ひとは模倣して成長する生き物である
常々私はひとさまのドーパミンでありたいと思っておるのだが
それをするには、どこかの誰かにもドーパミンになってもらうとすごくいい。
素敵だなあと思う人。
キラキラしてるなぁと思う人。
なんかしらんけどときめきとわくわくをくれる人。
そんな人にはおきらくに夏の虫のように寄っていくといい感じだ。
そりゃときには
見ていてつらくなることもある。
そんな時の自分はさ、
弱っているだけなのさ。
単純に胃腸の調子が悪かったり。
睡眠の質が良くなかったり。
お水や栄養が足りてなかったり。
手応えのない仕事ばかり続いたり。
ひとさまへの目線は自分の健康状態を映してくれる鏡だ。
しっかり休んだりケアしたり、カウンセラーさんに話を聞いてもらったりして、ととのえる。
その間はSNSを開かず、熊になったつもりで冬眠するように暮らす。
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人の心は、割と習慣に左右されるものだと思う。
身も心も健康な時に、ときめきとわくわくを習慣づけるといい。
それには、素敵な人のやることを真似したらいい。
私たちが日本語を話すのはさ、
ママが。パパが。おばーちゃんが。おじーちゃんが。
おねーちゃんが。おにーちゃんが。知らない誰かが。
私たちに、たくさんたくさん日本語を浴びせてくれたから。
お花は綺麗だね、〇〇ちゃんみたいだね
お空が青くて気持ちいいね
朝は気持ちいいね
ねこちゃんが寝ているね、かわいいね
〇〇ちゃんはかわいいね、〇〇ちゃんのおかげでママは元気になるよー
〇〇ちゃんと会うために、ママは生まれてきたんだねー
美味しいかぼちゃだね、〇〇ちゃんはかぼちゃを美味しそうに食べるね、ママかぼちゃ買ってきてよかったー
こんなこと言って育ててもらってもさ、忘れる。
私はおかあちゃんに言われたことを覚えていない。
だけど、小さな子供を見ると、同じことをやっている。
自分が心地よかったことは、自然と真似をしているようだ。
模倣、これを意識的にやるのである。
わるい言い方を楽しむのであればこう言おう。
パクんねん。
日本語だって、ママの真似をしたから話せるようになったのさ。
オリジナリティなんてもんは、人間が生きてりゃ普通に当たり前に出ているもんだ。
アンタが生きてやること、それがオリジナルだ。
そんなわけで、私の悪事をバラしてみる。友人の言葉をパクるなら御開帳である。
Twitterの毎朝毎晩のちょっとしたことだけど、私たちの心を確実にほっとさせてくれるつぶやきと、そのまとめのブログは、関西の年上男性マニアの癒しの星、大西三千男先生。
あたらしいチャレンジの場でも、自分のやってきたことを堂々と、自信を持って発表するという、自分への愛と世界への信頼は同期お弟子、児玉キャロちゃん。
ツイキャスでやってた、コメントくれた人をほめまくる「ほめごろしじごく」は、ツイッターでお友達になったメンエスユーザーで何度も俺を泣かせやがる好い男おぽんちゃんのアイデアを丸パクり。御開帳という素敵な言葉もこの男発。
ブログでの自己開示は私が初めてカウンセリングを受けた時のカウンセラー様、私の原点、鶴園みあ先生。
みなさま!
みなさま!
本当にありがとう!!!
勉強になりました!!!
ほんで、私めっちゃたのしい!!!
おもろー!私もやるー!って気持ち、
心地好いよね。
楽しんだらいい。
ほんで、これには他にも嬉しい効果がある。
むしろこの効果が欲しいからこそ、あえてパクるのかもしれない。
ひとさまが得た果実への、嫉妬や羨望がなくなるのだ。
いや、なくなりはしないか。でもだいぶ減る。
いいところを真似させてもらって、私も人生楽しもう!
ありがとう勉強になるよ!
という気持ちになれるのだ。
今日もええもん見たらパクるんだぜ。
なんかこの曲思い出したから貼っとく。
あっ
お師匠をパクった事例が
ないっ。
ああっ。
気づかなかったことにしてハートを押してねハニー。
いや…でも、そういえばアレをパクりたいとは思ってたんや…あの、お師匠の動画、キモいけどクセになるヤツ…(笑顔)
今日も読んでくれてありがとう。
ずっと罪悪感を抱えて、自己肯定感ひっくい人生を送ってきたんですけれど、いまは応援していただくことの修行をしています。よかったらサポートお願いします。いただいたサポートで土偶や土器の博物館に行きます。