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なぜ被害者を責めてしまうのか ハラスメントの相談をしたら二次加害に遭った話

■ハラスメントについて相談

 とある場所でハラスメントに遭いました。どういうハラスメントかと言うと、人によっては「大したことない」と思うぐらいの程度だとは思ったのですが、しかし随分性格の悪いことをしてくるなぁと思ったので、そのコミュニティ内の他の人間に、その人物についてどう思うか見解を尋ねるべく相談してみました。
 
 そうしたら、私が相談した某氏は、なぜか私がその行為をハラスメントだと認識していることを非難してきました。やたらと否定の言葉を繰り出し、私の発言をねじ伏せようとしてきたのです。
 
「ハラスメントとは殴るとか怒鳴るとか、そういうことを言う。○○されたぐらいでハラスメントになったら、何でもハラスメントになってしまう」
「皆仲良くやってるのに、いちいち波風立てるな。」
「ここでハラスメントが起こるはずがない」
「嫌なら出てけばいい」

■声を挙げた被害者が叩かれる

 私は某氏の発言は二次加害だと思いました。被害者が声を挙げると叩かれる例のアレです。
 近年でもジャニーズ事務所の性被害、松本人志をはじめとする吉本芸人の性加害行為などで声を挙げた被害者に対して、SNSなどで激しいバッシングが行われています。
 普通に考えれば悪いことをしたのは加害者なのに、なぜか彼らは被害者を叩いてしまいます。

 一体、なぜ彼らは被害者を叩いてしまうのでしょうか。以下3つの理由を述べます。

①自身も加害者側の人間だから

 その人間も普段から他人に対して、ハラスメント的な行為を行っています。それを「ハラスメント」だと騒ぎ立てられたら、自身も「加害者」に仕立て上げられてしまう。それは溜まったものではないので、声を挙げた被害者の声を塞ごうとします。

②被害者(弱さ)嫌い

 2つ目の理由は「被害者」が嫌いだという理由です。被害者とは、その加害行為を受けてその痛みに耐えられなかった、ある種の「弱さ」を持った人間です。彼らは、普段から「強くあらねばならない」と自身に言い聞かせているので、その「弱さ」を見せられることに耐えられません。「弱さ」を嫌悪しているのです

 きっと、世の中には「強者」と「弱者」がいて、自分は「強者」側の人間であると信じたいのだと思います。なので、目の前に「弱者」が現れると、「自分は違う人間だ」と相手の存在を否定するのです。

③「和を乱してはいけない」という信念

 彼らは「和を乱さない」「波風を立てない」ことを何よりも大事にしています。なので、ハラスメントの訴えがあったときも、「ハラスメントを起こした人」ではなく、「ハラスメントを訴えた人」を非難します。彼らには「ハラスメントを訴えた人」の方が、「和を乱した人」として、問題のある人物と見えるのです。

 また彼らは自分に何かあったときも、普段から言いたい気持ちを抑えてガマンしています。自分がガマンして丸く納めるのが正しいことと信じています。その行為を正当化するために、声を上げた人を「和を乱した人」として非難するのです。

■人権と道徳の違い

 以上、被害者を叩く心理の3つの理由について述べてきました。これらに概して言えるのは、いずれも「人権」を軽視した振る舞いだということです。ハラスメントは人権侵害です。そこから論点をずらすこともまた人権侵害であり、二次加害にあたります。

 「人権」は何よりも優先されなければならない大事な概念です。しかし中には、「人権」という概念をよく知らないという人もいるかもしれません。「人権」と「道徳」が一緒にされていたり、メディアでも「人権」がなにか誤訳されているような光景が、時折見受けられます。

 「人権」とは、よく「人が人として生きるために当たり前に認められる権利」と説明されます。それはすなわち、「他人にその尊厳を侵害されない権利」のことです。「他人からハラスメントを受けない」ことは権利なのです。

 もし被害者が声を挙げているのを見て、「何か落ち度があったのでは?」「そんなことをここで言うのはおかしい」など被害者を責めたくなったら、それはおしなべて認知の歪みによって、もたらされたものです。

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