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トラックにぶつかった。「お金のきれいなもらい方」の大切さを学んだ。

去年の春に田舎で暮らしてたとき。
車の運転中、大型トラックと接触しました。

道路を左折するときに向こうからトラックがやってきて、曲がるポイントでぶつかりました。

(実際の写真)


車体にすり傷がつきました。

60代くらいの運転手さんが降りてやってきて、あわてふためいた様子で「大丈夫ですか?」と一言。

その運転手さんは、
車体にすり傷がついてるのを見ると、トラックの運転席にさっと戻り、自分の財布を持ってきて、中から1万円札を出して僕に差し出してきました。

でも、
そもそもぶつかったのは、僕が左折するときに「かなり膨らんだ (道路の内側に入り込みすぎた) 」のも原因です。100%トラック側の責任というわけじゃありません。

お金をもらうのもなんだか悪いなと思ったので「いや大丈夫ですよ」と返答。とりあえず上記の写真だけ撮って、お金はもらわずそのまま去りました。

後日、知人にその一部始終を話したら、「なんでぶつかったときに痛いフリしなかったの?お金もらえたっしょ」というコメント(笑)

もちろん僕は聖者じゃありません。
1万円を差し出されたときは正直、心が揺れました。

でもそれ以上に、
自分にも非があるのにお金を受けとることに罪悪感がありました。

自分が運転していたトラックを、まちがって他人の車にぶつけてしまったとき、「しまった!相手に何かしらの謝意・誠意を見せなきゃ・・!」と思うもの。

なのでそのとき財布にあった「1万円」という、失うとけっこう痛手なお金を払おうという考えになるのは当然のことだと思います。

でもかりにそのお金を受けとったら、運転手さんにはきっと以下のような不満が残ったんじゃないかなと↓

「この人 (僕のことです) がやたら膨らんで曲がってくるからぶつかったっていうのもあるのに、俺が完全に悪いみたいな感じで1万円も払わされるのって、どうなんだろ・・?」

ぶっちゃけ、僕はお金が好きです。
普通のサラリーマンとして働いてて、年収がそんなに高いわけじゃない。
お金はもっと欲しいし、稼ぎたいし、もらえるお金はもらいたいです。

1万円を差し出されたあのとき、頭のどこかで「あ、ほしい・・!」と言ってる自分がいたのも事実。

でも、もしあのお金をもらっていたら、今ごろ後悔していたと思う。
曲がるときに膨らんだ自分にも非があるにもかかわらず、「こっちが被害者だから」と、人の大切なお金を受けとるのは、道義的に問題がある。
それは「もらう」というより「理不尽に奪う」に近いかもしれない。

自分もスッキリせず、相手もスッキリしない。
そういうお金の受けとり方だけはしたくないし、してはいけない。

あのとき、1万円を受けとらなくてよかったと思う。
「ほしい・・!」という誘惑に流されなくて、よかったと思う。

「相手にたいしてなんの罪悪感もなく、ちゃんと納得のいく『お金のきれいなもらい方』を大事にしていこう」
あらためて、そう勉強させてもらった出来事でした。





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