荻原規子著作解題(~2013年)
※ネタバレには配慮していません。未読の方はご注意ください。
■『空色勾玉』(一九八八年福武書店→二〇一〇年徳間文庫)
荻原規子はデビュー以前、早稲田大学の児童文学研究サークルに在籍していたころ、スサノオノミコトを使った、原稿用紙八〇枚の物語を書いた。「すごく苦労した覚えがあります。どうしても短くできなくて(笑)」「今から考えると、あれは『空色勾玉』の基礎みたいなものでしたね」(『MOE』二〇〇八年五月号)。
そののちサークルにいた友人が福武書店(現・ベネッセコーポレーション)に入社し、新レーベルを立ちあげるにあたり、「新人をさがしているから、何か書いてみたら」と声をかけた。荻原は地方公務員として働きながら、筆をとることにする。
はじめに渡した作品は、のちにシリーズとして刊行することになる『西の善き魔女』の、プロトタイプのようなものだった。しかし――それについては「うちは出さない」と言われ、荻原は高校三年のときから書きたいと思っていた日本神話をつかったファンタジーを書いた。通勤中、電車の中から八王子にある片倉の丘を見ているときに「日本を舞台にしたファンタジーを書こう」と思いついたからだ。『延喜式』と『古事記』で祝詞の祓えの内容がちがっていて、黄泉の女神様の側の神様のことが、『古事記』のどこにも書いてなかったと気付いたことが発想の基になった。
物語の半分くらいまで書いた段階で、原稿用紙で三〇〇枚を超えた。これ以上の長さになったら、単行本として出してくれるところはないだろうなと思いながら、いちど編集者に見せてみた。「おもしろいから、ぜんぶ書きなよ」。こうして、新人ながら破格の風体の長編ファンタジー『空色勾玉』が、世に出ることとなる。
闇の氏族にうまれるも、そのことをこころよく思っていない狭也。彼女が輝の氏族の月代王に見初められて趣くと、闇の氏族であることをいやというほど思い知らされる。狭也のお供の鳥彦が、輝の氏族がもつ大蛇の剣を盗もうとしてつかまり、狭也は鳥彦を助け出して抜け出そうと試みるうち、牢で稚羽矢という女性の格好をした男の子と出会う。なんにでもなれるという稚羽矢の術を使って鳥彦を助け出すと、大蛇の剣の力が暴走し、輝の氏族ながら狭也に惹かれる稚羽矢は、狭也と鳥彦とともに闇の氏族のもとへゆく……。
一九八八年当時、日本神話を題材にしたファンタジーは、めずらしかった。
「『古事記』をアレンジしたつもりではないところから書き始めて、本気でこれは『古事記』ではないと思って書いていたんだけど、結果的には似てしまうんですね」(『〈勾玉〉の世界』)。
二〇一〇年に文庫化してなお、異彩をはなちつづけている。
第二二回日本児童文学者協会新人賞受賞作。
■『白鳥異伝』(福武書店・一九九一年→徳間文庫・二〇一〇年)
学生時代にレポート用紙にめいっぱい書きつづった「西の善き魔女」というタイトルの物語が、『白鳥異伝』にちかいものだった。「運命的に剣を持たされて困る男の子が出てくるお話。西洋じたてだから、女の子の持っているアイテムは魔法書で。でも女の子のお父さんが天文学者で、男の子のほうはその弟子という設定は、今の『西の~』と同じですね」(「MOE」二〇〇八年五月号)。
小学生のころ、古事記を読んでまず好きになったのはヤマトタケルだった。誰もが自分のヒーローにしたいと思うような魅力をもった素材――『空色勾玉』の発表のあと、荻原規子は、もう一作なにかつくるとしたらヤマトタケルをやってみたいと思っていた。しかし、古事記のヤマトタケルは、近代人の目からみれば人物造形が破綻している。だまし討ちばかりで、なぜ英雄と言えるのかわからない。といって、もっともらしく理屈をつけてきれいごとにするとつまらない。
そんなとき、常陸国風土記にヤマトタケルが出てくることに思い至った。大学3年のときにとった上代文学ゼミで風土記を読んでいたことが、ヒントになった。
いかに「ヤマトタケルじゃないヤマトタケル」として書くか、にとりくんだ作品である。
『白鳥異伝』ははじめ『空色勾玉』とはつながりも何もない状態で考えていたものながら、結果として勾玉を集める話になり、つながりがうまれた。遠子を、オトタチバナヒメをベースに考えているうち「そうか、闇の一族なんだ」と思いつき、そこから当たり前のようにつながってしまった。
遠子と双子のように育った小倶那は、大蛇の剣の主となり、勾玉を守る遠子の里を滅ぼす。さらには大碓の皇子の影として振る舞うはずが、大碓を殺してその地位に就く。遠子は小倶那を追い、剣を鎮めさせるために翆(みどり)・生(き)・暗(くろ)・顕(しろ)の四つの勾玉を集め、剣から切り離させようとする……。剣と勾玉をめぐる、日本神話ファンタジー。
なお、『白鳥異伝』というタイトルは、民俗学者・谷川健一『白鳥伝説』を意識したものである。
■『これは王国のかぎ』(理論社・一九九三年→中公文庫二〇〇七年)
お芝居のような、書き割りの世界が描きたかった。
「ジンになってみたい、自由に空を飛んでみたい」そういうふうに開放される場所として、ファンタジーがあるような気がしていた。
交響詩『シェエラザード』の曲想から思いついたお話を大学時代に書いていた。それをさらに発展させたのが『これは王国のかぎ』である。
上田ひろみが、失恋してむかえた最低最悪の誕生日。いちばんの親友に、すきな男の子をとられた。
やめたい。
あたしはあたしでいることを、やめたい。
