アンフォルメルギタースクールができるまで ①
アンフォルメルギタースクール(以下AGS)の沿革を紹介するにあたって、まず主宰者である私、村山の自己紹介から始めます。
私は1977年に愛知県一宮市で生まれました。地元です。
高校まで一宮市で暮らし、静岡市の大学へ進学し、卒業後に地元に戻ってきてAGSを立ち上げました。
当時はまだ非常に珍しかった国際結婚の家庭で生まれ、貿易商の父親とファッションの仕事や通訳をしていた母親のもと、インターナショナルな環境で育ちました。文化的な環境にも恵まれて芸術分野の習い事は音楽と演劇と油彩以外は一通りやらせてもらいました。この時の経験は現在にも強く影響しています。
音楽については、当時はテレビもラジオも歌番組の全盛期だったので同年代の皆さんと同じく歌謡曲に親しみましたが、それとは別に両親が海外出張のたびに持ち帰るカセットテープで主に欧米の最新ヒットナンバーや民族音楽も聴いていました。
70年代末から80年代の洋楽ヒットナンバーはリアルタイムで聴いていましたが、父の出張先がスペイン、デンマーク、西ドイツが多かった影響か、アメリカの音楽よりも西欧や北欧の音楽に馴染みやすかったです。NenaとかA-ha、Duran Duranが好きでした。インドネシアやマレーシアにもよく行っていたので親の運転する車ではガムラン(インドネシアの民族音楽)やインド音楽もよく流れていました。
私たち兄弟は親族の中では一番若く、最も歳の離れた従兄弟とは20歳近く違ったので、彼・彼女たちが聴いていた物からの影響も大きかったです。
家族の中にギターを演奏する人はいなかったものの、ギターは身近な楽器としてそばにありました。
父は60年代から70年代にかけては楽器、特にギターに関係する物を商材にしていました。当時は日本製ギターは安い物として欧米に大量輸出されており、その経験から品質を上げてコストパフォーマンスの良い物として需要がありました。今では世界的な規模になった日本の楽器メーカーや楽器部品メーカーの欧州市場への橋渡しをしていたのが父でした。そのため、事務所を兼ねていた自宅にはサンプルのギターやギター部品があり、私が遊んでいた積み木箱の中にはネックヒールや指板、ローゼットといったギターの端材が紛れ込んでいました。
今でも実家の物置を整理すると当時の楽器の資料が出てきます。
しかし、だからといって自分の興味がギターや音楽を演奏することに向きはしませんでした。著名なクラシックギター製作家と家族ぐるみの交流があったため、小学校に上がる前くらいに両親は私にクラシックギターを習わせたいと考えたのですが、私が乗り気ではなかったことと、親の目に敵う先生を見つけられなかったことからこの話はなくなりました。
ここから自発的にギターを手にするまで8年の月日が経ちます。
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