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小説/汐喰シーサイドホテル537号室

 吹笛と共に飛び上がり、どんっと夜空に号砲を撃つ大きな雫のようにそれは起こって、わたしは遺灰を溢してしまった。でも自分が誰と衝突したかわからない。わたしは人の顔を見ないので。
 人の顔を見ない理由はいくつかある。まず第一に人の顔を見ると悪玉菌が善玉菌を殺してお腹を壊し、それから鼻が曲がって目玉が飛び出て口は耳まで裂けて舌が耳殻をぺろぺろ撫でてぴちゃぴちゃという音が脳髄まで到達する前に足のつま先から頭のてっぺんにかけてドレミファソラシドをするようにしてぽつぽつとじんま疹が出て…と、とにかく悪影響しかないので見ない。となると母は言う。「もう十三歳でしょ、ちゃんとして」
 見ず知らずのかぞくと乗っていた。
 ユニコーンに。タイタニックに。Fー14に。ハリネズミ座行き銀河鉄道に。というのはすべて幼稚な想像であり、じっさいは汐喰シーサイドホテルの陰気くさいエレベーターに乗っていて、陰気を放っている正体はおそらく自分。
「これは母親です」
 とこぼした遺灰をかき集めながらわたしは言う。願望かもしれない。「遺灰は母親」。でもほんとうはおともだち。しかしこの人たちにとって遺灰がだれかということはどうでもよい。この人たちというのはエレベーターに同乗している見ず知らずの家族のことだけど、この人たちは遺灰をかき集める手助けをしてくれることもなく、ただ前を向いて沈黙を貫いている。と思う。わたしはかがんで遺灰を集めているのでよくわからない。わからないが、エレベーターのなかは人が動いたりおしゃべりしたりする様子はみられない。あまりにも静か。となると「もしやわたしだけの小宇宙にワープでもしたのか」と悪い癖で少々メルヘンな気になってきたのだが、そんなメルヘンなことがおこるのはもうすこし先のこと。だといいけどそれもよくわからなくなっていた。
 とりあえず遺灰はかき集めた。かき集めた遺灰はおやゆびとひとさしゆびで海砂をもて遊ぶようにつまみあげ、「元気ハツラツ!」を謳う飲料瓶のなかに塩少々といった感じでぱらぱら入れて、おもわずぷっと笑いそうになる。が、堪える。「死んでいるのに元気ハツラツはおかしいね」とこころのなかで遺灰にひそひそと語りかけるだけにして、ふと思う。「そうか、この家族はこれが遺灰だと気づいていないのかもしれない—」と。おそらく誰も思わない。浜辺でひろった飲料瓶に遺灰を入れる? そんなばかな。ということだ。よってこの人たちはわたしを無視しているわけではないしわたしのことを見えていないわけでもない。たぶん…とあれこれ考えながら立ち上がる。
 ところでわたしは去年の大晦日にもこのエレベーターに乗っていた。それから一昨年の大晦日もその前の年の大晦日にも乗っていた気がするが、それはさておき、わたしは鼻を鏡につけた。その鏡というのはエレベーターの後ろ側に設置されているのだが、なぜそのような不思議な行為をするのか説明せよと誰かに命令されればこう話す。
 それはね、鏡からつるりとすべてを滅菌するかのような冷たさを感じると、『今日は大晦日なんだなあ』というおそろしい事実を皮膚に鋭く捉えさせることができるから——「なぜ?」と再びたずねられた。「なぜ大晦日がおそろしいの?」
 わたしは鏡から鼻をそっと離して、「それはね……」と男の子に語りかけた。
