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ピアカウンセリングで覚えた「障害を持つ」という考え方 二十代の時に、私は、「ピア・カウンセリング」と出会いました。 障害について肯定的に捉え、支え合う方法であるこの手法は、私のその後の人生を大きく変えてくれました。
脳性麻痺 脳性麻痺になったのは、母のお産が重かったことが原因のようです。 お産婆さん(現在では助産師さん)の元で母が私を産んだ時、私は第三度の仮死状態で生まれました。なかなか泣かず、お産婆さんは、私を逆さまにして、水とお湯につけて、ひっぱたいたと聞いています。私が泣いて、母は安心したのでしょうか。 この後の親戚等、身内との関係については、私は何も家族からは聞いていません。なので、憶測を本当にあったかのように書くことはやめておきます。
文房具屋さん
・仕事を辞める
・人に頼んで初めてできること
・ヒーリングとの出会い
・スピリチュアルリズム
・霊的真理を学ぶ
・自分視点という意識 ヒーラーになりたくて学び始めたわけではなかった霊的真理ですが、ヒーラーという意味を大きくとらえて、「誰もが人を癒すことができる」と考えれば、私もその道に行くことができるかも知れないと、あやふやに思いながら知識を得て言ったように思います。まず自分のことから始めて、少しずつ広げられるようなら広げればいいと。でも片方では遠隔ヒーリングのホームページを作り、お客様を待っているのですから、私の心は矛盾していました。 霊的真理を学ぶものは、まず自分の怒
私の世界 世界と私は、数年まで私の中で別々の世界でした。 私は私の世界で生きていました。両親がいて、妹たちがいて、施設で生活した経験があり、家庭で暮らし、支援してくれる人たちや障害のある先人の人たちと地域で自立生活をはじめ、東京に越して、仕事を得ました。恋愛と同性と別れを経験し、住む家もいくつか変えました。霊的真理を教えてくださる師と出会い、ヒーリングスクールに受け入れてもらいました。人生が少しずつ変わっていく中で、それでもずっと、私は私だけの世界で生きていました。 私
自己中心的
意識のない言葉
自分には問題ないと思っていた
施設生活