泣きつかれてねむりにつき、ふと目覚めれば、そこはチグリスの河口。あたしは不思議な力を持つ魔神族として、見知らぬターバンの青年と旅することになり、荒れくるう大海原や、灼熱の砂漠をまたにかける。
いまここの自分が、おかれている環境がどうしてもいやで、異世界へとエスケープし、たくさんの経験を得た旅のはてに、戻ってくる。そして「もう大丈夫だ、とあたしは思った」。
アラビアンナイトの世界に飛び込んだ中学生の女の子の、恋と冒険の物語。
古来より語りつがれた往きて還りし物語の、荻原版。
「あたし」にとっての往還の物語であるだけではない。彼女が異世界で出逢う追放された王子が、旅のすえに帰還し、王として戴冠する物語という意味では、それまでの荻原作品とおなじ構造をしているともいえる。
そしてしかし本作は、ふしぎなメタフィクション――メタファンタジーでもある。
じつは語り手シェエラザードによって語られる存在であったあたしは、けれど物語は語り手のおもいどおりにはならず、あたしは語り手が用意した枠組みをとびだしていく。
「ファンタジーは意外とお約束が多いものですから、それを壊していかないと自分の書きたいものにならないんですよね」(「ダ・ヴィンチ」二〇〇八年八月号)
シェエラザードの手のひらから飛翔するようなふるまいを、旅をつづけることによって、あたしこと上田ひろみは、もとの世界でいきるちからを手に入れる。
たんなる現実逃避ではなく、この現実を照射するもの、けれど作者のメッセージに還元できてしまうようなお説教めいたものではなくて、世界をまるごと体感させてくれるもの。それが荻原規子のファンタジー観だが、そのことを知ったうえで本作のつくりをみると、とてもおもむきぶかい。
第四一回産経児童出版文化賞受賞作。
■『薄紅天女』(徳間書店・一九九六年→徳間文庫・二〇一〇年)
『白鳥異伝』で「明の勾玉が見つからなかった」という一点が、頭の中にあった。
だから『薄紅天女』でははじめから、明の勾玉のことを書かなくては、と考えていた。
『更級日記』に出てくる竹芝伝説が書きたいと思っていたら――いつの間にか明の勾玉の話とくっついていた。
東の板東の地で、阿高と同い年の叔父・藤太は双子のように一七まで育つ。
巫女の千種に想いを告げる藤太。強引ながらも、あらがえないと思う千種。
阿高にはましろという女が憑いていて、神おろしをすると現れる。阿高の母にして娘、巫女姫なのだ、と。ましろがあらわれているあいだのことを、阿高は知らない。そのことをかくしていた藤太がはじめて告げると、蝦夷たちが来て阿高に言う。
あなたはわたしたちの巫女・火の女神チキサニのうまれかわりだ、と。
母の面影に惹かれて蝦夷の地へ去った阿高を、藤太たちは追う。だが再会した阿高は、豹変したけものの目をしていた……。
双子のように育つ主人公たちと、その知られざる出生の秘密――"あなたは○○ではなく××の民ですよ"。荻原規子が、くりかえしつかうモチーフだ。
「くり返しを芸がないと言う人もいるけれど、単純な娯楽作品ってわりとパターンがあるものでしょ? 昔話なんかまさにそうで、読者が安心感と期待感を持って読めるんだよね」(『MOE』〇二年一月号)。たいせつなのは、その都度の作品にえがかれる、いきいきとした細部なのだ。
『薄紅天女』は、ほんとうは男の子の主人公・阿高の視点で全部通すつもりだったが、荻原が「じぶんは女の子の視点でしか書けない」と思い悩んだすえにまんなかで分け、半分からは女の子の苑上視点になる。
西の長岡の都ではもののけが跋扈し、皇太子は病んでいた。
「東から勾玉をもつ天女が来て、滅びゆく都を救ってくれる」
病んだ兄の夢語りに胸をいためる一五歳の皇女苑上が、東から来た阿高たちと遭遇する。
神代から伝わる輝と闇の力の最後の出会い。
勾玉三部作・完結編。
第二七回赤い鳥文学賞受賞作。
■『西の善き魔女』(C★NOVELSファンタジア・九七年→中公文庫・二〇〇四年)
『西の善き魔女Ⅰ セラフィールドの少女』
『西の善き魔女』の原型は、早稲田大学在学中に児童文学のサークルの"裏の活動"として書かれていたものである。表の活動は、まじめな研究や議論だった。この、秘められた活動ゆえに楽しいという感覚は、Ⅱ巻によく生きている。
日本神話をあつかった勾玉シリーズと並べて書くにはためらいがあったところ、C★NOVELSファンタジアで書いてみないかという依頼を受けたことから、本作はうまれた。
とはいえ学生時代に書いていたものとおなじなのは、架空の王国が舞台で、主人公の女の子が王女の従姉妹、天文台が登場、博士の助手がルーンという名前であることくらいである。
辺境の地・セラフィールドに住まう一五歳の少女フィリエルが舞踏会の日に渡された、亡き母の首飾り。その青い宝石をみたロウランド家の青年ユーシスは「どこでお会いしましたっけ」とやさしく少女に問う。それは、なくなっていたはずの王女の首飾り。どうしてきみがもっているのか……。そしてフィリエルは、女王の後継者争いに放りこまれてゆく。
自分の出生の謎に戸惑いながら、天文の研究者にして父であるディー博士が待つ荒野の天文台に戻った彼女を、衝撃がおそう。父は手紙を置いて消え、育ててくれたホーリーおじさんは殺され、おさななじみのルーンがさらわれる。ホーリーおじさんが天文台の塔にもちこんでいた蛇マークの書物が意味するものは、ヘルメス・トリスメギストス。事件に関わっているのは、女王はその名を聞いただけで憤慨するという秘密結社ヘルメス党。ディー博士やルーンは異端の思想、忌まわしい教義を探求していたのだ……。ルーンをまもるため、フィリエルはユーシスの義妹である女王候補生アデイルに協力することを決める。
