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アレルギーをエンタメに昇華させるにはどうしたらいいのだろう?


イチヤナギです。


2021年観劇録パート2です。
せっかく、ある種「言葉」を生業にしてるので、自分の言葉で率直な気持ちを残していこうという2021です。



さて前回は、莉緒が出演していた泊まれる演劇の感想でした。





今回観劇したのは、ミュージカル「なんのこれしき2020」


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結論からいうと、これあれですよね?
全部オリジナル台本、楽曲てことですよね?


すごいな、まじ。
言わば「和製オリジナルミュージカル」でしょ?


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僕が大学時代在籍してたSeirenつー団体は、基本オリジナルを扱わなくて、版権を買うので、その凄さが沁みて感じます。

まさにクリエイター集団だなと、そんな印象をまず抱きました。



もっと、「和製✖️オリジナルミュージカル」という側面で、対外的にバンバンマーケティングしてったらいいのではないのだろうか?とすら思うほど。


特に曲はまじで
ミュージカルのある種教科書的な展開で構成されつつ、コメディーにもバラードにも振れてて、ほんとすごいなぁと思いました。


音楽に明るい人は羨ましいなあと。



あと、振付がよかったナンバーがものすごく多かった。
これは言ってもいいかすごい迷うとこだけども、多分役者に割としっかりと合わせて作った振りで、それでも最大限を引き出させるような感じがしました。舞台セットも可愛かった。



さて話変わって。


ここらでちょっと麒麟一番搾りでも飲みながら落ち着きたいとこ。


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今回、この作品を見て考えさせられたことを、徒然なるままに日暮らし、ってかんじで、まさに兼好法師。

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いや、世に暮らす皆様の食生活バランス向上を祈願して、健康奉仕、って感じで書いていきます。

何言ってんだオレ。


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兼好法師大先生は、硯に向かいて、心に浮かぶよしなしごとを…以下略


一方、我、健康奉仕はnote.comに向かうのであった。



何言ってんだ、オレ(リプライズ)




際どいトコを芸として昇華させるためには、圧倒的な""""が必要


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人それぞれ感想があって、舞台から感じた思いは自由で、そこに優劣も良し悪しもない。



今回、僕の中で感じたのは、以下で話すような部分。



具体的に書いていく。


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この作品は、

主人公の子がピーナッツのアレルギーで死んじゃうとこから、物語はガッツリ動いていきまして。


彼女のウッカリにより、主人公はアレルギーのピーナッツを摂取してしまい、亡くなるのね。
「アレルギーBOY」と連呼する、愉快サイコーなナンバーもあったり。


が。



僕は、ここのアレルギーを題材にした描写に、少し引っかかる(ネガティブな意味ではない)ものがあった。



ちなみに僕自身にアレルギーは一切ない。
(あ、花粉症はアレルギーか😢ぴえソ)


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自分は、テーマパーク時代、飲食店舗のマネージャーをやっておりまして。


飲食店舗のクルー(アルバイト)が、「接客以上に超重要!必ず守れ!!!」と教えられることって


実は


「アレルギー対応」なんですよね。


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アレルギー対応はマジで厳しくて
基本的に決められた責任者しかできなくて

「この料理って、〇〇入ってますか?」と単純に聞かれた時でも「アレルギーを何かお持ちでしょうか?」と聞かないといけないという、めちゃくちゃ厳格なマニュアルがある。


現に、アレルギーをお持ちの方はものすごく敏感で
なんとか食べれるメニューはないかを必死で探され、なければ低アレルゲンメニューを提供してるお店を探してご案内する。



材料て入ってなくても、コンタミの危険性もあるから、こっちも、命扱う気持ちで対応するわけです。



なおこれはもちろん、世界共通である。
だから、アレルギー対応表はもちろん4ヶ国語対応している。


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ちなみに、ベジタリアンの方も、アレルギーと同じくらい、原材料を気にされます。



そういう世界で育ったので、アレルギー関連に関してはものすごく敏感なんですね、自分。

(この感覚は、テーマパークで働くまで、一切持ってませんでした)



じゃあ、アレルギーってものを扱う作品は、舞台は、芸術は、「不謹慎か」というかというと、

いや、全くそんなことはない。

全くもってそんなことはない。

そういうことが言いたいのでは、ない。



そんなこと言ったら、え、なに、
もしお子様が車の事故に遭われてたとして、事故に遭って死ぬタッチ上杉勝也の描写は不謹慎か、と言われたら、

いやいや、そんなん言ってたらなんも表現できないよ、
って話でしょ。

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苦しくも、かっちゃんが死んじゃうから、たっちゃんと浅倉南の話が輝くんでしょう。



LGBTとか下ネタとか、震災関連の話題とか…そんなテーマを扱うときも、結構同じ感覚に近いと思う。



ただ一つ重要なのが
演劇、舞台って生じゃないですか。


だから、いわゆる危ういとこの描写が
ものっそいリアルに伝わってくるんですよね。



じゃあその危うさを

危うさを忘れるほど、危うさなんかどうでも良くなる程に昇華させるためにはどうしたらいいのだろう?


と考える。



自分としての結論は


①圧倒的な実力(リアル感)
②圧倒的なエンタメ性


この2つなのかなと思ってる。


そしてその①②を増強する、プロテイン的存在が、舞台美術であり小道具、衣装、音響、照明、メイク‥‥もろもろだなぁと。



例えば
「リーガリーブロンド」という作品に、Gay or European という曲があって、

俺はゲイだから女を殺してねぇぜ!的な、超コメディカルナンバーがあるんだけども


本場アメリカンの、リーガリーは、

圧倒的なエンタメ性と、圧倒的な技術で、もう昇華されてるのよね、



「え、ゲイの方への配慮とかは、、?」みたいな不安を抱く余地が一切ない。


エンタメ性がそれを凌駕する感じ。

だからすごく安心して見られる。



ちなみにエンタメ性っていうのは、笑い方向だけでなくて、いわゆるシリアス、バラード展開も同様で
例えば、舞台「春の目覚め」なんかは、すごく難しい題材だから、それこそ①の役者の技術、リアルってとこが問われてくんだと思う。



ただ、「笑い方向に昇華させないといけない方」が、かなり力量が問われるんじゃないかな。


例えば今回の作品では、アレルギーだけでなく、「中絶」という題材を扱っていたけど、
中絶のほうは、その言葉が持つイメージのままを表現する台本・演出だったので、見てても違和感はなかった。


もしこれが、作品として「中絶最高だぜ!」的なエンタメに持っていかないといけないとしたら、これはもう相当難しいでしょう。


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もしかしたら、一般的に・世間的に「アレルギー」は「中絶」ほどパワーワードではないのかもだけど、
「僕」にとっては、同じようにパワーワードだったので、そんなことを考えさせられた次第です。



例えば、今回の作品でピーナッツ摂取してしまう側は、


・超おとぼけキャラとして成立しているか、
・確認するのも気づかないほどの展開が演出されてるか、
・はたまた、自分がそこまでアレルギーの影響があると思って生きてかなったか
・あるいは、摂取する側の幅を、周りのエンタメ性でカバーするのか、


みたいなとこが、「自分にとっては、」必要だったんだなぁと、見終わって、しばらくたって、わかりました。


おわりに


なので、若い出演者・クリエイターの方々で、ホントすごい難しい作品に挑戦してるなぁと感じました。

自分も、仕事頑張らなぁ、という感じです、ほんとに。



やっぱ演劇とビールは生が1番ですね。

ここまで丁寧に読んでくださった方、ありがとうございました。


をはり


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