『金持ち父さん』ロバート・キヨサキはバックミンスター・フラーからどんな影響を受けたのか?
■「レバレッジ」をバックミンスター・フラーまでさかのぼって考える
たぶん筑摩書房から出ている本のなかでもいちばん売れてるシリーズの部類に入る、ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』シリーズってありますよね。
不動産ビジネス万歳的なその主張の当否はここではおいておくとして、このオッサンの文化的なバックボーンがまあまあおもしろいので少し紹介しますね。
『金持ち父さん』ではやたらと「レバレッジ」という言葉が登場します。
レバレッジとは要するに「てこ」ですな。
ファイナンス理論的な意味を解説するのはめんどうくさいのでググってほしいのですが、ビジネス書界隈では金融関係での用法を拡大解釈して(たぶん)「より少ない労力でより多くの成果をもたらす技術」全般を指す用語としてつかわれています。
『レバレッジ・リーディング』とか。バランスシートとか資本コストの話も出てこないのにレバレッジって意味わからんですわ、とか言うひとは読まなくていいですよ。FXやってるひとは……それはそれであまりお友達になりたくないですね僕は。
それはさておき。
この種の言葉に対するいわゆる「文化系」の典型的な反応はこう。
たとえば評論家の仲俣暁生はむかーし自身のブログで「「読書」という宗教~レバレッジ、ライフハック、マインドマップ」と題したエントリをアップしていた(むかしむかしすぎるのでURLは貼りません)、
そこには「このところ売れている『レバレッジ』とか『ライフハック』とか『マインドマップ』といった名の付く一連のビジネス書は、アメリカ由来の一種のカルト宗教としての『知的生産術』の現代版布教書」と書かれていたわけです。
引用した記事は2000年代半ばのものなので、それから10年くらい経ったらほとんど全部死語ですねありがとうございました。
しかしリーマンショックがあってオワコンになったかと思いきやキヨサキ先生の本はいまだにちょろちょろ売れてるらしいですよ(筑摩の人から聞いた)。
じゃあまだ振り返ってみてもいいかなと思うわけです。
*
改めて軽く紹介するとロバート・キヨサキ『金持ち父さん貧乏父さん』シリーズ本では、ビッグビジネスを手がける経営者と公務員のふたりの父さんをもった少年時代のキヨサキが主人公。
ふたりのパパの思考のちがいが収入のちがいを(あるいは収入の差異が思考の差異を)生んでいることに気づき、経営者や投資家として成功するためにどんな考えをすべきなのかを説いていく。
「別にカネなんかなくてもいい」という類のよくある反論に対して、キヨサキはこう応えている。
「カネがあってもなくても人間は苦悩するのだから、あるにこしたことはない(少なくともカネで悩むことはなくなる)」。そしてたとえば「貧しい人たちを助けたいのであれば、やはりカネがあるに越したことはない」と、アメリカでもっとも富裕な人物にして世界規模の慈善事業家でもあるビル・ゲイツやウォーレン・バフェットを例に挙げて訴える。
そりゃカネはある程度以上はあるに越したことはないと思いますよ。
ビートルズもザッパもラ・デュッセルドルフもマネーマネー歌ってますからね、はい。
ちなみにキヨサキは80年代にMTVブームに乗ってアーティスト・グッズ(おもにサイフ)の制作、販売を手がけて成功し、ピンク・フロイドのマネージャーから提携を持ちかけられたような人物でもある。
今の日本で言うと誰ですかね。ブシロードの木谷社長みたいな感じですか。違うか。
で、そのキヨサキは、さっき言っていた「いかに少ない労力でより大きな富を得るのか」という「レバレッジ」について語るのですが――
私の師の一人、R・バックミンスター・フラー博士は、「短命化」という言葉をよく使った。私は、博士が「より少ないものでより多くをする能力」との関連で、この言葉を使っているのだと解釈した。この能力は、もっと一般的な言葉を使えば「てこの作用(ルビ:レバレッジ)」、つまりほんの少しの力で多くを成し遂げる能力だ。フラー博士は、人間はより少ない力を使って、より多くの富を供給する能力があると言っていた。(『金持ち父さんの投資入門ガイド 上』257p)
私の人生に大きな影響を与えたバックミンスター・フラー博士はよくこう言っていた。「より多くの人の役に立つようにすれば、人はそれだけ効率的になる」(『金持ち父さんの起業する前に読む本』、249p)
そう、キヨサキはジオデシック・ドームやダイマクション・カーといった発明によって、『宇宙船地球号』という考えの提唱によって知らない者はいない、あのキ●ガイ、フラーから影響をうけているのだ。
なんか本を読んでると晩年のフラーから直接教えをうけたっぽい感じなんだけど、「盛ってる」のかガチなのかはわかりません。
フラーって今ではあんまりかえりみられませんが、ある時代まではビジネス界でもサブカル(というかカウンターカルチャー)方面でも重要人物であったわけです。
たとえば日本人が大好きなピーター・ドラッカーは自伝『傍観者の時代』のなかで、フラーとマーシャル・マクルーハンという六〇年代アメリカの文化的ヒーローとの交流をほとんど特権的なものとして描いています。フラー大好きっぷりが伝わってくる。
たとえば北山耕平から『ウェブ進化論』の梅田望夫に至るまで、ブライアン・イーノからグーグルの創業者までがリスペクトする編集者/アーティストのスチュアート・ブランド(ジョブズが例のスピーチで引用した、と言ったほうが早いか)による伝説の雑誌『ホール・アース・カタログ』創刊号の巻頭に、フラーの言葉を置いていた。
フラーからブランドへ継承された「最小限の最大効率」(=情報をうまく使ってラクして生きよう)という思考がヒッピーに、ハッカーやシリコンバレーの起業家に、『WIRED』につながっていくことは文化系の人間にとっては常識(ブランドは一九八四年に第一回ハッカー会議を開いた人物でもある)。
ちなみに仲俣氏が毛嫌いしていた「ライフハック」を提唱したのは、あの電子フロンティア財団のダニー・オブライエンだったりするので、同根批判っぽかったりするのですが、それは余談。
そんなわけで書店で見かける紫色の本きめえ(※キヨサキ本のこと)とか思っている皆様に置かれましては、あそこの思想にはフラーマインドが何%か入っているんだぞ、と思って生暖かい気持ちになっていただければ幸いです。
ある種のアメリカ思想史の紹介でした。
サポートいただいたお金は次の調査・取材・執筆のために使わせていただきます。