なお、荻原が書いたフィオナ・マクラウド『かなしき女王』ちくま文庫版解説によれば、マクラウドの「ウスナの家」に出てくる、国の滅びの原因になるデヤドラ(ディアドラ)の壮絶な末路が荻原の記憶に残るものだったことが遠因で、『西魔女』に出てくるチュバイアット家の女王候補レアンドラの命名は、ディアドラを参考にしているという。ケルトの物語の影響は、『空色勾玉』のみならず、『西の善き魔女』にもあったのだ。』
また意外な影響関係といえば、フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』に登場するベネ・ゲセリットの魔女が本作に流れこんでいると思う、とのちに荻原は語っている。
■『西の善き魔女Ⅱ 秘密の花園』(C★NOVELSファンタジア・九七年→中公文庫・二〇〇四年)
幼なじみのルーンを守るため、フィリエルは女王候補の伯爵令嬢アデイルに力を貸す事を約束する。貴族の娘にふさわしい教養を身につけるべく送り込まれた全寮制の女子修道院付属学校は、厳粛できよらかな見た目と裏腹に、乙女たちの陰謀が渦巻いていた。フィリエルは初日から、生徒会の手荒い歓迎を受けることになる。「この人って、本当にばかね。たてまえはたてまえだということも理解していないなんて。まったくもって、トーラスの門をくぐる資格も値打ちもない女の子だわ」
――だが、むしろこの巻で強烈な印象をのこすのは、女装して潜入してきたルーン。それから、アデイルが義兄とルーンの関係を妄想する小説を書き、学園内でスター作家"エヴァンジェリン"となっており、女の子たちがわーきゃーするさまである。荻原作品の学園ものではかならず登場する「生徒会」が活躍(?)するのも、本作の読みどころだろう。
女装をする男性のすがたは日本神話にえがかれているから、これまでは「神話にならった」といえた女装男子は、ここにきてほとんど「定番」(著者の趣味?)あつかいをされるにいたる。
荻原は三浦しをんとの対談で「BL好きと『波長は同じところにあるんだと思う』」と語っているほか、「日本児童文学」九五年六月号に寄せた「読む女の子たち」というエッセイのなかで、「はっきりいって、コミケの同人誌サークル活動は、今のわたしの憧れでもある。もう少し年齢が近かったら、ぜったいに加わっているはずだった」と書いている。そしてじぶんの作品は「そういった女の子のために書いている」と。「ただ『大好き』であることの『幸せ』がある。そのパワーが大事なのだと思う。そのパワーにふれるときだけ、わたしも幸せになれる」と。
そういった資質が華開いた一冊だといえる。
一巻のシリアスさから一転して意外な展開をみせるという、シリーズものらしいおもしろみがいとおしい。
■『西の善き魔女Ⅲ 薔薇の名前』(C★NOVELSファンタジア・九八年→中公文庫・二〇〇五年)
アデイルの女王候補としての悩みは、フィリエルにはわからない。けれども幼なじみルーンと自分の身を守るため、フィリエルは女王候補アデイルとともに王宮ハイラグリオンへ上がる。光り輝く宮殿に渦巻く、派閥のかけひき、冷酷なはかりごと。「あなたを必ずわたしのものにする」と言ってフィリエルに迫る、リイズ公爵。それを救ったユーシスは「婚約しようか」と彼女に言う。ルーンにはレアンドラが接近し、誘惑する……。フィリエルは婚約の件をルーンに話し、衝突してしまう。けれどユーシスと結ばれることの代償は、ルーンと二度と会うことを許されない、というものだった。
意を決し、想いを告げた少女に背を向けて、ルーンは闇へと姿を消す。
「龍が世界の鍵を握る」という、この世界の核心がほのめかされる重要な巻である。
タイトルの『薔薇の名前』はウンベルコ・エーコからだが、本作でみられる「光と影」の話は、荻原がこのむユング心理学的――あるいはル・グィンの『ゲド戦記』的でもある。
■『西の善き魔女Ⅳ 世界のかなたの森』(C★NOVELSファンタジア・九八年→中公文庫・二〇〇五年)
リイズ公爵を殺したのがルーンなのかどうか、そんなものはフィリエルにとっては些末なことだった。龍の被害に悩む隣国の要請をうけ、伝統ある龍退治の騎士――ユーシスがグラールをたつ。あかがね色の髪の乙女フィリエルは騎士を守ろうと心に誓い、ひそかにあとを追う。しかし胸の奥には、暗殺の下手人とされ消えた幼なじみルーンへの想いが秘められていた。
女王家が受け継ぐ女王試金石は全部で三つ存在し、ユニコーンにそれを見分ける力がある。
フィリエルは王女から、そのことを聞かされる。世界のかぎを握るのは、ユニコーンを動かせる人だと。「アデイルでも、レアンドラでも……最初にユニコーンを見たほうに、わたくしはこの腕輪を遺すつもりでした」「まさかあなたが現れて、別の女王試金石をたずさえてくるとは」。
「壁」を越え、まるで死後の世界に来たような気分になる母国のはるかに南の土地で、竜騎士団とフィリエルは出逢う。吟遊詩人とフィリエルが行動をともにする夢のような町からは、どこかパトリシア・マキリップ『妖女サイベルの呼び声』にちかしい匂いがする。
荻原規子は、池上永一『バガージマヌパナス』の文庫版解説のなかで、ファンタジーは北方のものだと思っていた、と明かしている。北欧のひとたちは、さむいから内省的になるし、幻想的にもなる。語りもおもしろいほうがいい――それがファンタジーなのだと思いこんでいた、と。けれど沖縄を舞台にした池上永一の作品を読んで、南の国とファンタジーというくみあわせも魅力的に描きうるということを知った。