 ちなみに男の子というのは今いっしょにエレベーターに乗っている男の子のことであり、もう少し説明するとわたしは後ろからながめているだけだから男の子の顔は見えていない。それからおそらく男の子はわたしになにもたずねてなどいないのだけど、ニコちゃんマーク——それがわたしのあたまに浮かび上がった。というのはきっとこの男の子は自室にニコちゃんマークのポスターを貼り付けていて、そしてそれを貼り付けたのはこのエレベーターに一緒に乗っている母親であり、「あなたに似てるから」といって母親は男の子にほほえみかけたりしたことがあると思う。しかし男の子はそれに対してなにも返事をしなかった。「ぼくはこんなにしあわせじゃない」とほほえみを浮かべつづけるニコちゃんマークを睨みつけて母親に言い返したいような気もするのだが、夜中にこっそりポスターに向かって唾を吐くだけにする。と想像すると八歳くらい。知らないけど。
「カルトなんだ」
 と推定八歳児に向かって、わたしはひそかにこころのなかでささやきをつづっていく。
「わたしは宇宙葬を推奨するカルト団体に所属する十三歳です。おともだちになりたいですか?」
 と訊いてみると、男の子の頭はかすかに揺れた。それはおそらく気のせいだと思う。だってだれもわたしとおともだちになんてなりたくない。なぜならわたしは人の顔を見られないビョーキでもあるし、おともだちを殺してしまうから。
 なめらかにつづいていた上昇はやがて止まって扉が開いた。五階に到着したということだった。
 わたしはニコちゃんマークさながらの愛想笑いを浮かべて「よいお年を」と男の子の背中にひっそり告げた。そして流星のごとく見ず知らずのかぞくの間をすばやくすり抜けていき、ふと、エレベーターのなかを振り返りそうになった。というのもこぼした遺灰が気になった。集めきれなかった指の部分が男の子の靴の下にのこっているような気がした。でも振り返れない。人の顔見られない症候群だから。ということで、さようなら。

 537号室にたどりつくと、部屋の中には大きな男の人がいた。おそらく身長は2メートルくらいある。それからその人は部屋に入ってきたわたしに気づいて「テレビが壊れている」と説明し、自分はこのホテルの清掃員だとも話した。
「テレビがこわれていてもかまいません」
 とわたしは顔を見ずに伝える。すると「そんなわけにはいきません」とやたら真面目ぶった声が返ってきたのでうんざりした。なぜならテレビが壊れているほうがわたしにとって都合がよく、それは537号室に鏡がない事実と関係しているのだが、「そんなばかな、ホテルの部屋に鏡がないなんて」と思う人がいるならぜひ部隊でも組んでこの部屋を探検してみたらいい。そして隈なく部屋中を探し回った結果とうとう鏡が見当たらなくて私といっしょに泣けばいい。そうするというのなら隊長の座はゆずってあげたい。わたしはどうせすぐに死ぬタイプだから書記長くらいで。
 と思ったのだが、隊長に志願する者は一向に現れない。そして今、壊れているというテレビは真っ暗な液晶画面に清掃員の姿を映し出していて、わたしはそのぼやけた輪郭を恐る恐る後ろから眺めて「あの人に似ているかも」と思った。
「ほしちゃん?」とつい声をかけてしまう。
「え?」と清掃員の大男が振り向く気配を感じてとっさにまたわたしはうつむいた。すると清掃員の大男は「ああ…」とわたしの言おうとしたことを理解したようにつぶやいた。
「違いますよ」と清掃員の大男。
「そうですか」とわたし。
「それよりも別の人に似ていると思いませんか」
「人の顔を見ないのでよくわかりません」
「そうですか。ではドジャースも知りませんね」
何人なにじんですか」
「人ではないです」
 清掃員の大男の話によればドジャースはロサンゼルスにいるらしい。そして清掃員の大男は応援に行ってみたいらしかった。
「でも遠い…」と清掃員の大男はいっしゅん言葉に詰まったようすをみせたあと、「でも海を見ているとどこまでも行けるような気がしてくるな」と気を取り直したように明るく言った。
