再録記事1

人によってつけられた傷は回復に時間がかかると聞いたことがあります。
まさに自分がそれと格闘しているわけですが、実態として怪我をしているか否かを超えて、残った遺恨がわるさをするのだと感じます。
自分の責任だと思い切ることが出来れば話は早いですが、無理にそう思い込むこともまた嘘があり、なかなか納得はいかないまま時間が過ぎていきます。
どうも背中を殴られた出来事そのものより、その後やり取りのほうが大きく影響しているように感じます。
やっぱり最初から最後まで気持ちの問題なのでしょう。

僕の背中を殴ってしまった相手とは、お互い指導者を目指して平均化訓練の講座に参加していました。
であればこそ、気持ち問題、心の問題を無視するのはよくないのではないかなと思っていたので、この件について有耶無耶にされるのは何をやっているのだろうかという気分にもなっていました。
少なくとも心と身体はひとつだと主張するなら、人の気持ちを踏みつけにするのはそのまま相手を踏みつけにするのと同じなのではないかと思います。
そこで身体を動かせば有耶無耶になるよと言うのは詭弁だと感じています。
実際問題としてその通りではあるけど、やっぱりこれは言い訳として使ってはいけないものだろうと思うのです。

講座に出て同じ話を聞いていて、解釈が分かれるのは面白さでもあるし、意見が分かれた時こそ会話はいちばん楽しくなると僕は思っているのですが、それはお互いに信頼があってこそです。
何より先生の話を言い訳の材料にされるのはひどく悲しいものがありました。

せめて自分の言葉を話してくれないか、そう思いながら隣に座っていましたが、それはあまり良いことではなかったかもしれません。


※本投稿は別の場所に書いた記事を手直ししたものです。

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