本作はまさに北欧ふうの異世界ファンタジーではなく、南方冒険編である。
はじめてとおい外国へと踏みいれたときの、少女の緊張とおどろきにあふれている。
再会したルーンは言う。「いっしょに世界の謎を解きに行こう」
そうしてフィリエルは、ヘルメス党に入る。
■『西の善き魔女Ⅴ 銀の鳥 プラチナの鳥』(C★NOVELSファンタジア・二〇〇〇年→中公文庫二〇〇五年)
ノベルス版では『外伝2』として刊行された一冊である。
『Ⅳ』がフィリエルによる南方冒険編ならば、『Ⅴ』は時を同じくしたアデイルによる東方冒険編。
「西の善き魔女の名において、ブリギオンの侵攻を止めた者をこの国の女王に」
そんな女王候補の課題を受けた十六歳のアデイル・ロウランド。「戦争は闘うためのものばかりでなく、文化経済の活性化のためにも動き出すものだ」と持論を展開するレアンドラと、ひとごろしの道具がどれほど技術的に進んでも、戦争に夢などもたせてはならないと信じるアデイル。東の帝国ブリギオンのねらいを探るため、文芸部をしきる敏腕編集者でもある親友ヴィンセントとともに身分をいつわり隣国トルバートに向かう。
侍女に変装し、砂漠のむこう、オアシスの街へ。
異国の王宮で異教徒の巷で、アデイルを待ち受ける危険な罠。女王の位をねらい、ゆえにアデイルの命をねらう女。そこで目にしたルーンらしき人影。
『これは王国のかぎ』同様に、蟻地獄のようにひとびとをひきこむ陰謀うずまく砂漠の物語である。
■『西の善き魔女Ⅵ 闇の左手』(C★NOVELSファンタジア・一九九九年→中公文庫・二〇〇五年)
フィリエルが会ったヘルメス党のリーダー・バーンジョーンズ博士は、意外な人柄の人物だった。
ヘルメス党ですら「急くな」と言う、ディー博士があばこうとした「世界の果ての壁」の謎。ルーンとフィリエルはそれを追う。
ユニコーンをかり、竜退治に趣くユーシス。
竜を見てフィリエルは思う。竜は、不倶戴天の敵なんかじゃない。善でもなければ悪でもない。ただ生命の営みをしているだけで、それを人間が勝手におそれているだけだ、と。
彼らがたどり着いた南の地に、東の帝国の侵略軍があらわれる。グラールの危機に、フィリエルは女王と対峙するため聖神殿へ乗り込む。賢者とは? 吟遊詩人とは? わらべ歌や童話に隠された「世界」の秘密がついに明かされる。
ここは竜の星。壁の向こうにいる竜から人間を守るのではなく、人間から竜を守るために壁がある。
けれどSFではないから(つまり、山田正紀の『宝石泥棒』のような作品とは、根本的にことなるから)、世界の秘密のセンス・オブ・ワンダーがこの作品の魅力の本質ではない。
だれが女王になるか。シリーズをひっぱってきたこの問題にけりをつけるはずの女王陛下は、フィリエル、アデイル、レアンドラをあつめて――ある意味ではなげやりな、おどろくべき結論を放る。これもまた、この作品の魅力をいろどる大きな部分を占めるものではなかったのだ。
フィリエルとルーンが見つめ合い、口づけをかわし、あゆむ。その結末にいたるまでの過程が、すべてだ。
荻原規子は「物語って、ある時点まではどんどん広がっていくんだけど、ある時点を超えると収束に向かう力が働いて、この広がる力と収束する力というのは異なる力なんですよね」(『〈勾玉〉の世界』)と話している。『西の善き魔女』を収束する力はC★NOVELSでは本編完結編とされていたはずの本作でもまだまだおさまらず、シリーズをほんとうに閉じることとなる「外伝3」まで及ぶことになった。
■『西の善き魔女Ⅶ 金の糸紡げば』(C★NOVELSファンタジア・二〇〇〇年→中公文庫二〇〇五年)
C★NOVELS版「外伝1」を改題して収録。お話としては『西の善き魔女Ⅰ』の前日譚である。
もうすぐ八歳になる少女フィリエルの家族は、天文台に住む父親のディー博士と、おとなりのホーリー夫妻。
住民四人のセラフィールドに、村からおかしな子どもがやってくる。黒い髪をした痩せた男の子は、自分の殻にとじこもってフィボナッチ数列をとなえつづける。この、ことばもしゃべらず文字も読めず、けれども暗算がとくいな少年が、ルーンだった。
数学ではルーンに追いつけず、博士にふりむいてもらえないとあせるフィリエル。そんなふうにとまどいながらも、ふたりはこころをかよわせていく。
フィリエルは、さいごに祈る。
"フィリエルは、アルゴリストにはなれない。特異な才能は何もない。父親に自慢してもらいたいばかりに、わらを金に紡ぐことはできないのだ。
けれども、それでも、フィリエルにできる何かがあるはずだった"
そしてルーンが最高の天文学者になれますように、とも願う。
とくべつな能力はないが、とくべつな運命を背負わされた少女。それゆえにとまどうことになることを、彼女はまだ知らない。
■『西の善き魔女Ⅷ 真昼の星迷走』(中央公論新社・単行本『西の善き魔女4 星の詩の巻』二〇〇二年→中公文庫・二〇〇五年)
シリーズを二冊ずつC★NOVELSからコンパイルし単行本化していった最後の巻に、書き下ろし外伝として収録され、のちにC★NOVELSで『西の善き魔女外伝3 真昼の星迷走』として刊行された作品である。
ヘルメス党員たちは定住することもかなわず、逃げつづけながら研究をつづけていることを知るフィリエル――こうした非定住民へのシンパシーは、たとえば『風神秘抄』における遊芸人への視線にも通じるものがあるだろう。
