その引っ越しが成功したかどうかは、いい床屋と歯医者に出会えるか、で決まると思う。


その #引っ越し が成功したかどうかは、いい床屋と歯医者に出会えるか、で決まると思う。

うまい食い物屋やスーパーなどはたいていどこにでもあるし、その店の良し悪しは一回行けばわかる。

本屋やコンビニ、ものを買う各種の店などは、その店の質にかかわらず、どこかの大きい企業が作った「商品」を買いに行くので、仮に感じの悪い店だったとしても、商品本体さえまともに手に入ってしまえば、とりあえず不満はない。

風邪を引いた時には病院にも行くが、ほとんどは薬をもらいに行くようなものなので、よっぽどのことがない限り医師の良し悪しがすぐ自分に影響することはない。

だが、床屋と歯医者はそうもいかない。

床屋に行くのは数カ月に一回だ。だいた年に4~5回しか行かない。

なのに、その良し悪しが判明するのは、だいたい30分というごく短い時間だ。

しかも、手遅れになった後に。

そしてその瞬間から数週間、自分の側が、その「結果」と向き合わないといけない。


まず床屋は会話がうまいことが必須だ。

無口すぎても、会話が合わなくてもだめだ。相撲の話をする年配の床屋はだめだ。男であれば野球の話は通じて当たり前だと思っているおっさんもだめだ。

ヤンキー上がりでスキあらば矢沢永吉の話を始めようとするのもだめだ。

さっき初めて会ったばかりなのに、いきなり仕事のことを訊いてくるのもうっとおしい。

理想を言えば、こちらが話をしたいのか、したくないのかをさぐるために、天気や近所のことをサラッと話題にし、その受け答えで、こちらの望んでいるペースや温度を察し、会話の「受け」に徹してくれること。それが望ましい。

店内にかかっているラジオや有線のBGMも、できれば店内の人数や客層に合わせて「変えましょうか?」と訊いてれると理想的だ。AMでも面白ければいいが、野球中継はだめだ。昭和で止まっている気分になり空気が淀んでくる。FMはいまや女子を喜ばせるキレイ事のトーク番組だらけでイライラする。

そもそもAMもFMも、CMがいまや不景気を象徴したような安っぽいものやサラ金の多重債務者を相手にしたようなものばかりが流れ、聴いていて少しもリラックスできない。

それならNHKでいい。いっそ放送大学だっていいくらいだ。

有線も、クラシックや歌謡曲はだめだ。洋楽やブラックミュージックも「西洋かぶれの昭和生まれ」のようでいけない。ボーカルのないトリオかカルテットくらいの古いジャズか、理想を言えばテクノとかのクラブトラックやDJ MIXがいいくらいなのだが、そんな選択はできたためしがない。

とにかくボーカルが入っているものはだめだ。

よっぽどいいものがなければ、もう落語や民謡でもいい。

そして、散髪が終わった後、その床屋に入ったことの審判が下される。

「え、こんなんなっちゃったの?」と鏡の中の自分に驚きながら、これまたその結果にそぐわない驚きの値段を言われることもある。

技術やセンスの採点をするのはこちらだし、評価が下されるのは床屋の方なのに、その落ち度や怠慢を、どういうわけかこちらが受け止めて過ごさないといけないのだ。この点で床屋というものは商売として決定的に矛盾を孕んでいる。

なんか「お前はこの程度だ」と宣告されているような気分にすらなる。

そしてその挙句、あろうことかこちらが金を支払わなければならないのだ。

合わない床屋に入ると、とにかく損をした気分になる。

引っ越しは、そういう「合う床屋」探しを強いられる。


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歯医者もそうだ。

歯医者も、床屋と同様、「相手の技術の落ち度や怠慢をこちらが引き受ける」種類の、決定的に不条理なサービスだ。

まあ歯医者は医療行為だし、はじめに虫歯を作ったのはこちらなので、こちらに落ち度がなかったか、と言われたらいささか忸怩たる思いはあるが、とにかく歯医者もまた「入ってみて後悔する」ことが多い。

このダメージはともすると床屋より重い。床屋のダメージは髪が伸びるのを待てば回復するが、歯の治療は取り返しがつかない。

まず、未だに、この21世紀にもなって麻酔を使わない歯医者もいる。

思い出したくもないし、またそれを描写するのも、読み手書き手双方に得はないので割愛するが、やけに空いてて、歯科医は年配者で、歯科衛生士がいないか1人くらいしかいなかったり、設備の妙に古い歯医者を見かけたら、少し疑ったほうがいい。

もちろん今やほとんどの歯医者が麻酔を使うが、そんな中にも潜んでいるだめな歯医者の怖いところは、その技術の怠慢と落ち度が発覚するのが、通院の後の夜だったり、歯医者からとても遠い場所であったりするところだ。

真夜中、ふと飲み物を飲んだ時に詰め物が取れ、朝まで激痛に悩まされたり、仕事中に差し歯が取れ、突如不自然なマスクをして業務をするはめになったりする。

個人的な経験で言うと、差し歯にしていた歯に、いい加減な処置をされ、インプラントを入れる羽目になったことがある。

歯医者を替え、次の歯医者で、ちょっとした状態のいい中古車が買える金額の出費になった。

そのダメな歯医者も「やけに患者が少なく簡単に予約が取れ」、「駐車場がいつもガラガラ」で、歯科医が一人で、歯科衛生士は一人しかいなかった。

子供を喜ばせるためのぬいぐるみやフィギュアが並んでいるのに、子供の患者は一人も来ていなかった。

新しい歯医者に行き、その歯医者の良し悪しがわかるのは、とにかく時間や金がかかったり、多大なリスクを伴う。

引っ越しは、そういう「合う歯医者」探しを強いられる。


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その #引っ越し が成功したかどうかは、いい床屋と歯医者に出会えるか、で決まると思う。

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