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定点観測的体験レポと感謝 #レーダーチャート式アウトプット診断



ご存じの方も多いかと思いますが、全36の質問を通してリモートで情報アウトプットスキルを診断していただけるという池松潤さんのレーダーチャート式アウトプット診断。コロナウイルスによる自粛でだんだんと外出が躊躇われてきた4月、実はわたしも受けさせていただいていました。

そう、4月にね…。

結果が届いたのが4月の中旬だったから、もうかれこれ一ヶ月半くらい経ってますね。

実際に受けられた方、数々の体験レポを呼んだ方は「え?今?」となっているかもしれませんが、ごめんなさい、今です。

そしてお忙しい中あれほど懇切丁寧に追伸を書いてくださったのにも関わらず、伸びにのびのびになってしまってごめんなさい、池松さん。ここからは長い長い言い訳と、頂いたアドバイスからこんな記事が生まれましたという報告です。





まずはドキドキの結果発表から!

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おぉ、分かってたけどほんとにびっくりするほど「読まれる」が低い…。基本的な能力についてはもう改善っていうか「まずは一定のレベルを目指そう!」という一言に尽きました。



また他の方の体験レポにもありましたが、数値化されたレーダーチャート以上に感動させられたのが池松さんからの「愛情深すぎる追伸」

これが本当にすごかった!

こちらから指定した記事のみならず、noteで公開している文章を隅から隅まで読んで(本当に「読んでない記事一個もないのでは?」ってくらい)追伸を書いてくださいました。その行動量と熱量に感動。うれしかったです。

正直一日にあれほど「誰かが自分の書いたものを読んでくれている」と実感した日はありません。また「それ読まないで~!」と昔の自分が書いたものを恥ずかしく思った日もありません。もしかすると今後あるかもわかりません。そういう意味でもとても貴重な体験でした。

ちなみにわたしが「感想頂きたいです」とお願いしたのがこちらの記事。



選んだのは、診断を受けた当時のほぼ一番新しい記事。これを選んだのには一応理由があったんですが、でもそれを自分でいうのもな…と思いつつ質問の解答とともに送信。そうしたらこんなお言葉を頂きました。

このnote全体が挑戦記になっている印象をうけました。

全部お見通しだ…!

この記事を書く少し前くらいから、自分なりに「いつもならこうするけど、書き方を変えてみよう」と思ってあれこれ試行錯誤している最中でした。だから普段使わない構成、言い回しでこねくり回した文章たちがどんな印象を持ってもらえるか、知りたかったんです。

いくつものお褒めの言葉、そして的確なアドバイスと激励の数々。もう先生とお呼びしたい。


池松さんから頂いた「ご提案」から生まれたものたち


はい、本格的な言い訳はここから。

くださった追伸の中には今後の記事に対するたくさんの「ご提案」がありました。その中でもわたしの心にグサッときたものがこちら。


伝えたくて、伝えたくて、溢れる「何か」のある文章を書く。
自分のスキな事を誰よりも深く、解像度高く、冷静で熱く、徹底的に書く。


その言葉がわたしの「書きたい気持ち」をガンガン刺激してくれました。あれもこれもそれも書いてみたい!と思い、下書きがあっという間にいっぱいに。

本当なら体験レポを書いてからそっちに取り掛かるはずだったのですが、ふと「レポを書いたらわたしはそれで満足しやしないかしら?」と心配になりました。

わたしあるあるその3「わかった気になる」が発動しそうな気配がしました。

読んですぐは「理解したぞ!」と思うんだけど、少し経つとすっかり忘れてたりするのよね。でも今回はそれじゃダメでしょ、と思って別の記事を先にあれこれ書いてみたのです。ごめんなさい。