再会を誓い、ルーンは世界の果ての壁をめざして南へむかい、フィリエルは北極の塔へ行く。もし自分がいなければ、ルーンはこれほどあぶないことに遭遇することはなかったはずだと自らを責めるフィリエル。ルーンは仇敵である異端審問官から聞いた、壁の消失とブリギオン侵攻の関連を調査するため、吟遊詩人にみちびかれて危険な旅をするうち〈殺られるまえに殺れ〉という古い教えを思い出す。ふたたびあいまみえたフィリエルは、ルーンに女王陛下のもつ「世界を終わらせる」ことができる力のことを話す……。
フィリエルとルーンには、世界をゆるがすひみつがある。けれどふたりが最後に交わす会話は、ほほえましい痴話喧嘩だ。広大な異世界を縦横に旅しながらも、焦点はあくまで少年と少女の、個人のたたずまいにある。
『西の善き魔女』のシリーズ冒頭に飾られた詩の意味が明かされる、ほんとうの完結編。
■『樹上のゆりかご』(理論社・二〇〇二年→中公文庫・二〇一一年)
シリーズにしようとは、考えていなかった。
けれど、『これは王国のかぎ』は少女がアラビアンナイトの世界へ行き、そして現実に戻って終わる話なのだから、帰ったあとの現実で、上田ひろみは何をするのか。それを書かなければいけない。そう思った。
著者いわく、彼女自身の都立立川高校での経験、とくに行事体験を書いたものだ。三浦俊彦や多和田葉子のような異才を同窓にもつという、おそらくは濃密な空間での三年間を、ノスタルジーにおちいらないようにして描いた作品である。
『これは王国のかぎ』で描かれた、夢のような体験をしたあと高校へと進学した上田ひろみは、巻き込まれるようにして生徒会執行部の活動――合唱祭や演劇コンクール、体育祭に関わっていく。そのなかで起こる、不可解な事件。学校に巣くう「名前のない顔のないもの」。いまのところ唯一の、ファンタジー要素がない作品ながら、全編にただよう、いわく言いがたい不安と謎が、幻想的な雰囲気を、ひとつの世界をつくりあげている。
高校生ばなれした『サロメ』談義をくりひろげ、情念(と呼んでは重すぎるが、そのくらいどろりとして熱い想い)を演劇に、事件に結晶させる近藤有理の壮絶さが、読後に余韻をのこす。有理は『RDG レッドデータガール』に登場する宗田真夏のように性急だ。そんなふうに生きいそぐ人物に惹かれつつも、主人公は彼らが勢いのあまり"向こう側"へといきすぎないように、"こちら"へ留める防波堤のような役割をつとめる。荻原作品の女性主人公は、主役というより媒介者であり、調整者である。
■『風神秘抄』(徳間書店・二〇〇五年→トクマノベルスEdge・二〇一一年)
徳間書店から「鳥彦が主人公の、三部作の外伝を書きませんか」という話をもらったあと、四年ほどの月日が経ってしまっていた。
時間をかけて結晶した物語を奏でるのは、平安末期を舞台に、特異な芸能の力を持つ少年と少女。
「芸能を書いてみたかった」と著者はのちに語っている。中世の遊芸人にたいする関心が、よくあらわれている。
板東武者の家に生まれた一六歳の草十郎は、腕は立つものの人とまじわることが苦手で、ひとり野山で笛を吹くことが多かった。草十郎は平治の乱に源氏方としてくわわり、源氏の御曹司・義平を将として慕うも、敗走し京から落ち延びる。
草十郎が再び京に足を踏み入れると、義平は獄門に首をさらされていた。
絶望したそのとき、草十郎は、六条河原で死者の魂鎮めの舞を舞う少女、糸世に目を奪われる。
引き寄せられるように、自分も笛を吹き始める草十郎。
舞と笛の出会いに光り輝く花吹雪が注がれ、ふたりは惹かれ合う。
ふたりがもたらす、死者の魂を送り生者の運命をも変えうる力に気づき、自分の寿命を延ばすために利用しようとする上皇・後白河。
上皇の命を延ばすために糸世は命を落とすも、草十郎は糸世をこの世に戻さんと熊野へ出向き、上皇と対峙する。
本作は「鳥彦王」の存在をはじめ、勾玉三部作とのつながりをもっている。
のみならず、ひととまじわるのが不得手な主人公、舞う少女、鳥と話す男――といった荻原作品にはよく出るモチーフが登場する作品でもある。ただし本作以前の男の子は腰が引け気味だったが、草十郎は果敢に自ら行動し、運命を勝ちとっていくというちがいもある。
荻原規子は『「守り人」のすべて』に寄せたエッセイで、上橋菜穂子作品を評して言っている。
「この世界とは異なる世界で、しかも地の底深くで、精霊となった死者と槍舞いを舞う、我々とはへだたった体験をするバルサ。そのバルサが、だれよりも身近な真実を提示するという驚嘆が、この物語にはあります。けれども、ファンタジーだからこそ――異世界だからこそ、現実では埋もれて発見しにくい真実を、あらわに剥いてみせるのだとも言えるでしょう」
『風神秘抄』も、また。
第五五回小学館児童出版文化賞、第四六回日本児童文学者協会賞、第五三回産経児童出版文化賞・JR賞受賞作。
■『ファンタジーのDNA』(理論社・二〇〇六年)
これまで読んできた本について綴るウェブエッセイ「もうひとつの空の飛び方」(理論社のサイトに掲載)を中心に、アエラムックからの再録と書き下ろしをくわえてまとめた一冊。
小説とはべつの、言いたいことがたまっていたのだろうな、と思う。本人も書いているとおり、硬いことは考えずに……と始めたはずが、きっちりとした文章がならんでいる。幼少期からの読書経験を語り、ファンタジーとは太古よりの物語のパターン(冒険談)を使いながらも概念やメッセージに還元しきれない細部をふくらませ、昔話が削ぎ落としているディティールや感覚を語ってもうひとつの世界をまるごと体験させるものであると論じる。
