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「素頭の良し悪し」は「どこ」で差がつくのか?



他人のことならよく見えるもので、「もったいないなぁ」と思うこと、ありませんか?もちろん、あまり他人を評価しすぎるものもよくないという前提です。


先日、あるクライアントから「こんな話」を伺う機会がありました。こちらのご自宅にいらしてくださる訪問看護師の方々のお話です。その訪問は1人の時もあれば、2人の時もあるそうですが、来られる方は毎日バラバラとのこと。


で、そうやって毎日入れ替わり立ち替わりいらっしゃる看護師さんの仕事を見ていると、どうしても「違い」が見えてくるそうです。


例えば「処置の仕方」も、


・自分のハサミを使い、
・処置ごとにちゃんと自身のケースに出し入れし、
・その動きもスムーズ


な看護師さんもいれば、


・患者の自宅のハサミを使い、
・処置した後にハサミはベッドに放置し、
・手際も悪い


という看護師さんもいらっしゃるよう。


もちろん、後者に悪気はないんでしょうけど、患者のご家族からすれば「刃物を患者の近くに置くことが不安」だそうで、それってストレスになります。


また、「患者への話しかけ方」ひとつとってもそうです。


最低限、必要なやりとりだけを端的に行う方もいれば、よく患者さんに話しかける看護師さんもいるようです。


もちろん、後者の方は「患者さんを元気づけよう」と思って親切心からたくさん話しかけていると思うのですが、ご家族からすると「必要のない話が多すぎて負担になっている」とのことです。


なので、こちらのケースも前者の方が助かるとのこと。
「また来てもらいたいと思われる人」です。


これらのことは、いわば「素頭のよさ」の話です。


状況や求められていることが理解できているか?
自分の頭で考え、適切な行動がとれるか?


ここができる、できないの差は
一体「どこで」生まれるのでしょうか?


ここにはいろんな要因がありますが、ひとつ思うのは


「1から10まですべて自分で完結させようとしているかどうか」


ではないかと思います。


この看護師さんのケースを自分に当てはめると、自分も「後者(=明らかに素頭のよくない行動をとる人)」だったことがあります。


その時を思い出してみると、仕事を「パーツ」で捉え、目の前のこと、与えられたことだけしか行っていなかったように思います。これでは当然、見える範囲が狭すギル。ミスも多いし、関わる人への配慮も行き届くわけがない。これでは信用は全く積み上がりません。


ただ、ある時から「何事も1から10まで自分で完結させるつもりでやろう」と気持ちを切り替えました。その時を境に、見える範囲や配慮できる範囲も増え、仕事のスピードも質もグンと上がっていきました。結果、お客さんからの信用も少しずつ積み上がっていったように思います。


こういうことって、顧客からの信用の面でもすごく大事なことなのですが、いかんせん伝えにくいし気づきにくい。


ただ、冒頭でお伝えした通り、誰しも「他人のことならよく見える」もの。

ならば、

・他人を見て自分で気づく機会を持つ



・他人を見て気づいたことを
 教えてもらう(教える)機会を持つ

かが、当面できることなのかなと思いました。


素頭のよさ、大事と思いますね。

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