"SHIROBAKO" TVシリーズ感想~アニメを織りなす、色とりどりの縦糸と横糸~

このタイミングでTVシリーズを完走したので、簡単にその面白さを振り返っていきます。観た人には復習になりそうですし、これからの人には魅力の予告として読んでいただけると思います。深刻なネタバレはしない(婉曲な言い回しにしてある)ので、未見の人も大丈夫なはず。

ほぼ知らないという方にザックリ説明すると、「アニメ会社の新人スタッフを通して、制作の過程やクリエイターたちの生き様を描く」ストーリーといいましょうか。描写のリアルさと、バラエティに富んだキャラクター性が評判、という印象です。

ちなみに観はじめたきっかけですが、数年前から「みんなオススメしてるな~群像お仕事モノ好きだよな~P.A.いいよな~」と気になっていた所に、

これは観るしかなかった。ライブツアー中に解禁されて激震が走った夜から2ヶ月も、早いですねえ……

「順序のある集団作業」としてのアニメ作り

まずはやはりここから。アニメがどうやって作られるか、なんとなくの原理や流れ、役職については知っていても、ゼロからOAまでをディティール込みで説明できる訳ではない、そんな人は僕を含めて多かったと思います。加えて、多くの人がイメージするのはアニメーター、特に原画・動画マンの存在でしょうし。
(そういえば今作、動画マンはあまり触れられなかったような……)

なので、スタッフ間の伝令や折衝を務める「制作進行」であるあおいを主人公に据えて、各職の仕事内容もトラブルも横断的に描いていく、という構成は分かりやすかったと思います。クールごとに劇中作を変えて、1クール目は制作途中から始めてキャラクター・ポジション紹介にフォーカス、2クール目は企画決定から始めて各職についてより広く深い視点で、という描き方もついて行きやすかったですし。

この制作進行視点によって、各セクションの仕事内容は勿論、セクション同士のやり取りに対する理解が大きく深まりました。
「ここで止まるとあの人も困る」「この人が工夫するとあの人が助かる」みたいな、作業の順序のシビアさが鮮明でしたよね。コンテが固まらないと原画が、原画が固まらないと動画が、音響が……などなど。
だからこそ、質も速さも求められる……自分ひとりの責任ではなくなってくる、という構造が明確になって。

「速く仕上げないと後ろに響く」「質が低くても後ろに響く」「失敗のダメージが来るのは自分だけじゃないし、成果の質の責任者になるのも自分ではない」という。1クール目の中盤で描かれていた、絵麻(原画)と瀬川(作画監督)とのやり取りに代表されるような苦しさ。

そして、集団作業ゆえに、人間関係やコミュニケーションの問題が積もってトラブルの起点になってしまうというリアルさ……1クールでの遠藤ショックとかですね。あれは舌禍すぎましたけど。
僕もいま大学で科学研究チームの端くれやっているんですけど、昔はそういう仕事って「ちゃんとした」人がやっているイメージだったんですよ。
実際はというと(不正や事故というクリティカルな問題こそ直接経験はないものの)人に対する恐怖や遠慮だったり、他のタスクとの衝突だったりで、報連相とか計画とかテクニックにボロが出まくる訳で……「これは良くないの分かるけれど、ちょっと」みたいな感覚が分かる身には刺さります。色んな経験してきた人ほど刺さるというべきか、克服してきた人ほど苛立つというべきか。

クリエイターたちの縦糸と横糸

ただ、集団だからこその喜びも存分に描かれていましたよね。物語の起点も(未到の)ゴールも、あおいたち5人でのアニメ作りですし。トラブルに向き合う中で、人としての絆やクリエイター同士のリスペクトが浮かび上がることは多々ありました。
ムサニ内での鼓舞に限らず、別の場所にいる同好会メンバーで励まし合ったり、腰の重い他社スタッフを動かしたり。

特に2クール目の終盤、集団作業で一番怖い事態が起こってから、一緒だからこその喜びが訪れるという展開は最高でした。予定不調和だからこそ起こる嬉しいサプライズ。

同じ時間での交流だけじゃなくて、過去から現在への情熱の継承もあったりして。アニメ作りのきっかけになった作品を楽しそうに語るシーンだったり、ムサニの前身の訪問だったり。
「あの人たちがいたから、いま私たちは創っている」という視点、受け継いだ側からすると明らかなんですけど、継がれた側は当時そんなことは思っていなかったりもして。自分たちの泥臭い戦いも未来につながる、そんな希望の提示にも思えました。