そしてもう一つ言い訳をするなら、

自分の文章の棚卸をするのは難しいものです。それを実行しているのがすごいなと感じました。

実はそんなことないんです…すぐ忘れるんです…と嬉しいやら申し訳無いやらのお言葉を頂いたあとに、

執筆スタンスnoteを「きっちり3ヶ月」記念日的に書いて「文章スタイル」定点観測を続けるのはいかがでしょうか。

と忘れっぽいわたしにぴったりのご提案があったからです。


「いや、体験レポで書けとは言ってないでしょ」と怒られてしまいそうですが…。

現時点では「3ヶ月」の区切りではないですが、ひとまずはご提案に対して書いてみたいと思った記事をいくつか公開できたので体験レポに取り掛かることにしました。



ご回答のメールを頂いてからいくつか書きましたが、その中でもより自分の中で意図して書いた(つもり)のものをいくつか紹介させてください。

テーマは

1.考えていたけど書けずにいたこと

2.「スキ」が詰まったもの



1.考えていたけど書けずにいたこと


まずは「考えていたけど書けずにいたこと」を書いた記事。

「恋愛・結婚」というテーマは、読むのは好きなんだけどいざ書こうと思うとすごくセンシティブだなーと思って避けてきたところがありました。考えをそのまま書くと誰かを傷つけてしまいそうな話題だよな、と今も思っています。

わたしは現在進行系で苦しい恋をしているわけでも、夫婦間のあれこれで悩んでいる立場でもありません。でもそういう立場からずっと思っていたことを形にできやしないかと思って書きました。

なのでちょっと愚痴めいた部分や自分の幼さを露呈する部分も多かったかもしれません。読み返すと恥ずかしい。だけどもしかすると「恥ずかしい」と思えるのは、それだけ実寸代に近い自分書けたからなぁと自惚れてみたりもしています。次はそこを「もっと堂々と」書けるようになったら良いなぁ。

ただ書いてみてわかったのは、言い切り型で自分の考えを出した記事はまだ怯えがあるということ。「わたしはこう考えます。あなたは?」というスタイルの方が性格上書きやすい感じ。

基本根が臆病者なので、人の意見と自分の意見のすり合わせに安心感と楽しみ感じるところもあります。たとえ意見が食い違っても、理解し合えれば面白いですしね。



同じく「考えていたけど書けずにいたこと」がテーマの記事。こうして並べてみると、ちょっと重めの話題を避けてきたのかもしれないな…と反省しています。

上の記事と雰囲気は近いですが、こちらは言い切り型ではなく「あなたはどうですか?」と問うタイプの構成で書きました。こちらには明確な答えを明記はしていません。どちらがうまく書けているかは微妙なところですが、こっちの方が今はしっくりきています。

素敵な結論を出すだけが文章じゃないとは思いますが、ただこういうタイプの書き方は読み手さんにとってはどうなんだろうなーと思ったり。途中ですごく読む側に負担を強いているんじゃないかという気分になって手が止まったりもしましたが、ずっと書きたかったエピソードでもあるのでどうにか走りきった感じです。




2.「スキ」が詰まったもの


noteで時々見かける「偏愛」という言葉。日頃から愛してやまないもの、人について書かれた記事は素晴らしい熱量が詰め込まれていて内心「いいなぁ」とずっと思ってました。

もともと誰かに「これが最高でさぁ!」なんて話すのが苦手。「ふーん」とか「知らなーい」とか言われたらしばらく引きずりそうって思って避けてきました。

でも池松さんの追伸を読んで「ついに書くときがきたか…」と戦々恐々としつつ、中学生の頃から愛してやまない”平川地一丁目”という二人組のフォークデュオについて書きました。ぶっちゃけ書き上がるのに一番時間がかかりました。書いたことのないものは自分の中に下敷きがなくて、どこから手をつけて良いものやら。そしてどこで締めくくって良いものやら。

それと本気で自分の好きなものを書こうとすると「これを他の人にも好きになってほしい」という欲が出てきてしまうんですよね。人にものを勧めるのって簡単じゃありませんが、頑張って書くからにはただ好きを垂れ流すだけじゃなくて、できる限りうまく書こうと力んでしまいます。こればかりはちょっと量をこなさないとダメな気がしました。

ただ実はつい先日Twitterでファンの方にこの記事がリツイートされていました。自分の好きなものが人に伝わったかも、という気持ちに加えて「同じものが好きな人にも伝わったかも」という言いようのない嬉しさ(「えっ、やばい、すごい」って語彙力ない感じに喜んだ)も初めての体験。今までサボってきたツケと、とっておいた喜びが一気にきた感じ。

また実は推しがnoteをやっているということが記事を公開した後に判明。いつかこのギリギリの記事(わたしの精神的な意味で)が見つかりやしないかと恐れてるあたり、まだまだ修行が足りません。ただ今後も彼らについては書き続けるつもりです。良いきっかけをありがとうございました。