とりわけ興味ぶかい点を挙げておきたい。
ファンタジーの創作とは、書き手の自分を消せるところまで消していくようなところがあり、それによって書き手がはじめて解放されるところがある、と記しているところである。荻原作品の主人公たちは、自分のことがいやであったあまり(?)姿をかえてしまったり(『これは王国のかぎ』)、自我をうしなう状態になることでおおきなちからを下ろすことができる人物であったりする(『薄紅天女』『RDG』)。「消そうとする努力によって、作者個人が分散した影として偏在するようになる」者のすがたは、彼女の小説作品のなかにも感じることができる。
■『RDG レッドデータガール はじめてのお使い』(角川書店・二〇〇八年→角川文庫・二〇一一年)
ながく兼業作家であった荻原規子は二〇〇七年に退職し、専業作家となる。さぞかし晴れやかなきもちだったろう、と第三者なら思うだろうが、荻原が親しんできた英国児童文学の書き手たちは職業作家ではなく、彼女は自分も同様に兼業の書き手であることにほこりをもっていたから、勤め人としての仕事と収入がなくなったことについて、思い悩みもしたようだ。
専業作家になってはじめて始まったシリーズが、本作である。
『風神秘抄』の主人公は吉野から入りまんなかの奥駈道をとおって熊野に行く。荻原は刊行後にそのルートを実際に通ってみた。そのとき印象にのこったものから、『RDG』が萌芽していった。そこには古事記や日本書紀からまなんできたこととはことなる日本があった。「熊野本宮からさらにさらに奥地へ向かうと山の上に神社が立っていてなぜか気になって行くことになり。でも、それがどんどん細く険しい小道に入りこんでいって……」そこには神仏習合の痕跡が残る、山伏の修験道の宿坊があったのだ。
一巻のあらすじをひとことで言えば、東京の高校に行きたくないと思っていた少女が、行くことを決意するまでを描いたものである。
山伏の修験場として世界遺産に認定される紀伊、生倉神社に生まれ育った鈴原泉水子は、一度も山から出たことがない中学三年生。麓の中学と家の往復だけの生活を送ってきた彼女は、しかし突然、父から東京の高校進学を薦められ、幼なじみの深行とともに東京の鳳城学園へ入学するよう周囲に決められてしまう。それには泉水子も知らない、自分の生い立ちや修験道の家系に関わる大きな理由があった。東京に住む母親に相談するため、初めて山を下り修学旅行に参加する泉水子だったが、姫君と呼ばれる謎の存在が現れる……。
『西の善き魔女』のフィリエルは活発に行動する子であったが、泉水子は内気でためらいがちな子である。泉水子は「すごく引っ込み思案で、現代には合わない部分を持った子にしたかったので、いっそ絶滅危惧種にしたらどうだろう? と思いつきました」と荻原は語る。
彼女はダイアナ・ウィン・ジョーンズ『グリフィンの年』創元推理文庫版の解説で、「強大な魔力をもちながらコントロールできない、自分に自信のもてない登場人物が、彼女の作品にはくり返し登場する。魔力をもつことで、ものごとはかえって期待したように進まず、努力するほど事態が悪化し、信用した他人には裏切られて踏んだり蹴ったり……と展開することが多い」と書いている。まるで『RDG』のことを語っているようだ。
■『RDG2 レッドデータガール はじめてのお化粧』(角川書店・二〇〇九年→角川文庫・二〇一一年)
デビューしたてのころに受けたインタビューのなかで、荻原は「夢は五〇をすぎてもまだ書けること、そのころにこそ代表作となる作品を書くこと」と言っている(「朝日ジャーナル」八八年一一月一一日号)。『ナルニア国物語』のルイスが五〇歳をすぎて書いていたことからだ。こどもと同じ次元で楽しみ、夢中になることができるおとなになりたいと思っていた。
『RDG』の二巻が発売された二〇〇九年に荻原規子は五〇歳になった。むろん、歩みがとまる気配はない。
この巻では、神道や修験道、陰陽道、歌舞伎をうけつぐ高校生たちが、一堂に会する。「私には、彼らが担っている文化の根っこが、みな同じところにあるように感じられるんです」(「ダ・ヴィンチ」二〇〇九年七月号)。
『RDG』にははじめから「学園もの」を書こうという目標があったが、一巻は前ふりがどうしても必要で、あまり学園ものにならなかった。だが、宗田姉弟が出てくるこの二巻あたりからが、いちばん書きたかったことだったと、荻原は上橋菜穂子との対談で語っている。
泉水子は、生まれ育った紀伊山地を出て、東京の鳳城学園に入学する。学園では、山伏修行中の相楽深行と再会するも、ふたりの距離はちぢまらない。弱気になる泉水子だったが、寮で同室の宗田真響と、その弟の真夏と親しくなり、なんとか新生活を送り始める。
しかし、めがねを外した泉水子が、ブラジル人留学生であるクラスメイトの正体を見抜いたことから、事態は急転。それは陰陽道をうけつぐ高柳一条の手によるものであり、生徒会長戦を巡って真響と一条は対立していた――そう、生徒たちは特殊な理由から学園に集められていたのだ。真響は実は三つ子で、幼い頃に亡くなっていたもうひとりの弟・真澄をつかった一条の式神と戦い勝利し、泉水子の三つ編みがほどけると姫神があらわれ深行に対して「泉水子を姫神にさせてはならない」と語る。
SMF(宗田真響ファンクラブ)や非常勤講師として学校に赴任してくる深行のイケメンパパ・雪政など、いい意味で漫画的な展開が楽しい "学園もの"全開の巻である。
