「知性の端」という話
「知性の端」という話
どんなに豊かな知性でも、端にいくほど歪みます。
平和を祈りつつ、少し考えてみましょう。
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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。
という話は、調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。
※本当はノワール作家です。
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「歪」は「表外漢字字体表」の印刷標準字体です。
「ゆがみ」と読みますが「ひずみ」「いがみ」とも読めます。
東アジアの思想からすれば、人は器のようなものです。
まず大きな器をつくって、それになんでもかんでも入れて土台にします。
それを熟成させて焼いて完成させます。
完成したら、壊してまたつくりかえます。
何度も繰り返します。永遠なんですね。思想は。果てがありません。
一方で、西洋的な思考は、巨人の肩の上にあることです。
ポアンカレ「事実を使って科学をつくるのは、石を使って家をつくるようなものだ。事実の蓄積が科学でないことは、石の山積みが家ではないのと同様だ」
ひとつひとつ造り上げ、その上で話します。
間違っていれば、その前の部分まで壊して、またやり直しです。
個人が全体の一つになっています。
戻って、東アジアの思想では、全体の一つとして個人があります。
この事例は対比させるのに使っているだけで、正しくはありません。
「一は全であり、全は一である」というのはきわめて西洋的な考え方だからです。
そうそう二元論にはならないのです。
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論理的に考えるときに「○○については無視する」と注釈があるものです。
林檎が地面に落ちるのは重力ですが、その現象を数値にする場合、太陽の重力も影響しています。
けれど地球上で、林檎一つ300gとして地上に落ちるまでが2mとするなら、他の力を無視できます。
というか、計算が大変なので「勉強するとき」や「説明するとき」は無視します。
なお、地球の質量は約5.972×10^24 kgで、太陽の質量は地球の約33.3万倍(約1.989×10^30 kg)あります。
「300g林檎一個が2m落ちる」というのなら、計算式は簡単になります。
安心してください。書きません。
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「学ぶとき」や「解説するとき」は、式や数値は簡略化され、要点のみを話します。
大切な箇所を話すのですから、他はいったん横におくのです。
だんだん理解が深まれば、その他のことを話すようになります。
基本的なことを積み重ねて、知性は深くなります。
真実を見つけるために、井戸を掘っているようなものです。
あまりヒトがバカだと鞭(むち)をもって武力行使するかもしれません。#blackjoke
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思想が深い中央部分は正確ですが、知性の端になると歪みます。
これは学歴は関係ありません。
ポジショントークは「どうしてもそう言わなければならない」立場にあるときに使われます。
けっこう優秀な人が多いですが、所属している立場で「正しいことは言えない」のです。
菊澤研宗の「合理的な空気決定論」によると「賢い人は合理的に動く」のです。
どれだけ正しいことであっても、それをしないと何千何万人が不幸になっても、自分の立場のために「正しいことは言えない」のです。
だって、自分の人生がパーになるんですから。
自分が職を追われて路頭に迷うよりは、他の誰かが不幸になっても無視します。
これが知性の端です。
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もう一方は性格は善いが知性が低いタイプです。
知性が低いといっても大学を出ていますし、修士や博士だったりします。
けれど、何も学んでいないのです。
困ったことにこうした人はいっぱいいます。
まあ笑えます。#blackjoke
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ご高覧、感謝です。 サポートによる調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。 ※虚構も少なからず入っています。