こういった要素が詰まった、終盤でのあおいのスピーチは大好きですし、fhánaが「星をあつめて」に託す心にもつながっていると思います。

「好きを仕事にする」ことの光と陰

数人の例外はありつつも、登場キャラの大半は昔からアニメがやりたくて、今もアニメ制作を続けている、あるいは仕事をもらえるように勤しんでいるじゃないですか。そこで現実とのギャップにぶち当たるのは皆同じとはいえ、やり甲斐を維持できているかは人によって違う訳で。

2クール目の制作進行セクションひとつとっても、好きを維持したまま邁進している安藤がいて、当初のモチベーションの高さの反動から士気の低い平岡がいて、さらには「アニメ大好きではないけど条件がいいので」パターンの佐藤がいて。
特に平岡に関しては(ジェンダーにこじつけた罵倒はいただけないとしても)ファンと作り手の意識の差や業界のハードさを一身に背負っているようなバックグラウンドがあって、身につまされる思いでした。

だからこそ、美沙の葛藤……「待遇はいいけど内容は好きになれない」と「待遇は抜きにしても好きを追いかけたい」との間の選択に、シンプルに「追いかけようよ!」とはなりきれないんですよね。自分の心の支えを仕事にする喜びと、それに裏切られることの痛みと。少なくとも僕は、小説が仕事になってダメになったら耐えられないよなって思ってます(そもそも本格的に修行している訳でもないですし)

けど、SHIROBAKOを作っているのは、葛藤を経て好きを追い続けることを選んだ人たちであり。恐らくは、その葛藤を抱える人に向けて「泥臭いけど、辛いけど、信じるに値する仕事だよ」とエールを送る作品でもあると思います。アニメ業界に限らず、色んな仕事に対して。

これも先述の、あおいスピーチや縦糸の話になるんですが。次にバトンを渡すべき若手を奮起させよう、という意味合いもあると思うんですよね……まあ、最近の業界事情はさらにハードさを増していそうですが、そもそものP.A.も含めて。

「物語」作り故の予定不調和と喜び

ムサニが直面するアクシデントの原因に、アニメ制作の第一歩であり律速段階でもあるシナリオ担当のトラブルが絡んでいることは多かったですが、ここについて視点を変えてみると面白くて。

まずは制作チームの一員としてですけど、シンプルに「ふざけんな!!」ですよね。このシナリオで進めた我々はなんなんだ、その分だけ作業が増えるのはこっちなんだぞ、という。

けどシナリオ担当の「進めている途中で変えたくなる」「自分でも納得のいく落としどころが分からない」という感覚は分かるんですよね。僕も小説書いてますけど、当初とは違う流れになることはしょっちゅうですし。長いものだと、思いついてから1年くらい経ったときに「これおかしいな?」と考え直すこともありますし……だからといって、集団制作でそれやっていいとは思いませんし、2クール目のアレに関しては作家というよりアイツが完全悪なのですが(もっと懲らしめても良かったのでは)

そして視聴者でいうと、キャラの芝居もアクションも背景も気になりますけど、一番注目するのってストーリーなんですよ。話の流れに納得いかないと、他がいくら良くても上手く楽しめないことはありますし。めっちゃ金のかかった映画で「どうしてこのシナリオが通ったの……?」となることも、それなりにありますしね。

……という風に色々考えると、考え直すのも仕方ないというよりは「しっっっかり考えて吟味しまくってから決定稿にしような?」という当たり前の結論になるのですが。これも結局は順序の問題。

とはいえ。今作では、予定通りにいかず意見をぶつけ合う中で、より深く(作中作の)キャラクターの実存性や、作品に託す願いが鮮明になっていました。この子は確かに「そこ」にいるんだという愛情。観る人を楽しませるだけじゃなく、アニメを通して自分たちの願いが誰かの心を震わせられるように、という情熱。
それを語るスタッフたちの言葉も熱いですし、作り手とキャラクターが一緒にいるような演出……会議の場での集団幻覚だったり、デスク上で線画のまま動いたり、そういうのも涙腺にきましたね。ファンアートでも見かける構図ですが、こういうの好きな人は多いでしょう。

そういえば作中作、「えくそだすっ!」も「第三少女飛行隊」も、引力を振り切って別の場所へ、みたいなニュアンスが共通していましたね……劇場版も「空中強襲揚陸艦 SIVA」でしたし。飛び出したり飛び立ったりを、「ここにはない世界」を描くアニメ制作に重ねていたりもする、そんな見方もできそうです。

