「苦労するな」という話
「苦労するな」という話
苦労なんて一文にもなりません。
「苦労したほうがいい」という人から逃げましょう。
少し考えてみましょう。
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ようこそ。門松一里です。静かに書いています。
いつもは、
「あまり一生懸命になるな」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n081dd28c9a6c
とか、
「沈黙」という話/「東アジアの思想」という話
https://note.com/ichirikadomatsu/n/n416e39d84b94
を書いていますが、本当はノワール作家です。
という話(ik)を連載しています。
こちらは調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。※虚構も少なからず入っています。
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若いころ「君は苦労したほうがいい」とよく言われましたが、どうして苦労なんぞしなくてはならないのか理解できませんでした。
生意気だったのは認めますが「自分ができることをしているだけ」で別段「高度な能力を発揮している」ということはありません。
できないことは最初から「無理です」と言って絶対にしませんでした。
だって無理なのですから。
「やってみないのに諦めるのか」と言われましたが、誰もがラファエロになれる訳ではありません。
映画『アマデウス』のサリエリではありませんが、不可能なことはこの世にたくさんあります。
苦労しないようにするには、単純に「自分の能力を発揮できるところにいる」だけです。
その場所まで辿(たど)り着くだけです。つまり、逃げてきただけです。
苦労して何かを身につけても、できなかったことができるようになっただけのことで、一般的に評価が上がることは絶対にありません。
勘違いしている人が多いのですが、評価は他人がすることで当事者が認めることではありません。
自転車に乗れるようになったのと同じだけの評価しか与えられません。あるいは、鉄棒で逆上がりができるようになったと同じくらいの。#blackjoke
それよりも大切なことは、自分が得意とする分野をつきつめることです。
その得意分野にまで辿り着いたなら、才能が花開き評価も上がります。
欠点を克服することが最上だと考えている小人がいますが、そんな負の面をずっと見ていたら克服してもノイローゼになってしまいます。#blackjoke
自転車に乗れないなら、原動機付自転車に乗ればいいだけのことです。
親しい人と練習するのなら微笑ましいですが、強制されたならできたとしても良い思い出にはなりません。
ですから、逃げるだけ逃げて、最後に一回勝てばいいです。
逃げるのは負けではありませんよ。
蜀の劉備はひたすら逃げて逃げて逃げて、最後は皇帝にまでなりました。
ご高覧、感謝です。 サポートによる調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。 ※虚構も少なからず入っています。