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「別れの言葉」という話

割引あり

「別れの言葉」という話
“sayounara”

生き方が同じなら、出会う。友人になり、別れる。それが運命だよ。同時代人であることを楽しみたまえ。

今日別れたなら、明日会えばいい。昨日別れたなら、今日会えるかもしれない。明日別れるなら、今日今から会いに行こう。さようなら。こんにちは。

その美しい時間が過ぎれば別れることも愛情です。

別れた人から連絡があると、男性は「何かあったのかな?」とか懐かしく思うぐらいだけど、女性にしてみれば「死人が生き返った」ぐらいのおぞましさがある。忘れてあげる愛情も大切なんだよ。

大人になるってことは、一緒にいる愛情だけじゃなくて、別れても見守る愛情を知ることだと思う。忘れてあげる愛情を知ることなんだと思う。

好きになるのに躊躇してはいけない。別れに戸惑ってはいけない。

美女と付き合う利点の第一は、すぐに別れられるという事である。哀しいけどね。

女と別れてすぐなんて一人で食べても美味しくないから、駅前で視線があった女性と居酒屋に入ったことがある。二度ほどすれ違ったぐらいで、もちろん名前は知らない。職業を聞かれたので「テロリスト」と答えた。笑みを浮かべた女性は「私、殺し屋」と言った。

「二十歳を越えたら友達ができない」とか言う人がいるけれど、違うよ。たまたまクラスが一緒だった。偶然同期だった。地域や時代といった程度で友情を感じるのが変なのよ。――生き方が同じなら、出会う。友人になり、別れる。それが運命だよ。

あのね、人生は過程なんよ。分岐分岐の受験、就職、結婚、出産、離別は分岐点であって人生そのものではないのよ。どれを選んでも楽しめるし哀しめる。どうして分岐点にばかり力を入れるのかしら。

名門校に入れなかった。だから、なに? それ以上すれば? 優良企業に入れなかった。だから、なに? 結婚? 向いていない人もいるよ。愛したものは別れるの。そんなことも解らなくて、大人になったの? すべきことをするだけだよ。(途中は遊べよ。遊ぶんだ♩

今もっている全ては消える。それが人生だよ。必ず死ぬし、必ず消える。だからと言って、何もかもが消える訳ではないんだよ。

それは吐息であり、香りであり、呪いかも知れないが、何かが残る。それを確かめるのが文化であり、人の情(じょう)なんだよ。

過程というか、車窓の景色なんよね。人生は。

分岐点で別れてもすぐは同じ景色を観ている。でも、車窓は変化する。やがて、向こうの窓の景色は観えなくなる。けれど、観えなくていいんだよ。その苦悩を知る必要はないんだから。

別れても悪口を言わない。会社を辞めても自分は正しかったと言わない。

「古の君子は交わり絶ゆるも悪声を出さず、忠臣は国を去るもその名を潔くせず」
――『史記』「楽毅伝」

毎日出会いがある。毎日別れがある。人であれ物であれ、それは物化――事象のうつりかわり。

別れを形にするのが人のあり方なんだよ。

人に伝える仕事をしていると、ふと自分がなくなってしまうときがあります。多くを得たときです。それはまた両手から零れる何かを選択しなければならないときでもあります。人は爪先に残る砂粒です。よき出会いを。よき別れを。

「ふと自分がなくなってしまうとき」というのは、自分という器が壊れてしまったときです。足元が不安になり、今までやってきたことが無意味になったり、これからのことが見えないときです。誰しもそういうときはあります。

同じように、「多くを得たとき」は、自分の器の容量が足りなくなってしまったときです。他の心を受け止められないというのは、とても哀しいことです。零れてしまったものに、大切な何かが、人生の答えがあったのではないかと考えてしまいます。

これら二つは同じことです。自分という器が壊れ、新しい器に生まれ変わることを意味しています。きちんと補修すれば、金継ぎのように前より美しくなります。

そうしたときに、「両手から零れる何かを選択しなければならないとき」が訪れます。同時に起こってしまうので、それらと同じように考えてしまいますが、まったく違います。「運命を受け入れる」ということです。

これは、「何かを得るために何かを捨てなければならない」という意味ではありません。「人生は美しい等価交換」などでは決してないのです。「運命を受け入れる」ということは「運命に流される」ことではないのですから。

