほとんどが泳げるので、必然的にプールで溺れるのは幼子になります。誰もができるようになって、ようやくできない人たちのケアができるようになります。逆はありません。ですから、泳ぎ方を勉強する必要がありますし、まず体力が必要です。この体力には経済力も含まれているのです。#blackjoke

では、ライフガードがいない場所ならどうでしょうか。訓練もなしに、そんな危険な場所には近づいてはいけないのです。結果を想像してみてください。溺れた幼子を助けるために親御さんが二重遭難してしまうでしょう。※こうしたことは「考える」ということではありません。

虚構作品で誰もいないプライベートビーチで水着姿の若い二人がキスをするシーンがあるとしても、現実のプライベートビーチにはライフガードがいます。噴水がある家のプールだとしても、使用人は一次救命処置(BLS)の研修を受けているものです。それが現実です。

一次救命処置(BLS)は、運転免許証をもっている人なら講習を受けたことがあるはずです。※道路交通法108-2-1

では、次に火事の場合はどうでしょうか。燃えさかる火の海のなかに幼子がまだ残されているとします。親御さんが助けるとしても二重遭難してしまう結末を考えたくはありません。ふつうは、119番通報します。「火事ですか、救急ですか?」と聞かれます。
cf.
「119番の正しいかけ方」総務省消防庁
https://www.fdma.go.jp/publication/materials/post11.html

ここで少し怖い話をすると、日本では隣の家の人が失火させてこちらに燃え移ったとしても賠償してもらえません。ですから、火災保険は必ず加入する必要があります。※失火責任法(失火ノ責任ニ関スル法律)明治32年

海川で泳げるようになったとしても、火の海では人は泳げません。そうしたことができるのは専門家だけです。この場合は消防士ですね。

日本のライフガードが高校生でもアルバイトでできるのは、ほとんどの日本人が泳げるからです。そもそも泳げない人は海川に近づきません。
(私は呪いがかけられているので泳げません。)

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