 ということは、おそらく彼はこの部屋の窓外に広がる大海原を、憧憬の眼差しで見渡し心奪われているのだと思われる。そして夢想。「海は広いな行ってみたいなよそのくにー」と伸びやかな唄声で口ずさみ、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスをめざして船を漕ぎ出す自分の姿、あるいは、「自由になれ、海に出ろ、この世のすべてを探してこい」とでも言いたげに鳴り渡る波の音に耳をすませて密かに海賊王になる夢をみている可能性も否めない。人にはそんな時もある。
「テレビは見ないのでほんとうにもういいですよ」と再びわたしは断る。
「それよりもエレベーターのなかに遺灰のようなものがこぼれていましたよ」とわたしが言葉をつづけると、清掃員の大男はとつぜん潮が引いていくようにして537号室からすがたを消した。するとそれを待ち望んでいたかのように壊れたテレビが勢いづいて話し出す。「鏡よ鏡よ鏡さん」
 となるはずが、その黒い鏡は沈黙していた。
「タイヤとゴミ! 固いカモメ! ほし!」
 とわたしが必死に呼びかけても全く応答せずに、それから黒い鏡は彼女の姿を映さなかった。

 537号室で、わたしたちは出会う。
「こんな時に、なにがハッピーニューイヤーだ」
 とわたしはあの日、微笑みを浮かべつづけるニコちゃんマークに唾を吐き捨てた。その理由は飼っていたハリネズミが死んだからであり、「こんな時にこんな服、死んでくれて幸せですとお悔やみ申し上げているみたい」と、母に無理やり着させられたニコちゃんマーク付きの服に感じる波のような嫌悪に襲い掛かられていて、それは汐喰シーサイドホテルのエレベーターの中だった。
 わたしはエレベーターにある鏡のなかを穴が開くほど睨みつけた。そしてふと、そのすがたに強烈な違和感をおぼえる。というのは、睨みつけているニコちゃんマークは右目をウインクしているはずだった。ところがその鏡のなかでは、左目をウインクしている。そのことに気づいた途端、云い知れぬ恐怖心がわたしの全身の皮膚を這い回って駆け巡る。と同時に、歓喜。
 わたしは何かから逃げるようにエレベーターを降り、宿泊する537号室に慌てて駆け込んだ。そして試しにベッドサイドの真っ白なメモ用紙に「しほ」と自分の名前を書いてバスルームの鏡の前に立ってみる。すると鏡に映る何者かは鏡のなかでメモ用紙を私に見せてこう名乗る。「ほし」
 そしてわたしたちは、おともだちになった。
「あなたのことは何度も見たことがある。あなたのことはよく知っている。私たちはおともだち」
 見ず知らずで溢れたわたしの世界で、ほしちゃんはハリネズミに変わる新しい希望となる。
 となると何度もカウンセリングを受けさせられた。そして様々な白衣は声を揃えてみんな言う。
『たしかに鏡による左右反転の不思議は何千年と解明されていない謎となっていて、その何千年と人々の議論は続いてきたというのに未だ定説などありはしない。だけどね…………』
 とそんな解明されてもいない曖昧な理論を説かれるほどに、しほとほし、シホとホシ、詩星と星詩という結び目は強く固く解けなくなっていく。
「明らかじゃないのにおかしいね」
「うん、おかしいよ」
「どうして人は思うのかな」
「どうしてだろう、よく見てみると違うところがたくさんあるはずなのに」
 私たちは鏡に映る像を覗いて『これは自分』と認識する人に聞いてみたい。「気は確か?」
 ところで街を探している人がいた。
 その人はいつもだれかに引きずられて全身ずぶ濡れでカウンセリングにやってくるのだが、暇を持て余した待ち時間にわたしはその人の話を聞いてみることにした。すると、その人が探している街は池や川のなかにあるということがわかった。