「人は爪先に残る砂粒」とは、そうした事象をありのままに受け入れ捨て去ることができる人を砂に譬えています。よき出会いを。よき別れを。

#血は水より濃い と言うが、気に食わないなら親でも兄弟でも別れたらいい。殺人はそうした関係が統計的に多い。

キッパリ別れたほうが楽であり、犯罪を予防できる。#blackjoke

その結びつきが義理であるなら「義理ほどつらいものはない」のです。助けられたお返しに何かをするとしても一生する必要はありません。人魚に助けられた王子は人魚と結婚しませんでした。それが縁(えにし)です。
cf.
『菊と刀』

恩を受けたとしても無理に恩人に返す必要はありません。恩が慈愛の水なら、自分の周りの人に、自分より渇いている人たちに注げばいいのです。
cf.
「あまり一生懸命になるな」という話|門松一里

「恩を返せ」という人たちもいるでしょう。それを商売にする人たちもいるでしょう。魔法使いはシンデレラに何も求めませんでした。それが恩(めぐみ)です。めぐみとはそのものの命を助けることに他なりません。そうしためぐみは上から下へ一方通行です。
cf.
「上善水の如し」『老子』

『菊と刀』に「恩は、万分の一も返せない」とあります。恩人としては「窮鳥懐に入れば狩人も殺さず」ですから、いつか返せばいいのです。それより助けられた命で他を助けることです。

本当の意味で友人は二三人いればいいですし別れても構いません。古書を友人にいてもいいですし音楽や情景を友人にしてもいいです。

子供は縁なのでいてもいなくてもあまり人生に関係しません。関係するとしたら頼っている訳で、それは縁に左右します。

「親子だから一緒にいなくてはいけない」や「兄弟なんだから仲良くしなよ」とかまったくの無責任です。殺人のほとんどが親族ですよ? 不幸になるなら別れたほうがいいし、二度と会う必要もありません。それが同時代人です。
cf.
法務省「2章 殺人事件の動向」

罪ある不倫は知られないのが悪の美徳である。背徳は記録してはいけないし、別れたら記憶も忘却しなくてはならない。

想い出はそのままに。別れを受け入れる。

ルイス・キャロル「いつまでも同じところにいたければ走り続けるしかない」

別れのときは、見えなくなるまで見送ることにしている。姿が小さくなっても、振り返ってくれるかもしれない。角を曲がったときにこちらを見るかもしれない。そこにいるはずの私がいないのだとしたら、それはとても哀しいことだと思うから。

別れを予感できない出会いなんてするもんじゃない。

人に伝える仕事をしていると、ふと自分がなくなってしまうときがあります。多くを得たときです。それはまた両手から零れる何かを選択しなければならないときでもあります。人は爪先に残る砂粒です。よき出会いを。よき別れを。

共に同じ時間を過ごしたなら、必ず別れが待っています。気持ちが離れていくこともあれば、身体が離れていくこともあります。生死を含め、それが自然です。落花流水。

毎日出会いがある。毎日別れがある。人であれ物であれ、それは物化――事象のうつりかわり。

別れの予感がしたら、さっさと別れて余韻にひたるほうがマシ。

別れたのに、もう一度付き合うとか気が狂っているとしか思えない。#blackjoke

プラモデルだとする。接着剤で組み立てる。くっつけた。完成した。何かあって壊れた。新しい部品を用意した。壊れたところをはがしても歪んでいるよ。けれど、新しい部品は歪んでいない。もう二度とくっつかないんだよ。

いっぱい言いたいことはあるでしょうけれど、言わないことです。縁がなかっただけのことです。

不法ではないにしろ不具合があり、相手が改善を受け入れられなかったら別れることです。それは相手の問題でこちらの問題ではないのですから思い悩む必要はありません。

どれだけ愛し合っていても必ず別れるのだから覚悟をもって今を楽しむこと。

別れる理由に子供を使うのは最低。別れない理由に子供を使うのはもっと最低。

【恋愛の法則】
1.先着順(早い者勝ち)
2.タイミング
3.相性

だいたい悩んでいるのは3.で、その時にはもう1.も2.も逃しています。

1.見知らぬ素敵な人が歩いているとします。口説きますか?

躊躇なく口説ける人が1.先着順です。

でも相手がいたり、こちらも予定があったりするとダメです。

逆に言うと、1.は2.のタイミングを含んでいる訳です。

2.素敵な人の左薬指に指輪がないとか、先日別れたとか別れ話でもめているとか聞いて、確認してから口説きますか?