なお、陰陽師はすでに多くの小説やコミックの題材になってしまっていて使いにくかったがためにライバルにした、とのことである。
■『RDG3 レッドデータガール 夏休みの過ごしかた』(角川書店・二〇一〇年→角川文庫二〇一二年)
当初このシリーズは三冊でまとめようという構想だった――が、この巻ではとうてい終わらず、六巻まで続くこととなった。
学園祭のテーマが「戦国学園祭」に決まり、夏休みがはじまる。泉水子や深行ら生徒会執行部は、学祭にそなえて真響の故郷である長野県戸隠山へ合宿に行く。真響たち戸隠(忍者)と泉水子たちの修験道は、元は同じながら、途中で別れた、戸隠は山の力を使わなくなった――とされているが、深行は戸隠山に修験があるのか探りたいと思っている。泉水子は初めての経験に胸をはずませるも、真響の生徒会への思惑が様々な悶着を引き起こす。真夏は東京にのこしてきた愛馬が死にそうだという連絡をうけ、真澄を置いて東京へと戻る。真響が真夏を追いかけていこうとするが、真夏は真澄によって時限の向こうにとりこまれてしまいそうになる……。
「私が学園トップになりたいのだって、ぜんぶ真夏が生きのびるためのことなのに」という、宗田姉弟の真意が明かされる巻である。
そしてそれを踏まえてこの巻が出たあとのインタビューで語っていることを読むと、おもしろい。
「私、これからのファンタジーって王様、王女様の世界じゃなくなるって思うんです。そういう尊い血筋の、王国のトップに立つ人間が偉いっていう話ではなくなる。むしろ絶滅危惧のほうが偉いっていうか(笑)。尊いものってなんだろうってことだよね、つまり」(「野性時代」二〇一〇年七月号)
■『〈勾玉〉の世界 荻原規子読本』(徳間書店・二〇一〇年)
勾玉三部作の文庫化完了にともなって刊行された、「荻原規子読本」。中沢新一、上橋菜穂子との対談、〈上田ひろみシリーズ〉のベースになった短篇「リズム、テンポ、そしてメロディ」「あのひと」「スイング」、エッセイ「『空色勾玉』ができるまで」、『空色勾玉』スピンオフ「湖もかなひぬ」、野中南による「荻原規子 全著作リスト」を収録。
中沢新一が書いた『空色勾玉』文庫版解説および対話によって「はじめて『仲介者』としての稚羽矢の存在を意識しました」と語っている点、山伏について「山が女性ですよね。女神。あの考え方になんだかすごく惹かれるところがあって」「山の神がいるから、修験道は女人禁制ですよね。あの構造がなんだか、女性としては面白いですよ」と話している点が興味ぶかい。
■『RDG4 レッドデータガール 世界遺産の少女』(角川書店・二〇一一年→角川文庫二〇一二年)
姫神の危険な力が明らかになり、目覚めの予感が描かれる――けれど泉水子はそれを知らない。
夏休みの後半、泉水子は田舎へ戻って自省する。姫神になりたくない。そして姫神の一生は短い――二十歳で死ぬかもしれない。だから今、やりたいことをやっておかなきゃ。
そう思い、鳳城学園へ戻った泉水子は、正門でふと違和感を覚える。けれど、生徒会執行部として学園祭の準備に追われ、忘れてしまう。今年のテーマは〈戦国学園祭〉。
「真響さん、わたし、だれかわたしを好きになってくれる人がいたら、その人とつきあってみることにするね」と語り、また、自分の置かれた環境について何も知らないと改めて思い至り、調べ始める泉水子。衣装の着付け講習会で急きょモデルを務めることになった泉水子に対し、姫神の出現を恐れる深行。果たして終了後、制服に着替えた泉水子はやはり本人ではなく……。母親がかけた封印が解け、姫神が降臨し、深行とともに高尾山へと向かう。姫神は「人類を滅ぼした」と語り、未来から来たと話す。「もう一度、千数百年前からやり直すことにした」。すでに失敗も経験し、今回の挑戦が最後だという――。
自分の将来像が何一つ思い描けない主人公と、迫るクライマックス。学園祭を前に、この巻は引きで終わる。
『RDG』がよもや二〇〇〇年代に流行した「ループもの」の一種であろうとは、シリーズ開始当初には誰も予想しなかっただろう。
3・11の衝撃がまだまだつづく、二〇一一年五月刊行である。
のちに著者は、「震災があったことで、未来に希望を持ちたいということを強くいいたくなりました」と語っている。
■『RDG5 レッドデータガール学園の一番長い日』(角川書店・二〇一一年)
いよいよ始まった戦国学園祭。泉水子たち執行部は黒子の衣裳を着て裏方に回る。
学園トップだけがなれる世界遺産候補に選ばれることを陰陽師集団のホープ・高柳一条は望み、宗田家も狙っている。そして学園トップを決めるのは影の生徒会長であり判定者である村上穂高。
けれど泉水子が望んでいたのはもっと単純なこと。
「いろんなことを、みんなと同じに体験したい――ずっとそう思っていたの」
だから、学園祭の一番の見せ場である八王子城攻めに見立てた合戦ゲーム中、高柳たちが仕掛けた罠に自分がはまってしまったことに気づいた泉水子は、怒りが抑えられなくなる。もう、誰も止めることはできなくなる。そして泉水子は気づく。将来、人間に害をなすかもしれないから、両親は自分のことをどうにかしようとしていたんだ、と。
高柳と宗田の緊張はピークに達し、学園祭では校舎前の広場で行われる、戦国仕様の風船割り合戦が始まる。
ゾンビ映画の終盤に登場する軍隊さながらに、泉水子の母・紫子が学校のグラウンドにヘリコプターでさっそうと現れるのが、印象的である。
■『グリフィンとお茶を~ファンタジーに観る動物たち~』(徳間書店・二〇一二年)