「必ずあるんだ。街並みはそこに映っているんだよ。それなのにないはずがない。飛び込んだ人にしか辿り着けない街が必ずあるはずなんだ」
 と、その人はいつの日か必ずその水面に浮かぶ街の観光本を出版すると意気込みを語ってくれたので、「出版された時にはかならず買って読みますね」とわたしは指切りをした。
 というようなことがあり、わたしはほしちゃんと会うことをそれまで以上に固く禁じられてしまう。もちろん鏡はすべて取り上げられ、それはこのホテルの部屋でも同じことだった。が、さすがに母もホテルの鏡を割ることには躊躇したのか、それでも鏡には布が厳重に施されていた。
「今年もほしちゃんと会わないよう努力します」
 と年明けの花火を見ながら両親に新年の挨拶をして、それからはひたすら時が満ちるのを待つ。
「ほしちゃん、あけましておめでとう。もうみんな眠ったから大丈夫だよ。ことしもよろしくね」
 と鏡のない部屋にひっそりと佇む真っ暗なテレビ画面に声をかけた後は、水平線に日の出が浮かび上がるまで何時間でもこそこそと語り合う。
 私たちはその語り合いの中で、宇宙葬を推奨するカルト団体を作り上げた。それはハリネズミのクロワッサンとミカヅキを宇宙に送り込んで綺羅星の仲間入りをさせるためであり、クロワッサンとミカヅキがカストルとポルックスを仲違いさせてその座を狙う悲劇の設定まで緻密に語り合う。
 そのためにはカラフル人が必要だと私たちは考えた。カラフル人に宇宙葬推奨カルト団体の指導者を任せることにして、そのカラフル人にはカラフルお菓子愛好家の米国人という少し突飛な設定があったのだけど、それを思い付いたのはほしちゃんであってわたしではないことを補足する。
 とにかく、カラフル人は自分が死んだ時の用意に余念のない人だった。自分が死んだ時には必ず花火となって、ことに美しくカラフルに、ことに儚く一筋の薄い煙を夜空に描いて壮大な宇宙の旅へ飛び立つことを決めていた。そのためカラフル人は七色の吐瀉物に囲まれながら暮らしている。
 というのは、カラフル人は基本的に白を口にしない。バニラアイスをピンクにホワイトシチューを水色にして食べる。それは驚くべき人工着色料の消費量。おそらくコストコに陳列されたカラフルケーキも顔面蒼白。「くってみな、飛ぶぞ」
 そしてじっさいに飛ぶ。
「もうあなたにはついていけません」と別れを告げるとある団体メンバーからの手紙を、カラフル人はストロー状にくるりとまるめて机上に引いた白線を鼻から吸い上げる。そして目玉をぎゅるりと回して盛大に七色の吐瀉物をほとばしらせる。
 そして重要なのは、カラフル人がこの汐喰シーサイドホテルで年明けに打ち上げられる花火に乗せて毎年死人を打ち上げていることだった。
 カラフル人は医師や歯科医師や弁護士、さらには花火師にも崇拝されていた。となると遺灰を花火玉に仕込ませることは容易なことであり、カラフル人の宇宙葬は完璧なものだった。ところが、
「ばかめ、花火が宇宙に届くわけがないだろう」
 と幻想から目醒めた公認会計士が去り際に言い捨てていくこともある。だが、
「信じるということが信仰か? ばかめ、そうではない。感じるということが信仰だ」
 とカラフル人は瞳を潤ませて鏡に映る何者かに向かって言い聞かせるのだが、鏡に映る何者かはカラフル人に向かって二本の中指を立てていた。
 実のところ、私たち以外の誰も笑わないこのブラックコメディにはその先の展開がない。それはほしちゃんがいなくなってしまったから。
「ほしちゃんあいたいよ」
 とわたしは黒い鏡に向かって涙を浮かべる。
「ねぇ、ほしちゃん」
