『赤ちゃん』春風亭与いち

どうもこんにちは、"竹さん"こと横丁の"山田竹二郎"のところに産まれた赤ちゃんです。
産まれて七日目になりますが、まだ名前はありません。
ご近所の方々からご祝儀やらなにやら沢山頂戴致しました。ありがとうございます。
それだけでなく、こんな口もきけない私を楽しませようとしてくれる長屋の方々には大変感謝しております。

そんな素晴らしい私の人生のスタートに悲劇が起こりました。

それは今日の昼間の出来事です。
私がこの世に生を受けて七日目。
今日もまた一歩、大人に近づいていくはずです。
しかしなんだかいつもと違います。

母の乳の出が悪かったり、
なかなかゲップが出なかったり、
私の安産祈願で断酒をしていた祖父が酒を呑み始めたり。
とにかく変わった事が多かったのです。
祖母は「茶柱が立ったまま沈んだ」と言っていました。
それから買い物に行ったきりまだ帰って来ていません。

これは何か起こる。そう確信しました。

そして遂にその時はやってきました。
家の戸が急に勢いよくガラッと開いたかと思うと、
一人の男が声を荒げて

「おーい!タケ居るかー!?」

私はゾッとしました。
酒とタバコでやられたがらがら声に、
ボロボロの着物・草履。
その目は確実に何かを狙っていました。
私の父が
「おお、どうした?」
と聞くと、その男は

「お前んところは赤ん坊が産まれて弱ってんだって?」

などとトンチンカンなことを言いながらずかずかと家に上がりこんで来ました。

どうやらこの私を褒めるみたいです。

なんなんですかこの人は。
私が産まれたこの世界には新生児を褒める為だけにわざわざやって来るという習慣があるのでしょうか。
よく分かりませんがこの男は目が怖いです。

「どこに居んだ!その赤ん坊ってえのは!」

私の父が後ろに居るぞと教えると、
あろうことかあるまいことか、
その男は、酔い潰れて昼間から寝ている祖父を"老けた赤ん坊だな"と罵っています。

恐らくこの男は何かヤっています。
そしてその男は私を指差して、

「まるでお人形さんのようだ」

と言いました。
正直これには驚きました。
このセリフはお世辞上手の酒屋の番頭さんにも言われたセリフで嬉しかったのを覚えています。

なんだ、今まで変なことばかり言っておいて結構まともな人なんだ。

そう思った直後、
私は腹部に強い衝撃を複数回受けました。

一瞬何が起こったのか分かりませんでしたが、
私の父がとても慌てているのを見てやっとこの状況が分かりました。

なんと、この男は私の腹部を何度も押してきたのです。
それも、

「見ろこれ、腹押すとキューキュー鳴くよ。」

と言いながら。

恐ろしかったです。

この世にいる鬼とはこの人のことなのだと。
私は初めて"恐ろしい"という感情を覚えました。


しかし、私は恐怖に震えると同時に何故かスッキリもしていました。
昼間なかなか出なかったゲップが出ていたのです。

あの男は分かっていてやったのか。
ただただ産まれて七日目の新生児の腹を鳴らす為に押したのか。

真相は分かりませんが、
私にとって今日は一生忘れない日になりそうです。

それでは、また。どこかの寄席で。

2020.2.15

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