見出し画像

ツネさん、安らかに

僕がHi-STANDARD(以下、ハイスタ )と出会ったのは1997年でした。

高校一年生だった僕はクラスメイトから「これ聴いてみなよ」とあるMDを渡されました。

それまで僕はGLAYやTRICERATOPSを好んで聴いていました。

中学からギターを始めるくらい、バンド音楽は好きでした。

僕の当時の性格上、人から薦められたものは大抵受け入れないみたいな変な尖り方をしていました。

僕は仲の良いクラスメイトのよしみで、借りたMDを何気なく再生をしました。

イントロを聴いた瞬間から僕は衝撃を受けました。

その曲は『MAXIMUM OVERDRIVE』という曲で、今まで聴いたことのない方ギターフレーズやリズム、日本人なのに英語詩で歌っているという、曲が進むにつれて次から次へと僕は衝撃を受け、僕はイヤフォンから流れる音に集中し、そして目を丸くしながら、『MAXIMUM OVERDRIVE』を聴きました。そして、曲が終わると矢継ぎ早に『LONELY』という曲が始まり、どんどんハイスタサウンドに引き込まれていきます。『LONELY』が終わり、『SUMMER OF LOVE』が始まった時にはもう僕はハイスタの虜になっていました。

MDを貸してくれたクラスメイトに興奮しながら、「なにこれ!」「やばいんだけど!」「最高!」と語彙力のない感想を叩きつけ、クラスメイトもまんざらでもない様子でした。

それからというもの、僕はハイスタにハマり、文化祭ではハイスタのコピバンを作り、『CLOSE TO ME』『SUNSHINE BABY』『THE SOUND OF SECRET MINDS』を演奏し、その後もバンドを続け、ライブでも必ずハイスタの曲を数曲(DEAR MY FRIENDS, STAY GOLD, BRAND NEW SUNSET, starry nightなどを気に入って)やっていました。

1999年にアルバム「MAKING THE ROAD」が発売されて、ツアーも始まりました。
僕の地元の茨城の水戸ライトハウスにもハイスタが来るとわかり、チケットを取ろうと頑張りましたが、残念ながら取ることはできませんでした。

茨城の田舎の高校生だった僕は東京のライブハウスやハイスタが主催するフェス、AIR JAMに行く勇気もなく、そして、ハイスタは2000年に活動を休止。

生のハイスタのライブを見れないまま僕の人生を終わってしまうのかとその当時はとてもショックを受けました。

僕はというと、2001年に高校を卒業した後にカナダに行きました。

もちろんハイスタのMDを持ってね。

カナダでの生活でもハイスタは僕の中で鳴り響いていました。

カナダに行ってその当時流行っていた、SUM41、SIMPLE PLAN、GREEN DAYなどメロディックパンクはカナダでも聞いていましたが、やっぱり自然と聴きたくなるのはハイスタのサウンドでした。

2004年に帰国すると、日本の音楽シーンは変わっていました。AIR JAM世代のバンドの勢いは当時の時よりは落ちていると感じました。その代わりに新しい、要は世代交代した新しいバンドが巷を賑わせていました。

僕は帰国後、東京の大学に編入学し、東京での暮らしが始まっていました。

僕は今まで行けなかったライブ欲をそこで爆発させたかのように、毎週のようにライブに行っていました。

もうその時にはハイスタは完全に過去の人たちという存在になってしまっていましたが、ツネさんの姿はよくライブハウスで見ることができました。

当時好きだったバンドのいくつか(CUBISMO GRAFICO FIVEやLOW IQ 01)にドラマーとして参加していたからです。

ハイスタを生で見ることが夢でしたが、ツネさんが他のバンドで演奏しているのを見ることができたのはとても興奮しました。

それから時は経って、東北の震災があり、ハイスタが立ち上がりました。

僕の実家の北茨城も津波による被害が大きく、当時の海沿いは酷い有様でした。

そんな、東北だけでなく、日本中が沈みかけている時にハイスタがAIR JAMをやると言ってくれたのです。

これがヒーローだよ。これが音楽の力だよ。と僕はハイスタに最大限の敬意と感謝を感じずにはいられませんでした。

2012年、宮城、AIR JAM。

僕はそこにいました。

ようやく生のハイスタを見ることができたのです。

その時のセトリはこんな感じ↓

1.GROWING UP
2.stay gold
3.WHO’LL BE THE NEXT
4.My First Kiss
5.stop the time
6.my heart feels so free
7.NEW LIFE
8.making the road blues
9.MAXIMUM OVERDRIVE
10.the sound of secret minds
11.starry night
————
12.Can’t Help Falling In Love
13.brand new sunset
14.mosh under the rainbow

くー!僕の青春詰め込み過ぎー!

もうね、何回泣いたか。

ライブが終わってしまうのが、こんなに名残惜しく感じたのはこの日以外ないってくらい、ライブが終わってほしくなかったです。

でも、またきっとどこかでハイスタには会えると僕は思いました。

だって、日本のために立ち上がってくれたんだからね、ハイスタは。

ヒーローは颯爽とまたどこからともなくやってくるんですよ。

それから、また時は経ち、2016年。
ハイスタは活動を再開しました。その年にシングルを2枚リリースし、翌年にアルバムをリリース。そして、そのアルバムのツアーが始まったのです。

僕は埼玉スーパーアリーナでのライブに参加しました。

人生2回目のハイスタのライブです。

モッシュしたりダイブしたりする年齢ではなくなっていたので、後ろの方で僕はしみじみと聞いていましたが、ライブが進むに連れてしみじみとなんて聞いていられず、僕は前方へ突っ込んで行き、もみくちゃになりながら、これがハイスタだよなとしみじみと思ったのでした。

その後、ハイスタは一本のドキュメンタリー映画を公開しました。

『SOUNDS LIKE SHIT』というタイトルで、僕はその映画を見て始めて、ハイスタの苦悩を知りました。

難波さんも、健さんも、ツネさんもそれぞれ重いものを背負ってハイスタを続けていたんだなと思いました。

その映画を見てからというもの、3人の見方が変わったように思えます。

大丈夫かな。

無理してないかな。

そんな風に思うことがありました。

そして、誰もが望んでいなかったことが2023年2月14日に起きてしまいました。

ハイスタのドラマーのツネさんが亡くなったのです。

僕はその訃報を知って、胸がぎゅーっと締め付けられました。

現在、僕は鬱病を抱えています。
そして、希死念慮もあります。

だからツネさんの訃報を知った時にすごく気持ちが落ちて、頓服の薬を飲んで、少し気持ちを落ち着かせて、仕事へ行きました。

もうツネさんの叩くドラムで生のハイスタを聞くことはできないのは残念ですが、どうか安らかにと願うばかりです。

僕はハイスタの音楽に支えてもらいながらもう少しだけ頑張って生きてみようと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?