 とわたしがもう何度目かわからない呼びかけをした時には、辺りは完全にまっくらな闇に包まれており、黒い鏡はますます闇を映し出している。そして537号室には「ほしちゃんホシちゃん、星詩ちゃん」と呼びかけるわたしの声と、海の悍ましい夜鳴きが混ざり合う音だけが響いている。
 わたしは座り込んでいた椅子から滑り降り、黒い鏡に近づいた。鏡のつるりと冷たい表面に鼻を押し当てて、「もうほしちゃんはいない」という恐ろしい事実を皮膚に鋭く捉えさせていく。
 これはクロワッサンやミカヅキと同じだ。あの子が眠る時にくるんと横たわる姿はクロワッサンのように愛らしく、しかし夜は三日月のように麗しい。そこで私は「この子はフランス生まれ」と仮説を立ててみたり「ううん、かぐや姫だ」と考え直す。するとクロワッサンは「喉に猫がいる」とフランス語で嘆き、ミカヅキは「そろそろ月にかえりたいよ」と月語でわがままをする。安らぎだった。あの子たちが同時に宇宙へ還るまでは。
「しほ、メモ書いたか、見事焼いた」
 とその時、黒い鏡に白い影が映り出した。
 わたしは鏡から鼻をそっと離して、「ほしちゃん……?」とその姿にたずねてみる。
 あの日と同じだった。おともだちを殺したあの日と同じように、わたしは黒い鏡に手を当ててみる。冷たい。生きていない。死んでいる。生き返らない。眼鏡をかけている。性別も違う気がする。しほじゃない。ほしじゃない。が、わたしたちはもう何年もわたしたちの姿を見ていない。
「必ずあるんだ。街並みはそこに映っているんだよ。それなのにないはずがない。飛び込んだ人にしか辿り着けない街が必ずあるはずなんだ」
 と言ったあの人は無事にあの街に辿り着けたのだろうか。そんなことを考えながら、あの日も今もわたしは鏡のなかを覗き込んでいる。
 黒い鏡だ。彼女は闇の中にいて、闇は時折月灯りを受け入れ彼女を慈しむように優しく揺らす。「そこはどこ?」と黒い鏡に手を当て尋ねる必要はない。私はこの場所を知っていた。何度も見たことがある。今も首をすこしひねればすぐに同じものを瞳に映すことが出来る。それは部屋の窓外に広がっていた。この部屋の窓外に広がる大海原を憧憬の眼差しで見渡し心奪われて、口ずさむ。
「海は黒いな、行ってみたいな、よそのくに」
 そして夢想。わたしはどこまでも続くように思われる暗闇の中を、足元に纏わりつく海砂を時折蹴飛ばしながら黙々と歩いている。すうっと塩辛い風を肺に吸い込ませて、燦々たる星々を嘲笑うかのように唸りを上げる波の音に耳を澄ませる。
 彼女はおともだちを殺してしまった。
「ほしちゃんなの?」
 とわたしは振り返ろうとした。鏡の中に映る影が彼女なのか確かめたい。しかしドアの隙間から誰かが部屋を覗いているだけの可能性があり、そう思うと振り返れなかった。あの症候群だから。
「チーズを食べたあとに歯型を確認する?」
 と私が訊くと、鏡は勢いづいて話し出す。
「鏡よ鏡よ鏡さん」
 彼女ははっきりとそう言った。
 どこにいるのかという問いに対して彼女は何も答えなかったが、それは答える必要がなかった。
 こぼしてしまった指のない手で船は漕ぎ出せない。
「?固いカモメ」とほしちゃんが言う。
「いまから書くね」とわたしは答えた。
「軽いイルカ、段々と飛んだんだ、恋しい子」
 と、わたしはベッドサイドにあったメモ用紙にことばを連ねて彼女に見せる。新年を知らせる花火に照らされたその文字を見て彼女は笑った。
「浦和、良い、良い」
「あとね、今日もうひとつ思いついたんだよ」
 とわたしは得意げに胸を張る。そして口に咥えたボールペンで必死に書いたメモ用紙をみせた。
「いはい」
 わたしたちは指のない手を叩いて笑い合う。鏡に映し出されたその影は見事にカラフルだった。

 (了)


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