誹謗中傷

誹謗中傷
最近では芸能人の方がお店を出す事も珍しくなくなってきました。
私が学生だった頃には原宿の竹下通りや自由が丘に多くのタレントさんがお店を出して賑わいを作っていた事をテレビで観て行ってみたいなと思った事を思い出します。
最近の方では、今は既に辞められてしまいましたが島田紳助さんもタレントと言うよりも、どちらかというと事業家のイメージが強く残っています。
そんな中、AKBで活躍されていた女性がラーメン屋さんを経営なされる中において、嫌がらせ行為からお店の経営計画に支障をきたす事が事件としてネットニュースになっておりました。
お店を経営する事とは会社を経営する事であり、既に複数のお店を作られているという事か考えても、お店や会社の事だけに留まらず従業員の方の生活等も考えなければいけないので、とても大変なお仕事だと思います。
私の父親も会社を経営しておりましたので、会社が苦しかった時の話を色々と聞かされており、何となくですが苦しさの表面的な薄皮一枚分くらいは理解できているつもりです。
その中で、誹謗中傷をなされた方の言葉が出ており「そんなにひどいかな」という言葉がすごく印象的でした。
人は経験を積んで学び成長をして往きます。
お釈迦様は自らの人生を苦しみ、逃げ出しております。
それだけであれば残念なお方ですが、その様な自分を引き受け、誰よりも自分の人生に自分自身で責任を持ち、精一杯自分の人生を駆け抜けた方だとも思います。
そして、自分の人生に責任を持ち引き受ける勇気を持つ事で、苦しかった人生経験を豊かに生きる糧に変換する事ができたのだと思います。
そして、豊かな糧を持つお釈迦様だからこそ、誰に対しても愛情があり、そこから生まれる言葉だからこそ、時間や時代というフィルターに掛かっても風化する事無く残り、現代に伝えられたのだと思います。
人は経験を通して学びますが、自分を引き受ける生き方をしてきた方と、そうでない方では、考え方や言動に大きな差が生まれます。
当然のことですが、自分を引き受けている方であればお釈迦様の様に自身の経験から想像力を働かせて、相手の心に届く言葉を生み出せると思います。
そうでない方は、そうでない結果になると思います。
経験から人は多くの事を想像し言葉や行動を興します。
自らの経験をどの様に使うかは自己責任です。
豊かに生きる糧にする人生もあれば、今回の事件の様に人を傷つける事もできます。
お釈迦様の言葉の一つに「言葉は贈り物」と言うものがあります。
贈り物である以上、送り先の相手が受けとらなければ、送り主への返品となります。
返品される様な言葉や行為は総て自分に返ってきます。
私達にできる事は常に返品されても大丈夫な言葉を発し行いをするだけだと思います。
薄く浅く狭い知識しかありませんが、いつでもお気楽にご相談ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?