後、「えくそだすっ!」終盤と2クール目ラストで、重なったらダメやろってシーンまで重なっていたのは笑えましたね……1話で示唆されていたともいうワイスピ感。

アニメ界に捧げるオマージュと、アニメ制作者としての矜持

スタッフ陣にしろ、作中タイトルにしろ、実在する人/作品をモデルにしてのネーミングやデザインが多かったですよね。色んなアニメを観てきた人ほど、スタッフクレジットを観てきた人ほどクスッとできるような作りでした。お借りした分、しっかり作中の活躍に反映させようというシーンもあれば、「風評被害……?」と苦笑してしまうようなシーンもあり。身内つながり(P.A.WORKS関係)ほど名前の捻りが雑になっていたりするのも笑えました。


業界のリアルを落としこみたいという意思や、実際に活躍してきた人へのリスペクトの表われであり、作り手のことを気にかけてくれたファンへのサービスであるようにも思えました。
(具体的なサンプリングについては、他にまとめてる方がいるので調べてみてください、とても追いきれる量ではないので……)
一方でファンへの皮肉、「どうせ声優名で決める人いるでしょ?」「どうせ序盤で退屈だったら切るでしょ?」という目配せもあり。

話は変わりますが。

作中で、制作中に「ここに手をかければもっと良くなるよね」という展開を、そのビフォーアフター込みで描くシーンが多かったんですけど、そこは毎回唸らされて。
というのも「良くなったでしょ」を、自社の商売道具であるアニメで描く訳で。アフターのクオリティが高くないと、キャラの説得力がなくなってしまう。キャラのスキルが作り手のスキルと直結するケースの最たる例ですね、自分で自分のハードル上げてるの。

で、そのハードルを真正面から越えていくから、さらに熱くなる。キャラに理想を謳わせた以上は、自分たちもそこに到達するという矜持が素晴らしかったです。ジャンルは違いますけど、映画「累」で「芝居がうまい人の芝居」を突き詰めまくっていたのにも圧倒されました。

ムサニ作品だけでなく、他社の過去作品についても、質感の異なるアニメーションで「名作」を表現していて。とてつもない力作っぷりでした。

老若男女、総キュートなチーム体制

キャラの魅力が凄まじかったですよね。人数も相当でしたし、それぞれのスキルや人間性へのスポットの当て方も素晴らしかった。

同好会出身の女の子5人が可愛いのは勿論として、年齢も性別もあれだけ多様なチームでそれぞれにチャームポイントがあるのも良いですよね……メタボのおっさんをあんなに応援したくなるのはずるいし、あんな社長の下で働きたいですし。
声のお芝居のテンポや勢いも素晴らしかったですし、ちょっとしたネタっぽい表情や仕草もキレがあって。謎のリフレッシュ体操とか、謎の超人アクションとか、絵麻と久乃木の高度なコミュニケーションとか。
キャラの好みも相当に分かれそうですよね。僕の場合はライターつながりでりーちゃんと、さっぱり感が気持ちいい井口さんが好きです。

人としての役割も、バラバラだからこその強みを(弱みを含めて)表現しているように思いました。時代遅れと思われがちだった杉江や、当初はヘイトを集めがちなタローが、思わぬところで活躍したり。最後までクソだった奴もいるにはいますが、スタッフの多様さに希望を見いだすような作りだったのでは。

終わりに~劇場版で描かれるものとは

ここまで、ダイジェスト的にTV版を振り返ってきましたが。ここからは劇場版の内容についての推測になります。

今のところ、公式サイトのテキストと予告、後は「星をあつめて」の歌詞くらいしか材料がないのですが。見返してみると、キーワードは「約束」と「永遠」になりそうで。

さらに、今のアニメ現場……というよりも京アニさんの件を考えると。
今はここにいない」クリエイターと、「残り続ける」アニメーションをどうつなげるのか、それが一つの焦点になると思います。
勿論、事件の前から進行していた企画でしょうし、それがストーリーの中心になるとは考えにくいですが。「今」を落とし込んできたSHIROBAKOのことなので、少なからずアンサーを用意しているという予感があります。

後は、予告の「今をかけた戦い」というフレーズや、制作企画の不穏さから、アニメ作りに集中していられないような外的要因……フィクションを侵食する現実と向き合う、そんなテーマも読めそうでした。

ただ、それらを抜きにしても、時を経て成長したあおい達の活躍が観られるのは楽しみですし、TVシリーズをリアタイしていた人にとっては数年越しの感慨深い再会になるでしょう。楽しみです。

という訳で、読んでくださりありがとうございました。公開までの数日、どんどんドーナツどーんと頑張っていきましょう!


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