『グリフィンとお茶を』は、キップリングの『ジャングル・ブック』やリチャード・アダムズ『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』をフェイバリットに挙げる荻原規子が、徳間書店のPR誌「本とも」に連載したエッセイ「アニマ・アニムス・アニマル」を単行本化したものだ。
トールキンは『妖精物語について』のなかで、妖精の国の真価は、それが持っている働きが人間の持つ根源的欲望を満足させることにある、と説いた。「根源的欲望」とはなにか。①時間、空間の深みを探りたい。②ほかのいきものと交わりたい。③死からの逃避。である。この3つがつくる"第二の世界"を描くもの、それがファンタジーのひとつの定義だといえる。
ほかのいきものと交わりたい――荻原規子が愛したのは、とくに動物物語だった。そしてどうして動物物語を愛するのか、どんな動物物語が好きなのかを語ることは、すなわち自分にとってファンタジーとは何かについて話すことに等しいことだった。
クマにはじまりダイモンに終わる二〇の動物物語にかんするエッセイで、荻原規子は個人的なファンタジー体験と河合隼雄やルドルフ・オットー、中沢新一の理論をからめながら、神話やファンタジーについて、魅力的な物語のなかの動物たちについて語っていく。
ファンタジー作家がファンタジーについて書いたものは、どういうわけかちょっとむずかしく、あるいは格式高さを感じさせるものが多いけれど(ル・グィン、トールキン、エンデ……)、この本は肩肘はらずに、けれど本質に光をあてるような筆はこびをしていて心地いい。
荻原作品に登場する鳥彦や和宮(あるいは犬になった一条)、そして竜がお気に入りという向きは手にとってみて損はない。
■『RDG6 レッドデータガール 星降る夜に願うこと』(角川書店・二〇一二年)
鳳城学園祭での高柳一条の行いを拒絶した泉水子は、絶滅危惧種となった力をあらわし、戦国学園祭で能力を顕現させた。真響は「世界遺産候補になることは、もうあきらめがついたんだ」と泉水子に言う。影の生徒会長・村上穂高は世界遺産候補となる学園トップを泉水子と判定するが、陰陽師を代表する高柳は異議を唱える。
IUCN(国際自然保護連合)は、人間を救済する人間の世界遺産を見つけだすため、泉水子に働きかけはじめ……。
深行が村上のことを「おれたちとは利害が別だろう。いかにも鈴原の肩をもつような口振りをしておいて、結局一番番追いつめているじゃないか。高柳と同じくらい元凶だ」と言うのを聞き、自分は深行のことは信じられる、と思う。深行も泉水子に伝える。「高柳と対決するのがひとりでも、鈴原はひとりになるわけじゃない」。泉水子は、はっきりと深行へのきもちに気づく。
荻原規子は、上橋菜穂子の『天と地の守り人 第一部ロタ王国編』の新潮文庫版巻末鼎談のなかで、「負い切れない力を負ってしまって四苦八苦する主人公というのは、ある意味、誰もが子供から大人になるときに経験していること。自我よりも大きなものを手に入れようとして、足掻くときが必ずある。けれど、それは、みんながやっていることだよ、ということを書いているのかもしれない」と言う。そして上橋菜穂子と自身の作風を比較して語る。「上橋さんは人類学に行ったけれど、私はきっと深層心理学が好きなタイプ。人の内側に全員いるんじゃないかという気がずっとしているんです」「言い換えると、人ともう一人が関わっただけで、結局全世界と同じぐらいの広さのものに繋がってしまうという、気分かな」。泉水子と深行が関わることで、全世界をめぐるものへとつながる。
このままいけば世界が破滅するのかどうか、結論は出ない。けれど泉水子と深行が自分たちの人生の未来について、前向きになる。将来に対してすこし、具体的なイメージをつかむ。泉水子は、深行といっしょに生きて行けると思う。『RDG』とは、その絆を手に入れるまでの物語だった。
■参考文献
「朝日ジャーナル」(朝日新聞社)一九八八年一一月一一日号
「日本児童文学」(日本児童文学者協会)一九九五年六月号
「活字倶楽部」(雑草社)一九九八年夏号、二〇〇五年春号、二〇〇六年春号、二〇〇七年秋号、二〇〇八年夏号
「こどもの本」(日本児童図書出版協会)二〇〇二年八月号
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『グリフィンの年』(創元推理文庫)二〇〇三年
フィオナ・マクラウド『かなしき女王 ケルト幻想作品集』(ちくま文庫) 二〇〇五年
「文藝別冊 ナルニア国物語」(KAWADE夢ムック・河出書房新社)二〇〇六年
「古代文学」(古代文学会)四八号・二〇〇八年度
「MOE」(白泉社)二〇〇二年一月号、二〇〇八年五月号
池上永一『バガージマヌパナス わが島のはなし』(角川文庫)二〇一〇年
「野性時代」(角川書店)二〇一〇年七月号
上橋菜穂子『天と地の守り人〈第1部〉ロタ王国編』(新潮文庫)二〇一一年
同『天と地の守り人〈第2部〉カンバル王国編』(新潮文庫)二〇一一年
同『天と地の守り人〈第3部〉新ヨゴ皇国編』(新潮文庫)二〇一一年
『「守り人」のすべて 守り人シリーズ完全ガイド』(偕成社)二〇一一年
「yomyom」(新潮社)二〇一一年一二月号
「読書のいずみ」(全国大学生活協同組合連合会)二〇一二年三月号
「かつくら」(新紀元社)二〇一三年冬号
「Newtype」(角川書店)二〇一三年二月号
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