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中山みき研究ノート3-8 屋敷のそうじ

当時のつとめ場所には天神十二柱が祀られてはいたものの、そこでは修験道と変わらない祈祷が行なわれ、大勢の人が参拝に訪れていました。この時期、45日間に約1500人、延べ人数で2174人にも上るお願いが行なわれたと『御神前名記帳』(注=天理大学おやさと研究所編『天理教事典』347頁 1977年刊)には出ています。これは、秀司が天皇家の神を祀り、祈祷料をもらったり御札を売ったりしていることの繁栄であって、実際に人がたすけられていたのは教祖やこかん、、、の話によってなのです。

ところが、制度上は秀司の天輪王明神にお参りすることになり、お賽銭は全て秀司の懐に入ることになっていました。それにもかかわらず、秀司はつとめ場所普請の時の材木代金さえも支払わないのです。 収入もないのに人だすけを続けている教祖やこかん、、、のところに請求が来ても、「こかん名義で飯降伊蔵が建てた物だから」と知らん顔を決めこんでいました。この材木代金は結局、今日に至るまで支払われていないのです。

つとめ場所は、世界だすけのために作られた場所です。そしてみかぐらうた、、、、、、を唱い、おてふり、、、、の練習をする場所です。 難渋をたすけ、ろっく (平ら、平等) の地に踏み均し、皆の喜ぶ世界を作ろうという心定めをする、おつとめの場所なのです。ところが秀司は、自分に営業権があると主張して、女房子供をお屋敷に入れてしまいます。そうすることによっておちえ、、、や子供達の意識の中には、「竈の灰までこの音次郎が継ぐべき物だ」「全ては私達中山家のものだ」という意識が自然に出て来ます。

それを見た教祖は、明治2年から書き始めたおふでさき、、、、、で厳しく 「やしきのそうじ」を宣言されることになるのです。教祖にしてみれば、権力者に仕えてご利益をもらおうとする秀司に、「出て行け」 と言いたい所なのですが、秀司は戸主です。教祖が戸主であったことは一度もありません。従って、「秀司、出て行け」と言うと、自分やこかん、、、が出て行かなければならなくなります。そこで教祖はまず、秀司、おちえ、、、おかの、、、、音次郎達の「竈の灰まで、この屋敷は私の物」という意識を解体するために、「やしきのそうじ」を始めようとされたのです。

教祖は、おふでさき、、、、、にもあるように、おちえ、、、達を「正月晦日と日を切って、外に出しなさい」という厳命を下しました。 たすけ場所までも私のものだと思うような我身思案の心でいてはならないと、戸主ではなくとも親として秀司に厳しく迫ったのです。

気力に溢れ、神の社として世直しをしようという教祖です。筋を通して「誠の心がある者しか、この屋敷には置かん」とりんとした態度で迫る教祖を前にして、秀司もおちえ、、、を返すことに同意しないわけにはいきませんでした。

『おふでさき注釈』では、おちえ、、、を内妻、あるいは音次郎を庶子としているが、これは間違いです。日本に戸籍制度が出来たのは明治5年のことであり、それ以前は、戸籍そのものが無いのですから、入籍している妻など一人もいないのです。一緒に暮らしてご新造さんと呼ばれ、跡取りを産んでいたら、それは正妻なのです。 音次郎は跡取りなのです。

正妻であろうがなかろうが、このたすけ場所に住む者は我身思案ではいけないのです。これが「悪事払うて」ということであり、「若き女房」(注=おふでさき 一65)として迎えたのは平等寺村の小東まつゑ、、、という人です。 この人は、信者の娘でした。

竜田の乾ふさ、、という人は平群谷一帯での布教活動の中心的人物でありました。この人の仲立ちで、信徒であった小東家の娘を迎えたのです。そして、この秀司夫婦が互いたすけ合いの心になって、やり直すようにという思いで、結婚をさせたのです。

おふでさき一号の終わりには、

せんしよのいんねんよせてしうごふする
これハまつだいしかとをさまる(一74)

と記しておられます。前生というのは、今までの輪廻の迷信のように、死んだ人が魂だけ残って、再び異なった境遇と体を得て、生まれ変わって来るということとは違うのです。 教祖は、今世といったら自分を見よ、前世といったら親を見よ、来世といったら子供を見よ、とお教え下さっています。 つまり、現在から見て過去の歴史を前生の因縁というのです。「曰く因縁故事来歴」という言葉がよく使われますが、そういう意味での因縁です。

本人が信者の娘であり、今までの通り方が我身思案の心ではないということから、これを夫婦として治めると言われたのです。 前生から持ち越しの約束事などではありません。このまつゑ、、、も、この時分には今までの環境と素質からみて、互いたすけ合いの人間として我身思案なく通るだろう、と教祖は思われたのですが、秀司の欲に汚染されてしまい、後には皆に嫌われてしまいます。そして、「切る事一切」の「たいしょく天」の役割だ、などと陰口を言われるような人になってしまうのです。

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第3章 教祖の道と応法の道
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