この時点で1.に負けています。先に告白されていたら、そちらに行くでしょう? だってうまくいく可能性が高いのにワザワザ待つようなことはしませんからね。

1−2.たまたま先日別れたとか別れようとしているときに口説かれたらなびきます。相手の運命に飛び込んでいっている訳です。それは強いですよ。

で、タイミングが悪ければ「辛くなったら連絡してね」です。

3.かなり置いてけぼりです。相手の運命に飛び込むでもなし、運命の輪に合わせようともしていません。いくら相性がよくても辛いです。

この時点で友人になっていますから、いまさら言うと相手はびっくりします。

相手の運命を左右したり、運命の輪の回転数を合わせていないので、人生が軋みます。

3.が成功するのは、相手も自分も意識していなかったときです。幼馴染とか、いつもケンカしてる相手とかです。恋に落ちる訳です。

そうではなく、最初から好きで何もせず相性だけ求めるならかなり無責任でしょうね。#blackjoke

手に入れない愛情も十分に幸せですよ。

たまに思うけれど、週末三日間だけ結婚するというのもいいかもしれない。

美しい人がいれば、こう質問するのです。

「結婚しませんか? 三日間だけ」

美しい女性が一人でいるなら声をかけるといいです。内緒話をするように口に手をあてて「ねぇ」と言えば聞いてもらえます。そして「王様の耳はロバの耳」と囁くのです。「何それ?」と聞かれたら「娘を黄金に変えたミダス王の話だよ」とギリシア神話を話し始めるのです。

小人はベタベタしすぎるから関係を絶つことになります。故なく出会えば、故なく別れるものです。

別れた人のことを悪く言うのは、その人がどうであれ、言った人の価値を落とす。いま縁している人を侮辱することになるから止めろ。

付き合ったからには「絶対に別れる」んです。例外はありません。なんで認めようとしないのか。

付き合ったからには「絶対に別れる」という前提を何故認めない人が多いのか。

女は、別れた男がどうなろう知らないしドン底にいろ!と思っているので、もう一度会うなんてことは絶対にない。切れた糸は紡がない。男は、別れた女は幸せになっていると考えているし思い出すたび祈っているので、不意に会うと何かあったんだ助けなきゃと思う。彼女の心の切れ端を見つけようとする。

解る人にしか忠告しない。友人であれば、理解されなくても危険を告げる。それで別れても関係ない。いずれ解るとかではなく、その時に忠告したかしなかったかだ。

別れに涙せず

別れを考えて付き合いましょう。いつか誰もいなくなってしまうのですから。

「出会いと別れは同じ数である」

出会った限りは、別れなければならない。――これが必定です。例外はありません。

初恋は破れるもの。確かに多くはそうでしょう。けれど、初恋を忘れる人は少ないです。ましてや、その出会いを消すことなど、誰にもできません。同じように、その別れを消すことなど、誰にもできないのです。

運命の相手でも同じことです。

結婚をすれば、必ず別れます。結婚をしなくても、必ず別れます。必ず同じ数の出会いと別れがあります。

そこに幸せがあるのか、不幸せがあるのか、それはその人たちだけの事です。他(た)から思い描くのは不粋です。

生まれ、たまたま同じ家族であった。それだけのことで、人は苦楽を共にします。

子は親を選べないと言いますが、親も子を選べません。子を罪人にする親はいません。よかれと思ったことが、そうならないことは多いです。離れて暮らす家族が幸せなのかもしれません。

捕(と)らわれると囚(とら)われます。心はいつもそう。

出会えばいつかは別れるもので、それはあらゆるものの宿命であり、避けえないものです。

いずれ別れるものと心にとめましょう。そうしたなら、少しはやさしくなれるでしょう。

見送るなら見えなくなるまで見送る。別れるなら振り向かない。だって振り返ったときいなかったら哀しいでしょ。

とても素敵な人がいるとする。「アプローチをするかしないか」だけがこちら側の問題で、実はその人は昨日別れたか振られたかしたので心を癒してほしいのかもしれない。あるいは今の恋人との倦怠期に入っているのかもしれない。

どこであれどうやったとしても、人は生きていけるし、必ず亡くなる。出会い、別れる。
「人間は、何かの結末に踊らされて生きているのではなく、その過程に見守られて生かされているのです。その一瞬一瞬が高貴な財産であり永遠の真理なのです」

会釈して別れる。もしくはお茶して別れる。他愛ない近況を話して、自分の夢を壊さないようにする。そして、忘れる。

交差点の前で待つのか、交差点の先で待つのか。手前で待てばあの人と一緒に渡れるかもしれない。でも、出遅れているぶん、別れるかもしれない。先で待てばあの人を見つけられないかもしれない。でも、偶然あえるかもしれない。