こちらの記事はちょっとライトに自分のスキを書いてみた記事。好きの度合いに比例して力が入っちゃうから、癒やされるというか心をリラックスさせて書けるようなものを選びました。分量のせいもありますが、こっちのほうが「エッセイ」を書いてるなって気持ちが強いから言葉を選んだり言い回しを工夫しようという余裕が生まれます。なんだろう、好きな人の前ではうまく喋れない的な現象でしょうか。

こちらは#あなたの愛する「かわいい」エッセイコンテスト に参加しておりましたが、先日結果結果発表がありました。

大賞を獲られたのはきゆかさん。もともと自分のスキについて熱く語ってるイメージがありましたが、今回の記事は「おぉ…かわいい…!」と唸ってしまう感じ。すごい。

そして自分の振り返り。もう少し工夫が必要だったし、このままだと「好き!」くらいの熱量だから、それを「好き!!!!!」くらいにまでレベルアップさせたい。

上手い下手は別として、小説はそれなりに書いてきたから「自分なりのやり方」に多少覚えがある。でもエッセイは、特に自分の好きなものについて書こうと思うと方向性に見当も付かなくてあかん方向へ飛びがち。修正しようとすると熱量が消えがち。んん、難しい。

脳のいつもと違う部分を使って、もっと書けるようになりたい。



またきゆかさんつながりですが、池松さんに「コレがスキ」と言っていただいたのは#聞いてよ20歳 の企画用に書かせていただいた記事でした。

分かち合う気持ちが愛おしさを醸してます。

以外や以外。正直に言うと自分では「よくわからんことを書いてしまったかも」と思っている節がありました。他の方々の素敵なエッセイを読んで「わたしもこんなかっこいいこと・希望を持てることが書きたかった…!」とぐぬぬとなっていました。自分が与えた評価と誰かがくださる評価は必ずしも一致しない現象ですね。

でもこれはとっても嬉しいこととして受け取っています。わたしは何が上手に書けるのか、何を魅力として文章を書けるのか、自分ではきちんと自覚できてないけれど、もしかすると「良いもの」がどっかに一つくらいはあるかもって思えたからです。



ちなみに#聞いてよ20歳 のオンラインイベントとして「教えて20歳!!」が近日開催されるそうです!



+α「自分への照れ」を最小限にすること


最後に、今回のどの記事でも「うまく消化できなかった」と思うこと。

池松さんが「別れの朝は、いつも君がいる」を読んでくださったご感想の中にこんな言葉がありました。


文章に、「自分への照れ」が微かにあるのが印象的でした。(略)しかし作品を通じて「何を」伝えたいのか。伝えたくて、伝えたくて、溢れる「何か」さえあれば「読み手を信じて、裏切る(いい意味で」事ができるのではないでしょうか。


自分の中で強く「伝えたいもの」があっても、文章にしていくうちにそれが薄れてしまったり、「自分への照れ」から本来あったはずの熱さを自ら冷ましてしまうようなところがあるのだと思います。

また技術的な面でも、自分の考えを最大限に活かしきれる文章を書けていないのもありますね。

本当は文章を書く上で「照れ」なんて、読む人には関係ないんだろうなぁ。だから繊細な言葉で強く綴られた文章はどれも素敵だし、宿る「何か」だけを純粋に感じられる。

今後の課題にします*




終わりに。


たくさん言い訳を並べてきました。本当はこんな風に体験レポを書いても良いものか、ほとんど書き終えた今でもちょっと悩んでいます。

でも池松さんの書いてくださった追伸があまりにも嬉しくて、自分の書いてきたものに寄り添ってもらったような気持ちで、何かそれに応えられるようなものがあったらなって思って書きました。

この記事を読んでいたらわかるかもしれないけれど、わたしは自分でも自信を持って言えるくらい臆病だし内向的な人間。「自分に自信がない自信がある」タイプ。

でもスキなものは好きって言いたかったし、嫌われることよりも自分にできることを探したかった。でもできずにきた。

だから池松さんにはとても建設的なアドバイスをもらった喜びの分だけ「わたしにもそうやって人に寄り添える部分があるかしら」って思いました。あぁ、なんだか恥ずかしくなってきたのでこのへんでやめにしておきます。



兎にも角にも、本当にありがとうございました!




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