恋は事故だから、保険が必要。ただし、別れた相手を誘うな。それは犯罪。

とりあえず「海を見たことがない」青年に会うと悲しくなる。いろいろあったんだろうなと思うけど言わない。「今から一緒に行こう」と言うだけ。何も聞かない。何も話さない。そして別れる。二度と会うことはない。

恋人と食事とセックスの話しかしなくなったら別れる時期だよ。

【士別三日、即更刮目相待】士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし
鍛練を続ける人は三日もたてば別人になっている。転じて、先入観で判断せずに物事をきちんと見なさいという意味になった。中国後漢末期の呂蒙の言葉。

【非復吳下阿蒙】呉下の阿蒙に非ず
もはや昔の阿蒙ではない。阿蒙は呂蒙の愛称で軽い感じがあり、また無知蒙昧の蒙から褒め言葉であってもバカにしている。呉下の阿蒙と略して悪い意味で使うことが多い。中国後漢末期の魯粛の言葉。呂蒙は「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」と返した。

女と別れた。部屋が広かった。

不倫のような反社会的で気持ちのイイことは内緒でやって、黙っていろ。そして別れても絶対に口にするな。二人になる機会があったとしてもだ。雪女の結末ぐらい知っているだろう?

私は別れるにしても一度は引き止めるけれど、二度はしない。ましてや追いかけたりしない。ようにしている。というかそうしないと自分でいられない。別れるということは、相手がむこうに行ってしまうこと、私がこちらに残ること。言うなれば私には届かない永遠の彼方に行ってしまうことだから。

それに追いかけても陸(ろく)なことにならない。陸続きじゃないんだ。そこには彼岸がある。渡ろうとするような小さな器の自分であれば、まず間違いなく溺れてしまうだろう。こちらからぼんやり見ているだけで十分だと思うよ。いっしょにいた思い出が褪せることはないのだし。

くだらない男ほど、そうした彼岸にいけずに溺れると復讐をしだす。ストーカーしかり、リベンジポルノしかり。自分の器の小ささを意識させた対象に恐怖して、怒りを返すバカ。だから別れを告げられたのに。

その点、女性はシビアだ。別れた男性はすべて彼岸に追いやって、自分を保っている。別れた人から連絡があると、男性は「何かあったのかな?」とか懐かしく思うぐらいだけど、女性にしてみれば「死人が生き返った」ぐらいのおぞましさがある。忘れてあげる愛情も大切なんだよ。

「元気? 覚えてる?」別れた女から写真付携帯メールが届いた。「結婚して子供もいるのに、どうしたんだろう?」あれから十何年になるが、口元の黒子は変わっていない。そうした人を助けることなんて金か調停と相場は決まっている。社交辞令を返したら、恋愛サイトを案内された。変わっていない……。

イロエロな恋愛があっていいと思う。激しい恋も見ているだけの愛もあっていい。ただね、別れた後で悪口をいうのはよしなよ。みっともないから。リベンジポルノとかほんとくだらない。そんなもの脳裏に焼き付けて毎回楽しめばいいじゃない。

別れた後で悪口をいう人は、つきあっていた間にきちんと話をつけていないのだろうし、相手の意見や立場を尊重しなかったのだろうし、第一に自分に正直に生きていない。

つきあうときに、自分に嘘をつかないこと。恋が熱病だと分かったら別れること。

惰性でつきあうと人生が破滅することもしばしばある。そうしたときは騙しても別れるほうがマシ。自分を騙すんだよ。相手を騙すと恨まれるから。

「愛別離苦」で愛するものと別れ、「怨憎会苦」憎しみあうことになってしまい、「求不得苦」求めるものもなくなり、「五蘊盛苦」思い通りにならない。

チャンスや才能があって、本人も知っていて何もしない友人知人がいたら、別れることをオススメする。多く未必の故意で傷つけられるのがオチさ。

大勢で会うって機会がないから、特に個人的になるのかしら。たまに思い出したように会って別れる。人生もそんなじゃないのかな。つなぐ心だけを手綱にすると相手を縛ってしまうから。

付き合いたいなら、素直に付き合いたいと言えばいい。相手はたまたま一人か好きな人がいないか彼氏彼女がいても別れようと思っているかもしれない。思っているほど人間自分には鈍感だよ。

たとえ悲しい別れがあるとしても、美しい出会いを望むだろう。

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ご高覧、感謝です。 サポートによる調査資料(エビデンス)を使った「思考の遊び」――エンタテインメント(娯楽)作品です。 ※虚構も少なからず入っています。